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令和時代を生きる子どもが身につけるべき力#57

こんにちは。わくわくらすです。

今の子ども世代と親世代では社会の在り方や求められる力が変わってきているということは、誰もが理解していることだと思います。特に親世代は仕事は上司の言うことを聞いて、その通りに早く正確にできる人ほど重宝される時代であったといいます。

しかし、現代は成熟社会と言われ、これから日本人は「答えのない問い」に挑んでいかなければなりません。どの歴史を調べても人口減少に対抗する政策や地球温暖化を解決する対策はありません。

つまり、上司や大人ですら答えを知らないということです。今まで大人の言うことを聞くことが、よりよく生きていく術であった私たちはいきなり人生の道しるべを見失ったようなものではないかと思います。

私はゆとり世代と呼ばれる年代ですが、よくゆとり世代は「指示待ち人間が多い」と揶揄されることがあります。世代で区切ることに違和感は覚えますが、若者が自ら行動をしないことはおおむね同意できます。


なぜ自ら行動しない若者が多いのかという問いの答えは、先述したとおり、誰かの言うことを聞くことが一番生きやすかったからです。こういったある意味での常識は学校教育から育まれています。先生の言うことを聞いて、板書を写して、テストでいい点を取ることが良い子どもの条件だったからです。

しかし、もはやテストの点数が良いだけでは生きづらい世の中になってきています。少し話はそれますが、不登校は何も勉強ができないとか、いじめられた子だけがなるものではなく、勉学ができ、友達も多い俗にいう優等生がなることも決して珍しくはないのです。


では令和時代を生きる子どもが身につけるべき力とは何なのか。

それは物事を自分で決めて、自分で決めたことの責任を自分でとる力です。


私たちはあまりにも、誰かの言葉に従って生きすぎました。親や教師のああしろ、こうしろを素直に受け止めすぎているのかもしれません。(もちろん、全ての親や教師が強要しているわけではありません。)

教育界では新しい学習指導要領に「主体的・対話的で深い学び」という文言が追加され、少し前には「アクティブラーニング」という言葉が流行しました。どちらもこれまでの受け身的な学習から、自らが主体となって、自分の考えを表明していく学習に切りかえたことを示します。

私はこの流れはとてもいいことだと思います。しかし、自分の考えや意見を言いっぱなしで終わる教育にはしてほしくないと思います。

責任をとるということは、人のせいにしないということです。例えば、自分が人を傷つけてしまったのは、親や教師のせいではなく自分の責任です。(例え、親からやられたらやり返せと言われていても実行した人が悪いです。)

自己責任となると、他人を信用してはいけないと考える人もいますが、それは極端すぎます。自分ではどうにもできないことも世の中にはあります。いくら品行方正に生きていても、災害で家がなくなってしまったとか、親の借金を抱えてしまったという出来事は、しかるべき場所に相談して解決を図るべきです。


子どもに物事を決めさせることに恐れを抱く人もいます。とんでもないことをしてしまったらどうするんだとか。それを防ぐために大人がいます。親がいて、教師がいて、地域の人たちがいます。昔、ある教師に「学校は安全に失敗をするところだ」と言われたことがあります。

子どもが大人になり、令和時代を生き抜くために、学校教育の時点で自分で物事を決める、決められる力を身につけてほしいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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