見出し画像

フランス映画「グッバイ・サマー」…忘れられない、キミとの夏休み。


まず目を引くのは、このデカブツだろう。
(公式サイト TOPページから引用)

なるほど、これは突拍子もない「夢の車」。

ハタからみれば「変わった子」同士のテオとダニエルとが出会う。
二人は、自分たちで作った「夢の車」で旅に出る。
それは、一軒家がにょっきり脚に車輪を生やしたすがた。
車の中で食事を作り、寝泊まりできるだけではない。
パトカーの接近を知るや、道路の脇に寄せて車輪をフタで隠すだけで、「タダの小屋」に擬態し、通り過ぎるのを待つことができる、優れものだ。

『これなら、何処までも、遠くまで行ける!』
この「夢の車で」、2人の少年は、意気投合して旅に出る。

スタンド・バイ・ミーは勇気がいること。

子供だけのわんぱく旅。観ていて心が踊るのは、
**僕らが少年時代、やろうと思いだにしなかったこと
あるいは、やりたくてもやれなかったことを、彼らがやってのけたからだ。 **

旅に出る「だけ」なら、誰にだってできる。
ダニエルが勇気があるなと思い、そこに痺れて憧れるのは
**「まだ友人と言えるほどには、心を許してはいない、短い付き合いの同級生」
つまり行きずりのような人間と旅に出たことだ。 **

少年期なんてのは臆病なものだ。
未知の人物を怖がる。心を許した者としかふつう、行動を同一には出来ない。
昨日今日知り合ったばかりの人間と同じ道行をできるのは、
了見と胆力がつくオトナになってからか、
はたまた「ちょっと変わったコドモ」だけだ。

テオとダニエルは
「夢の車で、ただ、何処かへいく」という結び目一つだけで、旅に出た。
それは、細い絹糸のようなもので心が繋がり合う程度の関係。
このつながりの脆さ危うさ、例えるとすれば、
のび太が「珍しく機嫌のいい」ジャイアンと二人だけで行動するようなもの。
心強いが、しかしそれ以上に不安。
ただの一人旅よりも勇気の要ることだ。

ただ、ふたりで旅を無事終えた後、
手に入れる「つながり」は、何よりも宝物となるのは、間違いない。

案の定の愚行録。それでも、友情という宝物。

**
旅の結果は散々に終わる。**
ダニエルはこだわりの髪を切られ、まずはかっぱしゃんに、最後は丸坊主に。
「恋慕していた女の子に告白する」という彼の下心もとい隠れた目的は、
そもそも女の子に声をかけることすら出来ずに、
ただ後ろ姿を見届けるだけで、終わる。
挙げ句の果てには、長旅による磨耗で「夢の車」が炎上してしまう。
残金は、もちろんゼロ。丸裸で路上に放り出されるのだ。

すっからかんになり、帰る手段を失うや、
「夢の車」の結び目が解けて、
ダニエルとテオは険悪になり、口もきかなくなる。
歩くしかない帰り道、言葉も交わさない、
身体にも触れない、

しかし、気持ちの「波」だけで互いに淡々と確かめ合おうとする。 

 互いに互いを感じる内に。
いちに、いちにと、
いつしか彼らは同じリズムで歩き出す。

やがて「どうにかなるさ」とニッコリ笑い合う二人組。
最初は細い絹糸だったのが、旅の途中に、金色の琴線へと生まれ変わった。
二人はその琴線で、分かち難く結びついたのだ。

友情という宝物をようやく掘り当てたところで、
テオは、ダニエルから一方的に引き離される。
遠くへと連れられていくダニエルの跡を、テオは追い続ける。
今まで寄る方なく只コンプレックスに苛まれ過ごして来た少年:ダニエルが、
大切なものを失いたくがないために、はじめて、必死になって走る。
その金色のたてがみを延いて、ダニエルは、この上なく、美しい。


※パッケージソフトのデータはコチラを参照!


この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,681件

この映画の話は面白かったでしょうか?気に入っていただけた場合はぜひ「スキ」をお願いします!