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ゴルトン・ボードを数学的に証明したのがピエール=シモン・ラプラス

いかに日本人が儒教に洗脳されているかについて、繰り返し述べてきた。これも、儒教にどっぷり洗脳された人に、儒教は悪い、一つもいいことがないと覚醒を促すことで、見えなかったものを見えるようにするためだ。

奇妙に聞こえるが、ある意味では多くの者がサイコパスを求めている

墨子の学派(墨子を祖とする学派、墨家)は論理概念を重視し、なかでも必要十分条件、矛盾律(無矛盾性の原理)、排中律に着目していた。

『墨攻(ぼっこう)』 という、日中韓合作の映画があります(中略)主人公のアンディ・ラウが、たった1人で、ある小国を敵の大群から助ける物語です。

戦国時代に孔子の弟子たち(儒家)と対峙,天下の思想界を二分したのが墨家である。

自分がその状況にいたらどういうふうになるか、真に迫ったシミュレーションを実行する。それができる能力こそ、映画や小説のような物語が人をのめり込ませ、人類のあらゆる文化に広がっている理由である。まったく知らない人のことであれ、架空の人物のことであれ、あなたは彼らの苦悶、彼らの恍惚を経験する。あなたは自在に彼らになり、彼らの人生を送り、彼らの立場に立つ。あなたは他人が苦しむのを見るとき、それは彼らの問題であって自分のことではないと、自分に言い聞かせようとするかもしれない───が、脳の奥深くのニューロンには、その差がわからない(中略)神経の話として、他人の痛みを感じるこの能力は、私たちが自分の立場を離れて相手の身になれる理由のひとつである。しかし、そもそもなぜ私たちにはこの能力があるのか? 進化の観点から考えて共感は有益なスキルだ。人が感じていることをうまく把握できたほうが、人が次にやることを正確に予測できる。 とはいえ、共感の正確さには限界があり、多くの場合、私たちはただ自分自身を他人に投影しているだけである。

自分たちのために働いてくれるラフプレイヤー

私たちの一部が時に望むものは、究極的には支配でき、私たち自身のものであると言うことのできる、自分たちのために働いてくれるラフプレイヤーなのである。奇妙に聞こえるが、ある意味では多くの者がサイコパスを求めている(中略)異端、異能の集団に属しているのがサイコパスである。彼らは、人類が存続するかぎり遺伝子プールに彼らの諸特性を保存しておくというコストがかかり、平時にあっては社会のはみ出し者であり、享楽的寄生者であるにせよ、しかし非常時においては窮地を脱し、繁殖しつづける可能性がある。結局のところ、果たして私はサイコパスなのであろうか? カテゴリー的に分けるとすると、その答えはノーである。しかしこれよりもよい答えは、私は向社会的サイコパスである(中略)私は怒りをコントロールすることが可能(中略)悪いカードの組み合わせをもって生まれてきても、それは養育によって実際に克服可能である(中略)私が天使でないことは確かである。しかし私はもっとワルになっていた可能性があったのだ。サイコパシーに関連する諸特性や遺伝子を社会から除去すべきだ、とは私は思わない。そんなことをすれば、社会は停滞し、私たちは排除されてしまう。

向社会的サイコパス

心の理論は、人間か動物にかかわらず、相手の立場になって、相手がどんな思いをしているのか想像できるかどうかが基準となってくる。アメリカには「相手を裁く前に相手の靴を履いて1マイル歩け」ということわざがある。わかりやすく言えば、相手を裁く前に、相手の立場に立って、相手がどんな思いをしているのか、どんな苦労をしているのか知った上で裁きなさいということである。これが「心の理論」の基本である(中略)世界を理解できるという状態に一番近づけるのは、どんな場合でも、エージェントたちが作り出す記述を通してでしかない。

何回も何回もコインを投げ続けていると、最終的には半々に近づいていくことが、保証されている。しかしながら、わずか数回しかコイン投げを行わない場合には、全部表(あるいは裏)になることも充分起こりうる。

異端、異能の集団に属しているのがサイコパスである。彼らは、人類が存続するかぎり遺伝子プールに彼らの諸特性を保存しておくというコストがかかり、平時にあっては社会のはみ出し者であり、享楽的寄生者であるにせよ、しかし非常時においては窮地を脱し、繁殖しつづける可能性がある

数学的思考は論理的思考じゃないからね。数学は “ひらめき” だから芸術と同じ(中略)確率でいうとベイズの確率がひとつあって、コインは常に2分の1で表か裏が出る。100万回振っても次の一回はやっぱり2分の1の確率でしょ。でも、デンプスター・シェーファー理論以降の確率論は千万回とかやっていると、そのうち表か裏かどっちかに収束していくのね。要は一つ前の事象が次に影響を与えるんだよ(中略)だって現実問題としてベイズの確率なんかありえないよ。今日の天気は昨日の天気に影響されるに決まってるじゃん(笑)(中略)でしょ。前の日の状態が今日に影響を与えるのは当たり前だよ。ということは、すべての事象は独立ではありえないというデンプスター・シェーファー理論のほうが正しいわけだ。でも、確率論を学ぶときはいまだにベイズ理論を使わなきゃいけないんだぜ(中略)統計学もそうでしょ。P値(P-value)って、あれはベイズの話だからね。ということは「ベイズ確率でやりましょう」というルールなんだよ。でも、「本当に使う時はデンプスター・シェーファー数学を入れたほうがいいと思いますけど」っていっても、「それはルール違反だから」ってなっちゃう。これが論理だよ(中略)ルールの中で上手に泳ぐっていうのと、より理想的なルールを作るというのは別の話だからね(中略)両方やったらいいんだよ。別のものだから(中略)俺は好きなことで社会を変える側だから「儒教をやめろ」っていろんなところで言ってるわけだ。そのためには数学的な思考がいるわけね。なぜかというと新しいルールを提示しないといけないわだけから(中略)先に生まれた者に無条件で従えという儒教のルールをやめろって言ってるんだからね(中略)バラモン教でいえば、アートマンは永遠に変わらないと思ってる人ね。ちなみにアートマンとはバラモン教における宇宙の根本原理で、未来永劫変わらない固有の性質がひとりひとりの心の中にあるっていう考え方ね。だから、彼らの宗教では生まれ変わりが信じられるわけ。で、バラモンにはもうひとつブラフマンという根本原理もあって、これは普通の宗教でいえば神のことなんだよ。だから、バラモン教の人たちは個々のアートマンを神であるブラフマンと合一させることが究極のゴールなわけね。でもさ、生まれ変わりって、本当に生まれ変わりなの?って思わない(笑)?。

悪いカードの組み合わせをもって生まれてきても、それは養育によって実際に克服可能

優れた文章とは、あなたの頭のなかにある考えを他者の頭に届けるものである。

サイコパシーに関連する諸特性や遺伝子を社会から除去すべきだ、とは私は思わない。そんなことをすれば、社会は停滞し、私たちは排除されてしまう

たとえば、「魅惑者(チャーマー)」タイプの精神病質者(※自閉症精神病質サイコパシー)の多くには警戒を解かせるような好ましさがあるが、彼らが治療可能になることはなく、また危険度が変化することはない。※引用者加筆.

サイコパシーは現実の世界の役者である

私たちは自制心に抑えこまれずに人生を生きていくことに憧れを感じながら、一読者、あるいは一聞き手としてサイコパスと自分を重ね合わせているのだという───司法精神科医ロナルド・マークマン博士

私たちは自制心に抑えこまれずに人生を生きていくことに憧れを感じながら、一読者、あるいは一聞き手としてサイコパスと自分を重ね合わせている

サイコパシーは現実の世界の役者である(中略)彼ら(※サイコパシー)の多くは、礼儀正しく魅力的である(中略)この種の人間は演技力に長けるため、私たちと同じ健常者であるかのように完璧な演技をするのである(中略)彼らの多くは健常者のように自由な生活を送っている(中略)彼らは私たち健常者と同じに見えるため、長い間、周りの人間を欺き続けることが多い(中略)読者の中には「製造の時点」で「不良品」である人間がいるという事実が信じられないだろう ※引用者加筆.

精神科医の権威に対して平気で疑義をさしはさむ、頭の切れる生意気な若者

「反抗的行為障害」という、忘れてはいけない作りごともある。この診断はときどき、確たる立場の年上の人物、たとえば精神科医の権威に対して平気で疑義をさしはさむ、頭の切れる生意気な若者に対して下される(信じられないかもしれないが、これは精神科医が実際に、患者の保険会社に医療費の請求ができる診断名である)。このシンドロームをでっちあげた人間はだれにせよ、頭がいい。患者が診断に対して異議や抗議の態度をとれば、そのこと自体を診断の妥当性を支持する所見として解釈できるからだ。つまりは、反論不能性が定義そのものに組み込まれている(中略)芸術家はときに、予測可能性や秩序からの逸脱を利用して、心地よい効果を作り出す。

ゴッホはジギトキシンの毒の副作用に苦しんでいたと考えられ、視界全体が緑黄色がかって見えたようだ(中略)察するにゴッホの主治医がジギトキシンを大量に処方したか、ゴッホのマイクロバイオータには、この薬の副作用を防ぐ腸内細菌がいなかったのだろう。

漫画『ONE PIECE』の連載当初、麦わら帽子の画家ゴッホは薬の副作用ではなく、染色体異常のために視野全体が緑がかった黄色に染まっているとされていた。海賊バギーは染色体異常特有の顔をしていたし、海賊王ロジャー、シャンクス、ルフィは麦わら帽子をかぶっていたことから染色体異常がテーマだろう。そんなルフィを不憫に思った父親が、革命を起こして息子のルフィを助けようとする物語。伏線回収にガープの妻が登場するかもしれません。Within the Japanese anime titled “One Piece” the name of the old Macrobiotics monthly magazine, written in Kanji, translates to “world government”. Currently titled “Macrobiotique” Gautama Siddhartha, known as Buddha, said Brahman’s teaching is not correct because there has not been a person reborn so far. Due to this his teachings are only about 50% right but not 100% wrong.

日本国内にも厳然と存在するカースト制度(中略)たとえば、インドであれば、カースト上位のバラモン、クシャトリアに生まれなかった人は機会ゼロです。私は少し前に、ヒンディー語をしゃべる女性がNHKのアジアのテレビ番組に出ていたのをちらりと観る機会がありました。その女性は額の中央に赤い印をつけており、身なりや立ち居振る舞いからも明らかに典型的なバラモン出身でした。そのとき私は、NHKがカースト制度強化の手助けをしていると強く感じました。堂々とバラモンの格好で出演させるということは、カースト上位でなければテレビ番組に出演できないということを、天下に知らしめているのと同じことです。いまだにカースト制度を維持しているインドは例外的な国だと考えるかもしれませんが、表向き平等を装っている世界の国々においても、見えない身分制度はいまだにつづいています。日本においても、事情は同じです───苫米地英人博士(著書名失念)

麦わらのソフィーも同じ設定だと思います。

遺伝病などさまざまな遺伝子異常を持つ人は「分類」され、レッテルを貼られ、職業や結婚など社会生活のすべての側面で差別される

(※1869年、フランシス・ゴルトンは)『遺伝と天才』(日本では1916年に早稲田大学出版部が発行)を発表(中略)彼らは自らの計画を「優れた種」を意味するギリシャ語にちなんで「優生学(eugenis)」と呼んだ(中略)しかし、そこには負の面もあった(中略)ゴルトンは、精神障害者や犯罪者、貧困者らは「下層階級となる子孫を残す機会を制限するために」修道院に収容されるべきだと主張した。人種改良の発想は、雑草排除の考えに変わっていった(中略)(※ハリー・)ラフリンは劣った血統の市民を排除するための法案を通過させる力を持った政治家に働きかけるロビー活動家の役割を担当(中略)優生記録所にははっきりした使命があった(中略)劣った家系を見分けて、彼らの結婚や子作りを防ぐのだ(中略)自由にうろついているその類の人々には不妊手術を施すことだった(中略)望ましくない特徴の家系図の作成を指示(中略)計画では、不適格者のみならず、家族に不適格者がおり、不適格者となっていた恐れのある者も対象となっていた(中略)遺伝子プールからそのような血統を完全に断つこと(中略)リストには(1)知的障害者、(2)貧困者、(3)アルコール中毒者、(4)犯罪者、(5)てんかん患者、(6)精神障害者、(7)生まれつきの虚弱者、(8)性病患者、(9)奇形の者、(10)盲・聾・唖の者、の10項目. ※引用者加筆.

人間は言うなれば雑種で、人種の違いは存在しない

差別というのは因果的な概念である。現実を反映しており、常に安定している(※1810年、フランシス・ゴルトンの「遺伝の法則の典型」と題された講演。そこで使われたゴルトン・ボードを数学的に証明したのがピエール=シモン・ラプラス)(中略)現代の私たちがゴルトンの研究の欠陥を指摘するのは簡単だ。そもそも「優れている」とは何だろうか(中略)ゴルトンは、メンデルやハーディ、ワインベルクの業績をまったく知ることなく研究をしていた(中略)たとえ「ホイッグ史観」と罵られても私は言うべきことを堂々と言わなくてはいけないと思っている。※引用者加筆.

ゴルトンはグレゴール・メンデルの業績を知らなかった

優生学(eugenics)という言葉は、一八八三年に、イギリス人フランシス・ゴルトン(一八二二〜一九一一)によって造られた。

ゴルトンのこの選抜育種の発想が、優生学の始まりになった

「先天的対後天的」という表現は、チャールズ・ダーウィンのいとこであるフランシス・ゴルトンが広く一般に広めた(中略)ゴルトンは1000人近くの「著名」人を調べたが、ごく一部を除いて皆、イギリス生まれの男性であり、なかには彼自身の親戚も含まれていた(中略)天才は家系によるもので、遺伝であるから、人の能力は出生児に受け継がれるもの、という見方だ(中略)できることなら、ゴルトンのこの選抜育種の発想が、優生学の始まりになったことは忘れたい。なぜならこれが、国家社会主義の死の収容所につながったのだから。ゴルトンの考えはとにかく間違っていた(中略)ゴルトンはグレゴール・メンデルの業績を知らなかった(中略)それぞれの遺伝子が、その性質を現すか否か、現すならいつ現すかをコントロールしているのは、このスイッチ(※各遺伝子にくっついている小さなタグであるエピジーン)だ。簡単に言うと、遺伝子は生物の特徴の先天的な側面で、エピジーンは後天的な側面ということだ。人というものは、どのように育てられるかと、自分が生活する環境、そして自分がその環境や自分自身をいかにコントロールするかがそれぞれの遺伝子の活性化(表現)に影響する。※引用者加筆.

ニワトリ実験が示唆するところは、優生学が普通に実践されている家畜を対象にしてさえ、この理論は誤っていた

人間の改良を目指す人為選択を促進するために、「優生学」という言葉を造語したのは彼(※ダーウィンの半いとこフランシス・ゴルトン)だった(中略)フランシス・ゴルトンは、個体の能力と社会的な争いのあいだには単純な関係があると想定していた(中略)ところがニワトリ実験が示唆するところは、優生学が普通に実践されている家畜を対象にしてさえ、この理論は誤っていたということだ(中略)なぜなら、それはグループのメンバー同士がどう振る舞い合うかに依存するからだ(中略)(※トマス・ヘンリー・)ハクスリーは優生学を「ハト愛好家の政体」と呼んで嘲笑した(※優生学を否定し「ハト愛好家の政体」だとして揶揄した) ※引用者加筆.

ハクスリーは優生学を「ハト愛好家の政体」と呼んで嘲笑した

(※優生学とは)劣る資質の持ち主は(20世紀初頭のアメリカでは、北ヨーロッパ人以外を意味していた)子どもをもうけない方がいいとされた(中略)「欠陥」とされる資質を持つ人は不妊手術を行うべきだ、と。ビネーのIQテストを改訂した20年後、ターマンはヒューマン・ベターメント・ファウンデーションを共同設立した───「劣った」人種への不妊手術を擁護する団体である(中略)軍のためにプリンストン大学でSAT(※「Scholastic Aptitude Test(学力適正テスト)」)を研究した心理学者のカール・ブリガム(※反ユダヤ主義者)が、ターマンの後を継いだ。彼はターマンほど狂信的ではなかったものの、優生学を熱心に支持していた。しかし何年かのち、彼はテストにたいする考えを一変させた(中略)優生学者の集まりで講演するために招待されたブリガムは、その場で自身の疑念を口にした(中略)この分野の研究を進めれば進めるほど、心理学者たちが大きな罪を犯してきたと思えてならない(中略)死ぬ直前、彼(※ブリガム)は自身が作成したテストを「輝かしい誤り」と呼び、つぎのように書いている(中略)いまはそれを誰も信じていないことを願う───ブリガム(中略)(※ところが)ハーバード大学のふたりの革新論者(※優生学運動には手を染めていない左翼の改革派コナントとチョーンシーによる上流階級主義への対抗策としてSATを利用)が、SATの評判を救出し、猛烈に勢いづけることになった(※その後コナントは原爆開発マンハッタン計画の統括者に)(中略)彼らの努力が、アメリカ人の人生にSATを永遠に固定させる結果となった(中略)しかし最終的に、このテストの流行をもっとも痛烈に批判したのは、もっとも初期の主導者だったルイス・ターマンその人だった(中略)(※しかしながら)IQテストが予測装置として機能しないという事実も、知能テストにたいするアメリカの熱意を冷ましてはくれなかった(中略)21世紀のいま、SATは全世界の大学で実施されつつある。※引用者加筆.

劇作家のリリアン・ヘルマンは、下院非米活動委員会で声明文を読み上げた。その有名な一節をここで紹介しよう。「私は今の風潮に迎合して良心を捨てることはできないし、そうすることはしない」。

小説家H・G・ウェルズは、次のような文章を書いた。「私たちは、数は少なくとも、優秀な子供たちを望む(中略)私たちを苦しめてきた、生まれも育ちも悪い下等市民が大勢いては、私たちが目指す社会生活も世界平和も、実現は不可能だ」。(中略)(※マーガレット・サンガーは)「適合者の子供を増やし、不適合者の子供を減らす」ことができると主張(中略)(※コーンフレークの)ケロッグは、異常者になるべく運命づけられた者は「情欲の結果として生まれた」と発言(中略)(※ピグマリオン、マイ・フェア・レディの脚本家の)ジョージ・バーナード・ショーも、優生学の支持者だった(中略)ショーは下層階級の排除を全面的に支持していた(中略)『ピグマリオン』の主人公イライザ・ドゥーリトルのような貧しい花売り娘はもうたくさんということだろうか(中略)セオドア・ルーズベルトも優生論に加担した一人(中略)マディソン・グラントは、KKKや国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の偏見に科学的根拠を与えることとなった(中略)のちに染色体の研究でノーベル賞を受賞した遺伝学者のトーマス・ハント・モーガンは、グラントのいうような北方人種やアーリア人は存在しないと述べた。生物学的にいえば、すべての人間は多数の遺伝的背景が混ざり合った結果誕生している。人種はただ一つ、人類しか存在しない(中略)おそらく、最も鋭く反対意見を書き連ねたのは、イギリスの作家で詩人のG・K・チェスタトン(中略)チェスタトンはグレゴール・メンデルの科学と、マディソン・グラントの擬似科学の間にくさびを打ち込んだ(中略)米国の優生論者は、ヒトラーの活動を喜んで受け入れた(中略)IBM社は、ユダヤ人かどうかを判定できるように、家系図を整理するための装置をナチスに提供(中略)赤狩りに加わることを拒否した劇作家のリリアン・ヘルマンは、下院非米活動委員会で声明文を読み上げた。その有名な一節をここで紹介しよう。「私は今の風潮に迎合して良心を捨てることはできないし、そうすることはしない」。※引用者加筆.

人間は言うなれば雑種で、人種の違いは存在しない

「知識」とは推論エージェントの過去の経験の痕跡である(中略)バイアスは統計学的な概念だが、これは非常に不安定なものだ。データの切り取り方次第で簡単に消えてしまうことも多い。一方、差別というのは因果的な概念である。現実を反映しており、常に安定している(※1810年、フランシス・ゴルトンの「遺伝の法則の典型」と題された講演。そこで使われたゴルトン・ボードを数学的に証明したのがピエール=シモン・ラプラス)※引用者加筆.

学習することは除去すること(中略)階層的に抽象的規則を立てることは、貴重な学習時間を節約する(中略)この意味で、学習とは、規則どうしの内的階層構造を管理し、できるだけ早く、それまでの観察結果全体を要約する最も一般的な規則を推測しようとすることだと言える(中略)ベイズやラプラスが発見したのは何かというと、要するに正しく推論する方法だった。それはどんなに薄弱な観察でもすべてたどり、最もありそうな原因にさかのぼるべく、確率によって推理することだ

実際のところ、占いはただの予測ではない。新しい可能性に気づくように人の心を開かせるものなのだ

占いにはさまざまな手法があった(イギリスの哲学者トマス・ホッブスは、キリスト教プロテスタントが受け入れている占い以外はおおむね軽蔑していて、著書『リヴァイアサン』[岩波文庫ほか]に見事なリストを掲げている)。当時の人々はほぼ占いに重きを置いた。このため、キケロは経験的知識と占いの知識を注意深く区別したが、この区別を真に受けた人は皆無で、たいていの人は予言者や占い師の言葉を医師、水先案内人、将軍の言葉と同列に見た(中略)『易経』の歴史は、エリートの占いから神や霊魂がしだいに消えていき、人事に関わりのない哲学的な未来思考がしだいに重要性を増した(中略)きわめて豊富かつ複雑で、ときには難解ともいえる書になった(中略)(※最古の例は定式文の集大成『周易』。文言は64の異なる「卦」に対応し、それぞれの卦は3本の長い線または2分された線から構成された「爻(こう)」2つからなる)卦に関する豊富な解釈が中国における思想や哲学の中核に取り込まれていき、森羅万象を表す古代の太極図(陰〈点線〉と陽〈実線〉に2分されている)の形成につながった。卦と解釈をまとめて、人生と未来に関する一種の百科事典と考えてみるのも悪くないかもしれない。もちろん、この事典は占いに典型的な不透明な言葉で書かれている ※引用者加筆.

ベイズ問題に正しい事前確立などない(中略)そもそも基準率のデータが存在しないという場合もある

それぞれの卦から導かれる曖昧な「占い」の解釈はあまりに複雑で、『易経』に心惹かれた心理学者のカール・ユングがこう述べたことがあるほどだ。「『易経』の理論についてはあまり考えない方がよく眠れる」(中略)(※『易経』の)決まり文句は当時の人にとってもわかりにくかった。しかし、占いの多くの手法と同じく、占いにはわかりずらさはつきものだ。わかりづらいことから、占いが的中しなかったといいづらい。また占いに隠れた意味があるかどうか客に慎重に考えさせ、直感や示された意見について考えるように促す。実際のところ、占いはただの予測ではない。新しい可能性に気づくように人の心を開かせるものなのだ(中略)いろいろな意味で、カルダーノの未来思考はまったく近代的ではなかった。困ったときには、「占い師や魔法使いに会いに行き、私のさまざまな問題に何らかの解決策を見つけようとした」と彼は告白している。賭け事で負けが込んだときには、「運に見放されたのさ」と説明した(中略)(※カルダーノ、パスカル、フェルマーが取り組んだ「点数の問題(賭け金の問題)」での)パスカルの答えは、仮想の標本空間(※コイントスのようなプロセスの、起こるかもしれない結果すべての集合。これはカルダーノのアイデア)に「起こるかもしれないすべての結果を残らず列挙する」ことだった。数学は美しくてエレガントではあるが、現実世界の不確定要素を見捨てがちだ。したがって、パスカルの答えは確率論的な思考がはらむ典型的な危険性を浮き彫りにしてくれる(中略)選択の自由は幻想だと説いたラプラス(中略)自由選択など幻想にすぎない、とラプラスは論じている(中略)ラプラスが(※1662年、パスカルの友人2人による現実世界において起こりうる事象の根拠を確立論なら明確に示せるという『論理学、あるいは思考の技法(法政大学出版局)』が展開された。その)2世紀後に述べるように、確率論は確率の「計算論法」だ。しかし、その計算論法を現実世界に適用するにあたり、私たちは自分が根拠の薄い確信に頼っていることを忘れてはならない(中略)次の3世紀で、確率論の数学はどんどん洗練されていった。※引用者加筆.

ラプラスの考え方は、だれでも究めようと思えば究められる科学法則が存在すること、この一点のみに基づいていた。こうしてかつては預言者と神秘論者の領分だった予言は、客観的で合理的な近代科学の領域に持ちこまれた。

合理的な議論や誤謬が詭弁に陥ったときには、別の合理的な議論でそれを指摘し、正すことができる(中略)シモン・ラプラス〔フランスの数学者、物理学者〕が仮想した悪魔、宇宙のあらゆる粒子の位置と運動量を知っている「ラプラスの悪魔」なら、その知識を物理法則の方程式に代入することで、未来を完璧に予測できるのではないだろうか?〔このように未来は過去の状態と因果法則に規定されて1通りに決まるとする考え方を「決定論」という。ニュートン物理学は決定的な理論〕(中略)確証バイアスとは、何らかのパターンを予期すると、それに当てはまる例ばかりを探し、当てはまらない例を無視する傾向のこと(中略)リスクの認識を歪めるのは利用可能性バイアスだけではない(中略)ベイズ問題に正しい事前確立などない(中略)そもそも基準率のデータが存在しないという場合もある(中略)非ランダムなパターンを非ランダムなプロセスと勘違いするのは人間の愚かさの最たるもの

1930年代にはクルト・ゲーデルの「不完全性定理」によって、いかなる論理体系にも真であることを証明できない主張が必ず含まれていることが証明された。計算科学の分野ではアラン・チューリングが、どんなコンピュータプログラムでもその結果を前もって決定するのは不可能であることを証明した(中略)20世紀初めには量子物理学によって、素粒子のスケールでは多くの事象が本質的に予測不可能であることが示され、物理学における決定論がおびやかされた。2つの穴の開いた壁に光を当てて、特定の光子がどちらの穴を通過するかを予測しようとしても、それは不可能だ。つまり物理学者のリチャード・ファインマンがいうように、「未来は予測不可能である」(中略)予測不可能な素粒子が何億兆通りもの形に組み合わさってこの宇宙ができているとしたら、それはラプラスの極端な決定論を否定する強力な証拠となる。一般的な法則やトレンドは確かに存在するが、未来を詳細に至るまで決定するのは不可能で、原理的にすら完璧な予測などかなわないのだ。

近代科学はラプラス流の決定論をおおむね放棄している。放射性同位体の崩壊など多くの事象が純粋にランダムであると認めているのだ。これらの事象に「隠れた原因」はないので、原理的には予測しがたい。このことは確率論が無知に対処する方法ではなく、現実の多くの側面を記述するもっとも正確な方法であることを意味する。宇宙の大きなスケールでは一般的な法則によって支配されるが、宇宙の一瞬一瞬の変化および私たちの未来は確率論的なのだ。


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