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消耗した都会人は、まずは『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』(原題:The Shepherd's Life)を読んでからにしろ

ジェイムズ・リーバンクス『羊飼いの暮らし イギリス湖水地方の四季』

■『羊飼いの暮らし』(原題:The Shepherd's Life)は、イギリス湖水地方で伝統的な牧羊を営む、著者リーバンクス氏によって書かれた、羊飼いの1年の暮らしと、自らの半生、そして湖水地方のファーマーの伝統についての物語である。原著は2015年に出版された。

イングランドの湖水地方は、文化的景観の区分で2017年に世界遺産登録されている。

国内最大の国立公園で、絵本のような風景が広がる湖水地方は、今やイギリスの重要な観光地となっている。

湖水地方では伝統的に牧羊が行われている。著者、ジェイムズ・リーバンクス氏は、そうした伝統的な牧羊家の家に生まれた。この地域では何千年に渡り、牧羊を中心とした生活が行われてきたらしい。典型的な湖水地方の風景である、フェル(Fell:湖水地方の山や丘、特に本書では森林限界線より上の放牧に使用される耕作されていない高地を指す)に囲まれた、豊かな草原の丘陵、石垣、小屋、そういったものは、羊飼いたちの暮らしにより作られ、維持されてきたものだ。

現在では、牧羊は、中国、豪州、インドを中心に行われており、イギリスの頭数などごくわずかなものだ。起伏にとんだ地形であり高原で気候が厳しいこともあり、湖水地方の牧羊は現代的な大規模化が行われず、昔ながらのやり方で現在も行われている。純粋な産業としては相当厳しい状況にあるが、貴重な伝統や文化、そして自然を保護するという観点から、ナショナル・トラスト等の活動にも助けられ、現在でも続けられているものだ。

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■外から訪れる者にとっては、牧歌的な風景、豊かな自然、そういった世界でも、そこで生まれ育った者の視点からみる風景はまたそれとは異なる。リーバンクス少年が最初に世間と自分との違いを感じるのは学校だ。

湖水地方と言えば聞こえはいいが、要するにド田舎の農家の息子である。そういう少年にとって、偉大なファーマーである祖父こそがヒーローだ。羊と自然についてありとあらゆることを知っており、共同体の歴史に精通している。少年は、祖父のあとをついて、幼いころから牧羊に親しむとともに、祖父が受け継いできた物語を自然と受け継いでいく。それは家族や共同体の根幹にある物語であり、外の世界の発展とは無関係な、伝承された知恵や経験に基づく別の物語だ。

一方、学校で行われるのは子どもたちを現代人として社会に送り出すための教育だ。それは、伝統的な羊飼いの世界とはかけ離れ過ぎていた。「知識」を経て、「向上心」を持ち、人生で何かを成し遂げる。そういった「成功の尺度」は現代人である我々にとっては、ごく当たり前のものとなっているが、伝統的な羊飼いたちには関係のないものだ。

著者は言う、100年もすれば、自分がここで牧羊をしていたことなど、何の意味もなくなる。自分の名前を知るものもいなくなる。しかし、100年後もフェルでファーマーが同じように仕事をしているとすれば、その一部を作り上げたのは自分なのだ、過去の全ての人々の働きの上に、今の自分の仕事があるように。

こういう、自分は自然の一部であり、同時に、伝統を受け継いできた長い長い鎖の一部なのだ、という物語を受け入れ、自分をその大きな物語の中に位置づける、そういった考え方は、個人として何かを成し遂げること、もしくは成し遂げたと証明することが人生にとって重要なことである、と考えがちな現代人にとって、新鮮で、かつ、どこか懐かしい印象を与える。

成功に取りつかれがちな現代人とはいえ、どこか、ほんとうにそうだろうか?と思うところはあるだろう。それを考えるために生き方を見つめなおし、場合によっては、都会を離れる人もいる。

しかし、自分のような都会生まれの現代人にとって、自分がどういった物語を受け継ぐ存在なのか、自分はいったいどういった鎖を繋いでいるのか、そういったことは、必ずしも明らかではない。そもそも、自分たちには護り受け継ぐべきものが何かあるのだろうか?

大きな物語のために生きようとした場合、現代人はその壁にぶつかるように思う。裕福ではないド田舎の出身とはいえ、伝統ある羊飼いの子孫という明確なバックグラウンドがあり、幼少期からそのように育てられてきた者と、伝統と切り離された都会人とはスタート地点が大きく異なる。

現代人にとっての物語とは、脈々と受け継がれてきたものではなく、多くの場合、横に広がった同時代的で移ろいやすいものだろう。その激動の流れの中で常に自分の証を示し続けるような生き方も、ある意味エキサイティングであり、現実に多くの人がそれに魅了されている。

そういった現代的なムーブメントが織りなす物語もまた、なにかしら後世に伝えられていくことは確かである。しかし、その荒波の中で自分が何者かということを見失ってしまうことも多い。場合によっては、生まれと育ちが、自分がだれかということを教えてくれるほうが、幸せなのかもしれない、などということを思う。

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■とはいえ、リーバンクス氏は、ただ単に学校をドロップアウトしてファーマーとして生きる事のみをしてきたわけでは無い。祖父亡き後、父親との一時的な不仲から逃げるように、読書、そして勉学へと進んだリーバンクス氏は、なんとオックスフォードに合格してしまう。

周囲の勧めもあり(伝統的な家とは言え、さすがにそうなるだろう)大学に通うことにしたリーバンクス氏は、たびたびの帰省を通じて、土地の帰属感は土地の仕事に参加して初めて生じることを知り、突然利口な人間扱いされるようになった違和感を感じ、そして、ロンドンでのバイトを通じて、都会暮らしの過酷さを知ったうえで、湖水地方に憧れる人々の気持ちを理解する。

そこで起こったのが口蹄疫だ。実家の農場でも家畜を処分し、農場を一部手放すことにした。農場を離れた人間は、それまでとは別の人生を送るようになることが多い。しかし、リーバンクス氏は農場を離れたことで、より、この場所が自分の始まりであり終わりである、と意識するようになる。そして、農場をリスタートするために買った家畜が、湖水地方の伝統種である「ハードウィック種」であった。


■「ハードウィック種」は、山岳地方の厳しい環境に耐えることができる“タフな羊”だ。雪、雨、あられ、みぞれ、そんなものではびくともせず、同条件であればいかなる品種の羊よりも少量のエサで生き延びることができる。言い伝えによれば、スカンジナビア半島からバイキングの船に乗ってやってきた種だという。

羊の世界でも、当然に品種改良は行われており、恵まれた環境の農場では、そういった品種改良された羊が飼育されている。しかし、フェルのようなタフなコンディションでは、改良品種よりもハードウィック種のような在来種の飼育のほうが適しており、その結果、伝統的であるばかりでなく、経済的でもあるという。悪条件で牧畜業を成り立たせようとした場合に、自然とたどり着く選択肢なのだ。燃料や飼料の値動きにより農業経営が影響を受ける中、いずれも必要量が少ないというのは、経営を成り立たせるうえで重要なことだ。おまけに肉もうまいらしい。

譲り受けた羊から一年目に生まれた子羊が品評会で優勝するほど立派に育ったことをきっかけに、著者はハードウィック種の繁殖の虜となり、新たな牧畜生活をスタートする。もっとも、牧畜だけでは生活は難しいため、今はPCやiphoneを使って、ユネスコのアドバイザーとしての仕事もしているらしい。2017年に湖水地方が文化遺産登録されたことにも多大な貢献を果たしたようだ。そして、その傍らにこういった素晴らしい著述を行っている。

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■フェルの放牧地は必ずしも柵で区切られていない。羊たちは自分たちが帰属する場所を知っており、自然とその場所へと移動する。(もっともいくらかは、他人の群れに迷い込んだりするようだが)フェルのファーマーに言わせると、柵に囲まれた小さな空間で仕事などできないという。

牧畜に使える有効面積みたいなことでいうと、フェルの土地は狭い。柵で囲まれた平地の大きな農場のほうがよっぽど広いということもある。ここで語られているのは、この土地ならではの「自由」についてである。

イングランドでも昔からの共有地「コモン・ランド」には次々と柵が設けられ、古い伝統が残るのは、湖水地方のような痩せて孤立した土地だけだという。土地が貧しかったことによって、湖水地方では現在でも「コモン・ランド」が守られ、共同体が一体となって土地との関係を結んでいる。そこでは、共同体の一員としての責任を果たす限りにおいて、共有地である山を用いて牧羊を営むことができる。自由の感覚は、共有地の素晴らしい風景が感じさせるのかもしれないが、個人主義や所有意識が希薄であり、大きなものとつながっている感覚が、そう感じさせるものなのかも知れない。


■どこの国でもそうであったように、貴族的な階級が土地を保有し、農民はそこで農業を営む、といったシステムが発達することが、人類社会ではわりと普通のことだ。そこから階級社会などの、近代につながる伝統や文化が数多く生まれてきた。

しかし、ある意味見放された土地であったフェルは統治者を持たず、住民たちが土地を共同で管理することが続けられてきた。それにより、独特の平等主義的な文化や価値観が育まれてきたという歴史がある。牧羊といった産業が行われていたことも、自給自足的な暮らしを可能にし、この地域に特色が強く残る一因となった。

そうした稀有な土地が、早い時期から始まった環境保護の取組みにより、その後も変化を免れてきたことが現在につながっている。

この地方を愛した著名な作家であり自らもフェルで農場を営んでいたビアトリクス・ポターが遺言によりナショナル・トラストに寄贈した土地は4000エーカー以上、15の農場に及んだ。湖水地方屈指の大地主であったと言われるポターの広大な土地は、ピーター・ラビットの印税で買い取ったものである。

そういった取り組みと、今もこの地で生き続けるファーマー達によって、湖水地方の景観と伝統的な文化は護られている。

地理的な要因は大きいが、政治・経済、科学技術の発展、人々の価値観の変遷、そういった様々な要素がある中、湖水地方の景観や伝統が現代に残ったのは、ある意味奇跡的なことである。観光として消費するのも良いが、その土地の文化、人々の暮らしを知ることで、また現代社会や自分自身の暮らしが違って見えてくることもあるだろう。単純なあこがれだけではなく、羊飼いのリアルを描くことで、様々なことを考えさせてくれる。本書はそんな気づきのきっかけをくれる素晴らしい本だ。


■余談だが、「ハヤカワ・ノンフィクション文庫」は、案外いい本が揃っている信頼できるレーベルであることが、自分の中で知られている。この本も、本屋でなんとなくハヤカワ・ノンフィクションだから大丈夫だろうと思ってジャケ買いしたら当たりだったものである。

都会人の心のスキマを攻撃するビジネスは数あるが、この本は「ハヤカワ・ノンフィクション文庫」で1,000円ぐらいで買えるという点で、その面でも非常に良心的である。田舎に山や古民家を買うことに大枚をはたいたりする前に、まずはこの本を手に取ってみてはいかがだろうか。


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