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今日はエッセイ書く日だけど、お休みして最近の出来事を書く。自己変容をあきらめていた話。

夏から内省を全くしなくなっていたけれど、一週間前に魂友から
「Amyのエネルギーが滞っている感じがする」と言われた。
なぜか私が参加する案件だけ失注すると。確かに、他にも同じことがあった。
その瞬間、自分自身が変容をあきらめていたことに気づいた。

お互い高めあっている魂友の自己変容が進み、私はできていない、無理。とあきらめてしまったタイミングがあった。
あきらめることはとても嫌だったけれど、比較している時点で執着だと思って覚悟して手放していた。それ以降の数カ月間、内省をしなくなっていた。
自己変容は仕事に直結しているので、仕事にも影響を及ぼしていたようだ。
魂友には「一緒に学んでいこう」と言ってもらったが、みぞおちの辺りがわさわさして、「いやだ」と抵抗してそのときは終わった。こうして無意識に避けているところをちゃんと感じてくれる仲間には本当に感謝だけど、「Amyの苦しんでいる顔を撮っておこう」って爆笑してた。どんだけドSなんだか。
今までやってきた自己変容は、何か問題が起こり、それを解決していった結果、変容が起こっている順番だった。
ここ一年間は、執着をどんどん手放していき、自分の中が掃除され、大きなスペースができた感覚だった。だから、その状態でいればいいと顕在意識では思っていた。最近は特に問題も起こらなかったので、自分の感覚としては平和で何もないと思っていた。しかし、実際は変容をあきらめていただけだった。
まだまだだな。そんな自分に絶望した。
その日、散歩していたら「余計な事をするんじゃない」という言葉が聴こえた。じゃあ、とりあえずそのままにしておくか。
そのまた翌日、天女のような人と会った。
その人をみたときに「地に足付けよう」と思った。
更にその翌日、今まで避けて来た金融に突然興味を持ち学び始めた。
そしてもう一つ。
自分の中の美意識が見えて来た。
絵を描いていたら何か見えてくるのかと思っていたけれど、既に日常に溢れていた。
自然界の木々が歌い、犬が踊るディズニー映画のような世界に見えるのも、たくさんの虫に喰われた葉が美しく見えるのも、排水溝のぬめりが取れた瞬間も全て美意識。
そして、これら美意識は、自分のオリジナルな創造を生み出していくことも感じた。

いままでは、執着を手放して変容してきた。
この先は、創造して変容していくのかも。と今までにはない、新しい感覚があった。
少しずつ、動き始めた。



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