見出し画像

私の網膜剥離物語・ヒダリ眼の巻

はじめに

私は両眼とも網膜剥離と診断され、両眼とも手術を受けました。ただ、手術は左右の眼で異なる病院で受けたので、いろいろ違いも発見できました。特に、ヒダリ眼は入院・手術を受けましたので、このことについて書いてみました。

網膜剥離を治すには

網膜剥離を治すには、手術以外の方法はありません。手術をせずに放っておいたら、最終的には失明しますので、すぐに手術や入院が必要です。元の生活に戻るまでには、2週間から1か月程度かかります。その間、仕事や日常生活で、さまざまな制約を受けます。

ヒダリ眼が網膜剥離と診断されるまで

それは、突然やってきました。2020年12月のことです。
朝起きたら、水の上に墨汁を垂らして広がっていくような光景が目の前に現れました。とても違和感を感じましたが、仕事が忙しい時期だったこともあり、とても違和感を感じながら出勤して、一日の仕事を終わらせました。仕事をしながらヒダリ眼がおかしいことが分かってきました。
帰宅して眼を温める、目薬をさすなど、一通りのケアをして就寝しました。疲れていたから一晩ゆっくり寝れば治るだろう、と信じて…。

しかし、それは甘い見通しでした。
翌日も、墨汁が広がる光景は解消されず、さらに世の中が霞んで見えるようになったので「これはだめだ」と悟り、近くで評判の良い眼科医に連れて行ってもらいました。
眼科医では、診察前に一通りの検査が行われましたが、ヒダリ眼の視力を測ることができませんでした。先生の診察になって「これは何かありそうですよ」と言われ
「眼の中を詳しく見てみましょう」ということで、瞳孔を広げる目薬がさされました。
しばらく時間を置いて再び先生の診察になり眼の中を詳しく見てもらったところ、「眼の中に血が溜まっていますね」「このまま放っておくと失明するかもしれないですよ」「すぐに大きい病院で診てもらいましょう」「おそらく手術や入院することになるでしょうね」とのコメント。
その日のうちに大学病院への紹介状をいただき、翌日の朝一番に大学病院に行けばいいように段取りを整えてもらって、この日は終わりました。
これから何が始まるのだろう、と不安でいっぱいになりました。

翌日、指示された通りに朝一番に大学病院に行きました。
受付後、視力検査で現状を確認。その後も次々と呼ばれ、様々な検査機器の前に座りました。赤や緑など、様々な光を浴び続けました。瞳孔も広げ眼底も検査しました。
診察も何度もありました。この日診ていただいた先生が主治医となる先生でした。
最後の検査は超音波検査。看護師さんの段取りがよくなかったのか、先生が「看護師さ~ん」と連呼して、ちょっとイラついている様子。そして、両眼の周囲をぐりぐりと検査するスキャナーのようなものがあてられました。若い先生方も集まってきて、一緒に診察の様子を見ていました。そして、ついに病名が確定しました。

網膜剥離…

先生からさらなる宣告が…
①かなり剥離が大きい
②このまま放っておいたら失明したかもしれない
③ヒダリ眼は硝子体手術、ミギ眼は裂孔があるのでレーザーの手術
④ヒダリ眼は急を要する状況なので、明日入院、あさって手術
⑤ミギ眼は、ヒダリ眼が落ち着いたら手術
⑥この後は、入院~手術に向けての準備をするから、引き続きよろしくね

昨日のクリニックでの診察後、眼の病気についてある程度調べていましたが
いざ宣告されると、動揺が隠せません。
先生の宣告後、入院~手術に向けて追加の検査が続々とありました。もろもろの検査の中には「PCR検査」もありました。
検査終了後、入院~手術に向けての手続きがありました。会計後、薬局で目薬を処方され、この日はすべて終わりました。建物の外に出たら、すでに空は暗くなっていました。
帰宅後、入院生活に向けて、指示されたものや必要とされるものを準備して就寝しました。

入院〜手術前日

入院の日の朝、いつもどおり妻が朝食をつくってくれました。しばらく、妻の手料理が食べられないのか、と思うと寂しいです。
そして、指定された時間に病院に行き、入院の手続きを済ませ病室へ向かいました。あてがわれた病室に行くと、すでに同室の方がいましたのでご挨拶をしました。荷物の整理などしていると、看護師さんや薬剤師さんなど次々に訪ねてきて、今後の説明や書類の記入などありました。今日は、午後に検査はあるが、それ以外は何もないとのことでしたので、ゆっくり病院ライフを楽しむことにしました。
昼食を済ませて、まずは病院探検をしました。病室の隣の部屋はデイルームがあり、自由に利用できる部屋とのこと。この大学病院は、建物内にカフェとコンビニがあり、これらの施設は入院中とてもお世話になりました。
本当に何もすることがないので、昼寝や読書、テレビを見たりしました。夕食を済ませ、シャワーを浴び、消灯時間を迎え明日の手術日を迎えることになりました。

手術の日

とうとう迎えた手術の日。緊張していたのか、あまりよく眠れませんでした。
朝食を食べたあとから、手術に向けてのミッションがはじまりました。
午後の手術開始時刻に向けて、目薬をさしに看護師さんが定期的に来ました。手術の内容は事前に説明を受け、部分麻酔とのこと。命がけで行くわけでもなく、夕方には戻ってくるのだからと、軽い気持ちで考えていました。
いよいよお迎えが来て、病室から車いすに乗せられ手術室へ。手術台のすぐ近くまで、車いすで連れていかれました。
手術台は、歯医者にある治療する椅子のようなイメージ。手術室の中には、軽快なJ-POPが流れ、先生や看護師さんと他愛のない会話をして、少しでもリラックスさせようとする気遣いがありました。

そして、手術が始まりました。手術として行われたことは
①ヒダリ眼の周囲に麻酔をかける
②白内障の手術をする
③硝子体にたまっていた血を取り除く
④剥離した網膜が元に戻るようガスを注入する
⑤網膜が再び剥離しないようレーザーを打つ

途中、血圧が上昇するなど予想外のこともあって時間を要しましたが
約2時間の手術を終えることができました。
手術中、ヒダリ眼以外は麻酔がかかっていないので、手術室内での先生と看護師さんとの会話や、ヒダリ眼で何が行われているのか、なんとなくわかる状況でした。

「針が動いている」
「何かが吸われているor注入されている」
「まぶしい光が点滅する」

手術中は麻酔が効いているので、痛みは感じませんでしたが、何が行われているのか全部わかってしまうのは、恐怖体験のようでした。手術後は放心状態でした。手術室から車いすで病室へ。ヒダリ眼には眼帯がついていました。手術後数時間は「移動禁止&うつ伏せ状態」厳守でした。
うつ伏せ状態から解放され、夕食をとり、妻に連絡をしてこの日を終えました。ですが、網膜剥離による入院生活の本当の大変さは、手術後にありました。

手術のイメージ

手術翌日から数日間

手術から一夜明けました。あまりよく眠れませんでした。朝の看護師さんとのやり取り中に、ヒダリ眼の眼帯が外されました。そして「目薬ミッション」が始まりました。
①4種類の目薬を1日3回、それぞれ5分おきにさす
②朝と夜に看護師さんから眼に軟膏をつけてもらう

この日から、退院の日までおおよその一日の過ごし方は
7:00 起床~朝の看護師さんとのやりとり
8:00 朝食
8:30 先生による診察 その後目薬ミッション&うつ伏せ
11:00 視力検査など各種検査
12:00 昼食 その後目薬ミッション&うつ伏せ
13:30 2日に1回シャワータイム 洗髪を看護師さんにしてもらう
14:30 病院内にあるコンビニやカフェにお出かけ
15:00 デイルームで一息 その後うつ伏せ
18:00 夕食 その後目薬ミッション&うつ伏せ
19:00 夜の看護師さんとのやりとり その後うつ伏せ
21:00 シャワータイム 洗髪はダメ。顔は拭くのみ
22:00 消灯~就寝

見ていただいて分かるように、「うつ伏せ」の時間をできるだけ長くとることが求められ、「うつ伏せ」がつらければ「下を向いている」でもよいとされました。つまり、起きているときは必要最小限以外は常に「顔が地面に向いている状態」で過ごすことになりました。
「顔が地面に向いている」状態をキープすること、眼の周りを濡らしてはダメ、以外は制限がなかったので、3度の食事とカフェタイムをご褒美に、がんばりました。睡眠時もうつ伏せを求められたのですが、さすがに深く眠ることはできず、夜の睡眠を昼寝でカバーする生活になりました。
この「うつ伏せ」や「下を向いている」をいい加減にしてしまうと、術後の経過が悪くなってしまうので、先生や看護師さんからは「とにかくうつ伏せや下向きをがんばれ」と励まされ続けました。なぜかというと、手術でヒダリ眼の中にガスが入入っています。ガスは空気より軽いので、ガスの力を利用して網膜をくっつけようとしています。そのため、下向きやうつ伏せを求められました。
手術から数日は、左眼は全く見えず、不安を抱えながらの入院生活でした。

入院生活後半

相変わらず「顔が地面を向いている」生活が続きます。ですが、少しずつ回復の兆しを感じることもできるようになります。
それは、屈折検査(近視や遠視など眼の状態を測る検査)でのことでした。
これまでは検査機器の前に座ってのぞいても、何も見えなかったのですが、かすかにですが、気球を識別できるようになりました。
また、視力検査では、かすかにですが「C」の字を識別することができました。
「見えるってこんなに素晴らしいことなのだ」
と改めて感じました。

この検査の結果や先生の診察をもとに、退院という話題が出てくるようになりました。ですが、左眼は世の中がかすかに見える程度で、ガスが半分以上残っている状況ですが、経過は良好らしいです。
手術をしたら「ぱあーっ」と世の中がクリアに見えると思っていたので、何も見えないのに退院と言われても、実感がありませんでした。

退院前日

手術をしてくれた主治医の先生が診察をしてくれて、診察を終えてからひと言。「視力検査で少し見えてきたね。眼球もしっかりくっついているね。順調だね。
明日退院ね」
「ありがとうございます」
「でも、引き続きうつ伏せ生活がんばってね。退院してもガスが抜けるまで
続けてね」
手術翌日と比べるとガスが抜けているのは分かりますが、まだ視野全体の半分を
ガスが覆っています。うつ伏せ生活からの解放はまだダメですが、自宅でうつ伏せなら気分が楽です。
昼食前後に行われる視力検査をはじめとする各種検査。明日退院ということもあるせいか、いつもより多くの検査がありました。視力検査では、ついに手術したヒダリ眼の裸眼視力が0.1を記録しました。
「順調に回復すればもう少し見えてくるようになりますよ」
と検査をしてくれた担当の方からひと言。
退院に向けて、ワクワクして過ごしました。

退院の日

いよいよ退院。のべ9日間の入院生活となりました。
最後の朝の診察へ。入院生活最終日も手術をしてくれた主治医の先生が
診察をしてくれてました。診察を終えてから
「今日退院ね。よくがんばったね。引き続きうつ伏せ生活がんばってね」
「仕事復帰は、ガスが抜けたらいいよ」
仕事復帰のめどもつきそうです。
10時までにベットを空けないといけないので、急いで片づけや着替えを済ませ、
迎えの車に乗り、ついに我が家へ帰ってくることができました。

おわりに

結構な長文になってしましました。私の人生の中で「ものすごい体験」だったので、記録に残しておこうと考え、書いてみました。実は、はじめにも書きましたが、両眼とも網膜剥離になったので、ミギ眼の体験談もあります。こちらは、別の記事でまとめることにします。お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?