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人が自由に創造的な発想をするためには、報酬などはかえって邪魔になる

ゼロが強力なのは、無限と双子の兄弟だからだ。二つは対等にして正反対、陰と陽(中略)ゼロは、新しい教えの象徴

有益な情報を切り抜いて上に提出するんだよ。それをやるとまず知識量が圧倒的にふえる

ゼロは、「無い」ではなくて、「ゼロが有る」ということ

グレインサイズは知識の量がないと上がりようがない。なぜなら抽象化ってもとの知識があってこそだから。もとの知識がないのに抽象化なんかできない

後に劇作家となる少年(※シェイクスピア)がゼロと格闘した様子が目に浮かんでくる。少年は目を閉じてそれを見ようとする。しかしなにもないものを見るのは容易なことではない(中略)「シェイクスピアは自分本意とは無縁の人だった」と一九世紀の批評家ウィリアム・ヘイズリットは書いている。「彼は自分自身では何者でもなかった。しかし彼はそれ以外のあらゆる人々だった、あるいはあらゆる人々がそうなれた存在でもあったのだ」。この何者でもなかった彼は、かつて小学生のときに、ゼロという空っぽの数字が奇妙に充実していることを理解した ※引用者加筆.

取捨選択が抽象化

あるゲシュタルトは他のゲシュタルトの存在を前提としており、そのゲシュタルトもまた別のゲシュタルトの存在を前提とし、そのまたゲシュタルトも・・・・・といった具合である。その結果、普通どんな状況であれ、状況を完全に理解するために必要となる背景の構造はすこぶる広大である。

カルダーノの未来思考はまったく近代的ではなかった。困ったときには、「占い師や魔法使いに会いに行き、私のさまざまな問題に何らかの解決策を見つけようとした↓

占いでも、スピリチュアルでもなんでも、絶対的なものになにかひとつプリンシプルに決めるのは諸刃の剣(中略)大切なのはいいとこ取りではなく、プリンシプル(中略)プリンシプルが「平和共存」(中略)プリンシプルを見つけるには、自分がいまいる空間をリアルに見ることが必要(中略)答えは知識だ。経験も含めた知識(中略)それは大量に必要となる。整理整頓など追いつかないほどの膨大な量で、系統だったものも、雑多なものも区別なくたっぷり混ざりあって混沌としている知識。そういったカオスの中から統合感覚であるゲシュタルト(形態・形)が生まれ、ヒットの予感が立ち上がってくる

適切なものを切り抜くにはゲシュタルトがないとできないんだけど、ゲシュタルトは切り抜かないとできない

有益な情報を切り抜いて上に提出するんだよ。それをやるとまず知識量が圧倒的にふえるからね。グレインサイズは知識の量がないと上がりようがない。なぜなら抽象化ってもとの知識があってこそだから。もとの知識がないのに抽象化なんかできないよ。釈迦の空と同じで賢いから悟れるんであって、バカは空は悟れない。釈迦もバカも結果は「情報はほとんどない」ってことで同じだけど、抽象化して「情報はほとんどない」にたどり着くのと、もともと情報を持っていないのとでは意味が全然違うからね(笑)。包摂化しないと意味がない(中略)取捨選択が抽象化(中略)適切なものを切り抜くにはゲシュタルトがないとできないんだけど、ゲシュタルトは切り抜かないとできない(中略)幅がある中で、毎日20から30の記事を切り抜くとなるとキーワード検索じゃダメだってことはすぐにわかるよね。ゲシュタルトを自分で作って(中略)絞り込まないといけないわけだ(中略)ひらめきとは、いちいち、どの抽象度ってことを深く考えなくても自然に最短的にわかるってことね。

幅がある中で、毎日20から30の記事を切り抜くとなるとキーワード検索じゃダメだってことはすぐにわかるよね。ゲシュタルトを自分で作って

エルゴノミックな教育というのは、さまざまなやり方を組み合わせる教育だ(中略)メディアの偏向によって、真実は歪曲されていく。情報の偏りに立ち向かうのは難しい。あらゆる情報の真偽を自分自身で確認していくことはできないが、理解の仕方を変えることはできるはずだ。最も重要なのは純粋な主観だ。主観を発揮すればするほど、偏りに気づくことができる(中略)“機能的固着” とは、物体の元々の機能だけに考えが固定されてしまい、他の使い道を考えられない状態のことをいう。有名なロウソク問題はこの研究のため、ドイツのゲシュタルト心理学者カール・ドゥンカーが考案(中略)心理学者のサム・グラックスバークはこのロウソク問題を使い、報酬が被験者の能力を高めるかについて実験した(中略)難易度が上がった場合、思いがけないことに、報酬が無いほうがあるよりも解答時間が早かった。これはつまり、人は報酬などがあることで、既存の思考の枠にとらわれてしまうことを示している。人が自由に創造的な発想をするためには、報酬などはかえって邪魔になるのだ。

難易度が上がった場合、思いがけないことに、報酬が無いほうがあるよりも解答時間が早かった。これはつまり、人は報酬などがあることで、既存の思考の枠にとらわれてしまうことを示している

じつは、勉強を続け、知識を獲得し、たくさんの知識のゲシュタルトをつくっていくと、いままでの自分に見えていなかったものが見えてくるという効用があります。人間は、まず知識があって、それから認識が生まれます───苫米地英人博士(著書名失念)

人間はさらに抽象度を上げていくと、ゲシュタルトとゲシュタルトを合わせて新たなゲシュタルトをつくることができます(中略)ゲシュタルトをつくり、課題を頭に放り込んでおくと、あるとき入ってきたちょっとした情報がきっかけとなって、ゲシュタルトからポーンとアイデアが出てきます(中略)ゲシュタルトが大きければ大きいほど、あるとき入ってきたインプットが、放り込んでおいたさまざまな情報や課題と響きあい、意表を突くアウトプットが出ます(中略)世界は矛盾があって当然なのですから、矛盾も含めてぜんぶそのまま頭の中に放り込んでおく(中略)知識がゲシュタルトの一部となるのは、その知識を興味を持って取り込んだときだけです。心から興味を持って知識を得ないと、ゲシュタルトを大きくすることにはならない(中略)人々は今でも「部分が全体をつくる」「部分を順に見ていけば全体が分かる」「部分を順に追っていけば答えが分かる」という考え方にとらわれています。しかし、実際は違うのです。全体が部分から成り立っているだけでなく、全体と部分が双方向的に関係しており、全体が分かることで部分が分かるのです。この全体と部分との双方向の関係を「ゲシュタルト」といいます。そして、ゲシュタルトによって事象を認識する能力を「ゲシュタルト能力」(中略)本当に頭のいい人は、ゲシュタルトができているので、たとえ必要に応じて順を追って思考しても、自分の頭に中で迷路に迷うということがありません。ゲシュタルトができていることによって常に全体が見えているからです。部分を追いつつ、全体が見えている。部分にフォーカスするのも、全体を俯瞰するのも、自由自在にできる。それが本当に頭のいい人であり、それができるのはゲシュタルトができているから(中略)ゲシュタルトができていれば、全情報を手に入れなくても、部分情報を手に入れただけで、それが何か一瞬で分かります。部分情報が分かれば、同時に他の部分情報も分かる(中略)「抽象度が低いと感情に支配される」のはなぜでしょう? 賢明な皆さんはすでにお分かりかもしれませんが、抽象度の低い人は、視点が低いのです。

ゲシュタルトができていることによって常に全体が見えているからです。部分を追いつつ、全体が見えている。7:58 〜↓

心的イメージによって、チェスマスターは初心者とは違って「森」を見ることができると同時に、必要に応じて個別の「木」に照準を合わせることもできる(中略)傑出した技能を持つ人々とふつうの人との違いは、心的イメージの質と量である。長年にわたる練習を通じて、エキスパートは現場で遭遇しそうなさまざまな状況に対応するきわめて複雑で高度なイメージを作り上げる(中略)こうしたイメージによって、特定の状況によりすばやく正確な判断を下し、迅速かつ有効に対応できる。初心者とエキスパートのパフォーマンスを分ける最大の要因がこれだ。

ゲシュタルトができていれば、全情報を手に入れなくても、部分情報を手に入れただけで、それが何か一瞬で分かります。部分情報が分かれば、同時に他の部分情報も分かる

下がった目線を上げる一番の方法は、目線の高い人と一緒にいることです。カッコいい大人といるだけで、目線を高く保てます(中略)カッコいい大人は、誰もやりたくない役割を引き受ける(中略)あまりしたくない仕事もあります。地味で、それをしたからといって評価されない仕事です。自分の手柄にもならないし、面倒くささだけが残ります(中略)そういう仕事を引き受ける人が、「あの人、すごいな」と思われて、みんなから一目置かれるのです(中略)誰もがやりたがらない仕事をする人を、まわりの人は評価します(中略)カッコいい大人は面倒くさいことができる

創造的な人々は繰り返し拒絶を受けても、やり通す能力を持っている(中略)なぜなら創造的な人々は境界を乗り越え、新しい見方をする傾向があるので、繰り返し拒絶されるのが普通だからである(中略)創造的な人々は非常に好奇心に富んでいる傾向がある。どうやってとか、なぜとかを理解すること、ばらばらにしたものをもとに戻すこと、通常の社会では隠されあるいは禁じられるべきであるとされる精神や魂の領域にまで入り込むことを好む(中略)本格的な身体運動を始めたとき多くの人が感じるように、創造性の運動も難しいことに気づくだろう。まず第一に、自由になる時間がほとんどない。第二に、あったとしても、心の挑戦をやってみるには疲れてくたくたという気がする(中略)しかし続けるうちに脳の中にも「心の筋肉」がついてきて、運動もだんだん楽になり、楽しくさえなるだろう(中略)さらに動機づけをするならば、アルツハイマー病のような脳の変性病から守る強力な因子の一つはより高度な教育だということが、神経科学でわかっている。


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