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「本が読めない」大学院生の生活-適応障害と一緒に生きる-

こんにちは。
私は適応障害と診断された大学院3年生です。
一年休学を挟み復学した今年度、やはり『適応障害』、それだけではなく色んな精神疾患を持つ方々が「通常」に─今の日本の社会に合ったように─生きることは難しいと、毎日感じます。

その中でも、中々疾患の有無で感覚が大きく違う出来事について共有できたらと思い、書いています。勿論これは一個人の感覚なのでこんな症状があるんだ、なんて思ってもらえればと思います。

大学院。それはより専門性を極めた場です。そこでは勿論専門用語が飛び交い、日々議論し模索しながら研究をします。それでやはりどうしても避けて通れないのは、「専門書」です。

私は建築学専攻で意匠について学んでいます。ここでは(研究室によって大きく異なりますが)、実際に手と足を動かして泥臭く実務設計に汗を垂らす一方、建築とは何か、様々な視点から問いを導き教授やゼミ生と議論します。

そこで大きな壁が立ちはだかります。
『本が読めない』。

日本語が読めないわけではありません。口に出して読むことはできます。理解することもできます。しかしこの『理解』が難しくなっていく。どんどん飲み込んだはずの言葉がすり抜けていく。

読めば読むほど私の耳、頭の中でもう一人の自分が『お前は本当に正しく分かっているのか』と、ぎょろりとした目付きで私の俯いた顔を覗き込む。理解しようと努める。
文章を長く追いかけるにつれ、今度は私の目の前に『面接官』が現れます。そこで問われる。

『ここでの文中にある「××建築」の意味は?』
『ここで引用されている建築家はどのような人か?』
『この章における主張は何か?』

国語のテストのような感じでしょうか。間違ってはいけない。これを分かっていないなんて、大学院で専門として学んでいる身として『恥ずかしい』。

「分からないこと」は、本来は恐れるべきではなく大切なことだと思います。分からなくていい。分からなくて自分なりの解釈をぶつけてみて、そこで気付きを得ることも大きな学びのひとつです。時折「これくらい知っていて当然だよね」と圧をかけられることはあるものの、分からないことは仕方がない。そこで学んでいけばいいことだと私個人は思っています。そもそもどこにも必ずといった「正解」はないと考えています。

でも、私はその理解が「完璧」かを求めてしまう。模範解答のようなものを正確に導き、議論を盛り上げることができるのか。そのことについて強い恐怖を感じます。その恐怖が徐々に目の前の紙の上に並んでいる文字を覆いつくし目の前が暗くなり、「分からなく」なっていく。そこから、「本が読めなくなる」。今の私のできる最大限の表現です。

発症した位のときは自分の専攻の本のみでしたが、今では好きだったはずの小説も読めません。実は映像作品を見るのも苦痛です。大好きだった30分のアニメ1話分も、見ることができない。時にはYouTubeの10分程度の動画も見ることができない。「集中力がない」とも言えます。とにかく、全ての事象において、「お前は本当に分かっているのか」と誰かが耳元で囁く。その言葉が文字となって視界を覆い、あらゆる感覚にノイズが走る。頭がフル回転しているのに、全く進んでいない感覚。「何も」「できない」。勿論アウトプットも難しいですが、インプットすることが本当に苦痛でたまらない。エンタメですらも。

頭の中のもうひとりの自分

私はまだ卒業するのに単位が足りないため講義を受けています。そこで先生の話に必死に耳を傾けます。ここでも、日本語は分かります。何を言っているのか。その言葉が手元にある資料の何を指しているのか分かります。しかし、「本当に分かっているのか」と誰かが私を睨み付け監視している気分になる。
一度休学を挟んだため、私の周りは学年が下の子ばかりです。そんな皆が頷き、ペンを動かし話を聞いている。そして質疑応答のときはしっかりと先生と会話のキャッチボールを行っている。その姿に「お前には到底できないだろうな」ともう一人の誰かが私を軽蔑する。そんな感覚に陥ります。講義最後にリアクションペーパーを書く時には毎回手が震えます。ぐしゃぐしゃに震えた汚い文字で構成されたこの文章は的はずれで読んだ先生はため息をつくだろう。不安が妄想に広がり、押し潰されそうになる。

とある曜日では空きコマがあり、私はその間大学のオープンスペースで待ちます。周りでは設計の授業で模型や図面を広げて模索する下級生や、談笑する学生たちがいます。
私の所属する研究室で時間をつぶして待つことはとてもできません。研究室のメンバーは、私がゼミに出られないこと等から病気を患っていることを察している雰囲気があります。それでも受け入れてくれるゼミ生、そして誰よりも発症してからこれまで見放さず向き合ってくださった教授がいます。精神疾患に関して良い意味で何も言わない皆がいること、私は本当に運がいいと心から思っています。
それでも思ってしまう。もし私がのうのうと研究室にいたら。ゼミにろくに顔を出さず活動に貢献できない自分を、どう思っているだろう。心から申し訳ない。もし出来るのなら土下座をして額を地面に擦って謝りたい。何もできない自分がこの輪に入っていい訳がない。ゼミでの活動で、時折楽しそうな写真がLINEのアルバムを賑わせているのを見るたびに、私の居場所はない、皆を煩わせることなく早く卒業して、面倒な私から教授を解放しなければならない。彼らがとても優しいからこそ、強く思います。

ゼミの輪に入れない。皆のように設計をしたり授業について話したりできない。
できない。できない。「お前にはできない」。

私は必死にイヤホンをしてパソコンを開いて、稚拙ながら課題と修士研究を進め、それでも耐えきれず寝たふりをして顔を突っ伏す。そうしている間にも、周りの目が気になって仕方がない。皆私のことなんて気にもとめていないことは分かっている。分かっているのに、全員が私のことを指を指して軽蔑する妄想にかられるのです。

適応障害になって約4年目。普通は学部を卒業した後大学院なんて行かずきちんと療養する方がベストなのは分かっている。環境に「適応」するのが難しく、環境を変える必要がある病気なのだから。それでも続けて必死にしがみついているのには、どうしても最後までやり遂げたい研究テーマがあるからです。手放した方がいい、でも手放せない、ここには書ききれないほどの思いがあります。

適応障害。難しい病気だと思います。外から見たら、私は一人の大学院生です。私の頭の中で責め立てる声は、私にしか聞こえない。でも限界がきたとき、外にいるときでも突然話せなくなったり、恐怖に怯えたりする態度が出てしまう。パニックに陥り、呼吸も難しく涙でぬめる顔を覆って呻き声をあげる。それが「そういう風になる人もいるよね」と受け入れてくれる社会になるには、まだ時間がかかると思います。医学ですら、未発達の分野である精神疾患。『正解』は、ひとりひとり違います。

だから、自分のペース、「私は私」と言い聞かせるのが今のところできることなのかなと思います。本が読めない。それは病気の一部。「元々私が馬鹿だから」「病気なんかのせいじゃない。お前の元が不出来だから」。そうかもしれない。でも、それでも、それも含めて読めないよね、でいいのかな、と思い始めています。

しょうがない。今は無理しなくてもいい。苦手なこと、人は誰だってあります。病気も、「仕方ないよね」。なってしまったなら、そう生きるしかない。私なりに、模索してみよう。

もし周りで『できないこと』がある方がいらしたら、まず責めないであげてほしいです。そして、落ち込んでいそう、疲れていそうなら、一声かけるだけでとても救われることもあります。また毎日の生活ができなくて恐怖におののいているくせに、とある日は楽しそうにしている姿を見て、攻撃なさらないでほしい。もしかしたら彼らや彼女らが本当に久しぶりに得ることができた、心が休まる唯一の時間かもしれません。理解が難しいと思いますが、今日は『お休みの日』なんだな、位に思ってくださればと思います。

どうか、責めないで

もし私と似た境遇の方。本当にお辛いと思います。でもできなくてもいいと思います。前までできていたことなのにできなくなってしまったこと。それが要因で人生が傾いてしまったこと。どれだけ辛いか、言葉では表せない位の苦しさだと思います。でも「できない」ことを知った強みは必ずあります。「できない」から、誰かの「できない」に共感や理解する能力を得られた。それってとても大切なことだと思います。人とは違う強さを持ったあなたはとても素敵です。他の人が持っていないものをお持ちになっています。

人は完璧ではないです。誰しも。だからできないことに悲しむことはないです。まだそういう風に思えず自分を卑下しているくせに私が言うのも何ですが、できないことがあったっていいのでは。それが私で、あなたです。できないことがある、でもできないって知ることって、大切です。それだけ自分のことを分かっている、それってものすごいことです。

本が読めない私。試行錯誤の毎日です。もしまたいつか「読める」日がきたら最高だと思います。でもできないなりに導いたやり方を見つけたとき、それも凄いこと。私にあった生き方を。
まだ薬が手放せない毎日。薬の量からして、寛解までにまだまだ時間がかかりそうですが、病気と付き合っていけたらと思います。これを読んでいるあなたも、自分を受け入れる日が来ますように、祈っています。

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