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アートマンがやった縁起を次の人が継いだから生まれ変わり

ヒンドゥー教の身分構造は、侵略者が作った支配原理である。侵略支配は、優位に立つ自らの「我」を、非支配階層に押し付けなければ成り立たない(中略)「霊我」「不滅の魂」が、侵略者の支配原理であることは間違いない。「ヒンドゥー教では、アートマンの汚れ云々を階級制の根拠にしているようだが、果たして本当にアートマンなるものは実在するのだろうか?」とブッダは問いかけたのだ(中略)「常」という同調圧力に対して抵抗すること、今風にいうと「あえてのKY」な思想や行動こそが、本来ブッダが説いた「無常」である(中略)虚像を一刀両断したのだ(中略)男児を生んでいないヒンドゥー教徒の寡婦は、それと判別できるように無地の白いサリー(喪服)を着ることを強制され、村八分に等しい非人道的な扱いを受ける。それは現代インドでも依然として続いている(中略)差別の対象となっていた、こうした女性たちの解放運動を真っ先に行ったのが、ブッダの養母であるプラジャーパティであったとされる(中略)プラジャーパティは、寡婦(※やもめ)を集めてブッダの教団を訪れた(中略)最初ブッダは若い男性出家者の修行の妨げになると反論したが、アーナンダのとりなしもあり、ついに尼僧集団が誕生した(中略)ブッダが説いた「ドゥカ(苦)」とは、あるがままに世界を客観的に見るということであり、リアリティの視点である(中略)「リアルな視点」を持たなければ、意図せずしても人を傷つけると、ブッダは説く。なぜブッダはそう考えるに至ったか。やはりここにもカースト制度があった。支配層のスカ(※楽)のため、ドゥカを一方的に押し付ける仕組みも見たブッダは、スカという虚構を暴くことで、押し付けられた側をドゥカから解き放った。※引用者加筆.

情報分析官

釈迦の教えを忠実に知ろうとしたとき、拠り所にできるたった一つの教えが、最初に述べた「縁起」(中略)釈迦は、「(※全知全能ではない人間に神が全知全能だとわかるという)アプリオリなものはない」とはっきりいいました。「アートマン(※自我。釈迦を除くすべての東洋思想ではアートマンだけは実在するとされてきた。釈迦はアートマン(種子の永続性)を否定している→空)」 などというものは、何ら実体のないものだ、と釈迦は考えたのです(中略)釈迦が「悟り」を伝えたのは、たまたま、その辺にいた人たちです。何の交通手段もない時代、釈迦が教えを説いたとき、たまたまその辺で歩いていたごく普通の人たちです。中には極貧の人々もいたでしょう(中略)釈迦が教えたのは、明らかに「縁起」です。だから釈迦は危険視され、迫害され、もしかすると暗殺されたかもしれないです。社会の根本原理、近代社会でいえば憲法にあたるようなバラモン教の教えを否定した釈迦とその教団は、いってみれば「アナーキスト(無政府主義、秩序破壊者)」とさえ捉えられたでしょう。だからこそ、「釈迦原理主義」の立場に立つ私も、「縁起」の考え方を圧倒的に正しいと確信するまで学び、かつ身体で経験することこそが「悟り」だといえるのです(中略)釈迦が語ったことは、とにかく「縁起」に尽きるのです。このことから極論してしまえば、本当に釈迦が教えたこと、つまり本当の意味での仏教は、「宗教ではない」のです(中略)つまり、釈迦が「縁起」を語ったのは、あくまでも「生きている人たちの哲学の話」だったのです(※釈迦の悟りは輪廻という無限のサイクルから離脱できる→ 梵我一如の否定)───苫米地英人博士(著書名失念)※引用者加筆.

情報分析官

ガンは、完治の例や意義ある緩解例が増えているにもかかわらず、いまなお多くの人びとにとっては不治の病である。私たちは自分の人生で死と出会う前に、死とその過程について時折考える習慣を身につけるべきである。でないと、家族の誰かがガンと診断されたとき、その事実は容赦なく私たちに自分の死を思い出させる。だれかが病気になったとき、その病人の生き死ににかかわらず、死とその過程を自分の身に置き換えて考えることは祝福となるだろう(中略)人間はこの世における自分の命の終わりに、すすんで目を向けようとはしない。ただ時折、それも仕方なく、自らの死の可能性をちらりと垣間見るだけだ。そうした機会のひとつが、自分が致命的な病気だと知ったときである。ガンがあると告げられただけで、患者は自らの死の可能性を意識する(中略)末期患者の精神療法(中略)一般に、教育や教養、社会的束縛、職業的責任のあまりない人は、物質的な豊かさ、楽しみ、対人関係などの面でより多くを失うことになる裕福な人に比べると、この最終的な危機を直視するのがいくぶん楽なようだ。

鈴鳴りひびき、鈴にききいる。というのがある。普化(ふけ)を思い出す。普化はシナ唐人の人。自分で棺の中にはいって、人に釘うちつけさせて、死んだという。あとから棺を開くと普化はいなかった。空中に鈴の音がして、何だかだれか虚空をわたっているように覚えたという話である。

恐山の由来についていえば、天台宗の慈覚大師円仁が開山となっているけれど、これはたぶん伝説にすぎないね。天台修験道か何かが入り込んでいたんだろう。とはいえ江戸時代には完全に荒廃していたのを、曹洞宗円通寺が再興したので、これが認められて、代々、円通寺が本坊として恐山霊場を管理することになったのだ。現在は、恐山霊場(恐山菩提寺)は、円通寺の別院扱いということになっている(中略)実際のところ、恐山の霊場は、宗教としてはどの宗派にも属していない。もちろん管理しているのは曹洞宗寺院だが、誰も恐山が曹洞宗だなんて思っていない。あそこは端的に霊場なんだ。霊魂があるかないか、ではない。イタコが厳然と存在し、亡くなったお父さん、お母さん、あるいは早世した息子や娘にまつわる、行き場のない揺らめきうごめく感情のリアリティが満ちている。

日本仏教には、一貫した「死後の世界」はないのだ。霊魂に関しても、考え方はまちまちだ。たとえば、真言宗・天台宗・日蓮宗は霊魂の存在を認めている。

禅は裸である。だからキリスト教のマントを着てもいいのだ」、という考え方が鈴木大拙さんによって紹介されました。

アイデアを誰かに与えても、それは自分に残る(中略)新しい知識の特徴は、それが実用的または概念的なものであるか、あるいは技術的または社会的なものであるかにかかわらず、他者に与えたあとも自分に残っている点にある。ジェファーソンのロウソクから火をもらっても、彼のロウソクはなくならない。

情報分析官

『新約聖書』によれば、イエスが十字架に架けられたとき、イエスの両側には死刑を宣告された2人の泥棒が十字架に架かっていた。そのうちのひとりは、死に際にイエスに入信したことになっている。そのとき、イエスはこう言った。「よく言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカによる福音書23:43)(中略)ところが、ユダヤ教の聖典『旧約聖書』には、そんなことは書かれていない。『旧約聖書』では、この世が終わらないと最後の審判がないからだ。ほとんどのキリスト教徒は、『旧約聖書』と『新約聖書』の両方を神の言葉とし、絶対的な真実として信じている。なので、どんな詭弁でもいいから、この矛盾を何とかして片づけねばならない、としたのが後のキリスト教神学だった。解決策はこうだ。「審判は2回に分けて行われている。死後すぐの『私審判』と、最後の日の『公審判』。私審判を受けるのは魂のみだから、その時点で天国行きが決まったとしても、公審判まで身体だけはお墓の中で眠っている。身体が復活し、天国に行けるのは最後の日に行われる公審判のときだ」。キリスト教圏で育った私ですらクビをひねりたくなるような理屈だが、死者はどうなるのかというと、身体だけはそのまま「眠って」いる。つまり、永遠に眠るのではなくて、最後の審判まで眠るということだ。その審判が来たらみんな起こされて、身体のない人には新しい身体を与えて、天国と地獄に振り分けられる。それがキリスト教の考えだ。

「死んだあとに大切なのは、魂であって脳じゃないの」(中略)修練女の自伝はほとんどがそうだが、シスター・ジェネヴィーヴも魂に関する記述で最後を締めくくっている。

フロイトやユングたちには「心が実在する」、いやもっと正確に言うと「魂は実在する」と言う暗黙の前提がある。これはやはり彼らが一神教の影響を受けているからでしょうね。フロイトはユダヤ教の家庭に生まれて、一方のユングはプロテスタントの牧師の家に生まれています(中略)集合的無意識の発想の源になったのが仏教の唯識説であったと言われています。実際、ユングは東洋思想に傾倒したオカルティストで、仏教にも興味を持っていましたから、阿頼耶識から集合的無意識のアイデアを得た可能性はあるのかもしれません。

チベット密教の生まれ変わりを例にすればわかりやすいと思うけど、生まれ変わりってあれはアートマンが生まれ変わったわけじゃないのね。アートマンがやった縁起を次の人が継いだから生まれ変わりっていうの。大切なのは縁起を継続するってこと。アートマンは死ぬけど、縁起は止まらない。自分がやったことの玉突き運動は永遠に続くわけで、玉突き運動にこそ永続性があるわけだ。だからこの世が四次元であると〝分かった〟四次元人は、社会に対してなんらかの影響が残ることをする

ディズニーはよく、好んでこう質問した。「どうして大人にならなくちゃいけないんだね?」

752年に奈良の大仏が開眼(完成)したのだが、聖武天皇が敢行したこの国家的大事業は、「我が日本にも中国にあるのと同じような大きく金色に輝く大日如来が欲しい」という、いかにも小中華の思想である。この大仏の建造と金メッキ作業を行った行基(668〜749)も多くの信者を得た不思議な僧だ。土木業者であり、いつも1000人ぐらいのエンジニアが行基に連れ従っていたようだ。行基は道昭(629〜700)という法相宗の僧の弟子である。そしてこの道昭こそは、何と653年に遣唐使で長安まで行き、玄奘三蔵から直接、習った日本人なのである。もう一人いるようだ。この事実は重い。日本人僧の中で唯一「三蔵」の称号を与えられたのが、法相宗の霊仙(759〜827)という僧である。この霊仙は、空海、最澄と遣唐使の同期(中略)最澄の場合は、前述した義真という弟子がいた。義真は渡来人(中国人)との混血で、中国語ができた。だから最長の通訳として一緒に中国へ渡った。義真は、最澄の次の天台宗の2代目門主(=最高の地位)になっている。こういう事実を天台宗の本山は隠していない(中略)最澄が空海に『理趣釈経』という仏典を貸してくれと頼みに行っている。しかし、空海は「悟りは文章修行ではなく実践修行によって得られる」と言って、冷たくあしらっている。813年のことで、空海が40歳、最澄が47歳の時(中略)最澄を含めての5人の弟子たちも、空海に灌頂(頭に水を垂らす儀式。キリスト教のバプテスマ、洗礼によく似ている)の儀式をしてもらっている。だから空海のほうが格は上だった。しかし最澄(伝教大師)の方が正式の国家エリートだったようだ。最澄の弟子の泰範が空海の元に行って、比叡山に帰って来なかった(816年)りして、2人は激しく派閥闘争と思想闘争をしている(中略)このような日本の仏教の中国からの輸入とフランチャイズ(支店経営)の基本のことを日本人がきちんと理解しようとしない(中略)同時代人として最澄と空海の2人とも当時の中国の仏教界の影響を強く受けているから、観音信仰と弥勒信仰を持っていた。空海は死ぬ2年前に、遺言となる最後の論文を書いている(中略)ここにはまさしく弥勒下生が説かれていた(中略)空海はこのように遺言している。「私は弥勒菩薩と共に、下生(地上に降りて来て)して皆を救済する」と。これと同様のコトバを中国天台宗の創始者の天台大師・智顗も残している。それは日本に伝わった天台宗の比叡山延暦寺に残されている。空海は真言宗であるが、天台宗とほとんど変わらない。ただし真言(マントラ)宗は、チベット仏教であるから「密教」をより大事にする。チベット仏教(ゼウス教)からの仏典である「大日経」と「金剛頂教」「理趣経」を大事にする。弥勒菩薩よりも観音さまがちゃんと出てくる。「自分が死に臨んでは、観音来迎し給う。久しからず応に去くべし。」と天台宗の開祖智顗が言っている。「自分が死んで、観音さまが私を迎えに来た。さぁ、さっさと天へ行こう」という意味である。まさしくこれが「昇天」である。それに対し「降臨」は、メシア(救世主)がこの地上に還ってくる、ということだ。弥勒菩薩に連れられて、この地上に帰ってくるという理屈である(中略)だから、空海は弥勒と共に、この世に再び降りて来ると言った。これが弥勒下生という思想だ。これでようやく阿弥陀如来・観音菩薩・弥勒菩薩の三人の女神が出揃った。全てキリスト・マリア信仰の変生であった

敦煌莫高窟(第45窟)の釈迦7人像では、釈迦のすぐ両脇が弟子、その次に2人の美女の女神(比丘尼)がいる。これが、観音と弥勒であろう。そして、さらにその外側に、2人の鬼のような顔をしたガードマンがいる。邪鬼を足元に踏みつけている。これが「天」とか「明王」と呼ばれる軍人、護衛兵の仏像だ。日本では、この軍人ガードマンの神のうち毘沙門天と不動明王がことさら有名である。すべてヒンドゥー教の神たちである。それが日本にまで流れ着いただけのことだ。ゴータマ・ブッダの教えに「天」とか「明王」とかはない。なぜか江戸時代になって、「七福神」信仰と共に、このヒンドゥー教の神様たちが、民衆仏教として、参拝の対象になった。東京でなら、目黒不動尊(瀧泉寺〈天台宗〉)や、柴又帝釈天(経栄山題経寺〈日蓮宗〉)や、神楽坂毘沙門天(善國寺〈日蓮宗〉)(中略)『観音教』という仏典は、「法華経の第25章」のこと(中略)(※法華経の一部である観音経とは)「ただひたすら観世音を拝め、そうすれば、あまねくその功徳(慈悲の力で)が得られるだろう」というもの(中略)全編この感じだ(中略)法華経は天台宗(比叡山延暦寺)が唯一、聖典にしている仏典だ。〝天台法華〟と呼ばれる。後の日蓮宗もここから分かれたと考えるべき(中略)あれこれ読むと、阿弥陀如来(アミタユース)の左脇侍(脇士)とされるのが観音菩薩である。そして大勢至菩薩という、もうひとり訳のわからない菩薩が出てきてこれが右脇侍である。これで「阿弥陀三尊像」という。これは明らかに「釈迦三尊像」(宗派によって、さまざまあるが、展型はブッダの脇侍は、忠実でまじめだった阿難〈アーナンダ〉と、バラモン出身の大迦葉〈マハーカッサパ〉である)のコロラリー(類推)として生まれたもの(中略)「プンダリーカ」が「パドメ」(padme)である。パドメは、「赤い蓮」や野山の「レンゲ(蓮華)草」のことも指す。そしてこのパドメこそは、古い観世音菩薩(中略)天台宗(比叡山)も、日蓮宗も、その他の法華経を自分たちの聖典とする宗派はすべて、観音さま=アヴァローキシュヴァラ=マリアさまを、ひたすら崇拝している仏教である(中略)マリア信仰(民衆救済思想)は、爆発的な力となって、北インドで仏教と混ざった。そして阿弥陀さま、観音さまが出現(中略)しかしこの「神(デウス)とその子(イエス)と精霊(スピリット)の三者が一体で神だ」というのは大変なごまかしの理論である。特に、3つ目の「精霊」は意味が分からないし、どこから出てきたのか、何の説明にもなっていない。天なる父がいて、その子イエスがいて、そこに精霊をかませる、というのは荘厳な作り話だ。人間イエス・キリスト、その妻マリア、父ヨゼフ、母のマリアという、当たり前の真実を覆い隠してしまう詭弁である。イエスもマリアも生身の人間であったとするのがアリウス派(中略)三位一体のアタナシウス派が主流となって、その後のローマ・カトリック教会をつくっていった。そして巨大な偽善(ヒポクリシー)の集団と化していった。同じように仏教の中でも大きな変質が生まれた(中略)法華経というなぜだか一番威張っている経典の中に、「観世音菩薩が現れて、この世を救う」と、ブッダから聞いたと、弟子のシャーリープトラーが書き残したとしてある。ブッダが生きた紀元前500年には、阿弥陀さまも観音さまも、まだ現れていない。そして今の中国の西方の敦煌莫高窟に彼女たちは現れている(中略)お釈迦さまとその横にいるアーナンダ(阿難陀)とモッガラーナ(目犍連)と、そしてさらにその横にいる2人の女性である。彼女たちが観音と弥勒(ミロク)なのだ。この2人の美女が、やがて民衆を助けに来る菩薩となったのだ。浄土宗の阿弥陀如来の系統とは違う。しかし、どちらも同じく救済の女神を信仰する仏教

福島原発事故以前の治療が2011年以降も行われている可能性を考えてみよう。時代に合ったことをやっているかどうかは病気の種類にもよるだろうから、直接聞いてみるのがいいだろう。私自身、個別にお返事する時間がないのですが、「マインドウィスパリング スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n869030f183e8



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