中高生時代に必ず一回海外に出てみる、という校則があってはイケマセンか?
どうしても今あることを変更することを考えがちなのだが、自分が中高生に戻ったときにあったら嬉しかったなあ、と思える校則はこれだ。「それって校則じゃないじゃん!」って言う人もいるだろう。それがそもそもおかしいってことに気付いて欲しい。現在様々な学校で展開されている校則が絶対ではないのだから。自分の思い込みの枠を取り除いて考えてみる必要があると私は思う。
中高生時代に必ず一回海外に出てみる、がみらいの校則
地方に行くほどに世界は遠くなる。
インターネットがあるから世界中が近くなったというのは嘘だ。
世界につながるどこでもドアが日本の子どもたちには必要だ。
「そんなこと無理に決まっている」と大人は言うだろうし、子どもも思うだろう。今あるものを改善することに長けている日本人ならではの発想だ。これまでの想像の域を超えた思考力が若者に養われたなら日本は変われるだろう。
子どもの頃の海外体験で人生が変わった人はたくさんいる。しかし、その人たちはラッキーなことに、そんな経験ができた人たちであり、誰も彼もがその経験ができるものではない。そして、日本全国の子どもたちができる経験はほとんどが学校の中に限られている。合わせて周りの大人(保護者・教員・親戚・部活の関係者等)の影響で何十年も狭い範囲の中でしか展開されていない。少なくとも私の周りではそうだ。そして地方に行くほど外国は遠い。地方の子どもたちは外国体験を遠ざけられている。それをドラスティックに改善することが、日本の未来をよくする。
それなら全ての中高生(あるいは小学校高学年でも良いかもしれない)が学校にいる間に、海外を覗いてみる機会を校則にしてはどうだろう?
「誰がお金を出すのか?」
「そんなことできるはずがない」
「外国に行きたいと思っていない」
そんな声が聞こえてくる。現実的なことはとても大切だが、空想をどうしたら実現できるかという発想を持つことも必要だ。
「こんなチャンスがある」と子どもたちに思わせる機会は大人にしか作れない。「外国を見てみたら、思っていたものと違ってワクワクした」という話はいくらでもある。「何の役にも立たない」ということは絶対にない、と思う。
私はたまたま、息子が高校を3つも経験することになってしまった。4年半も高校生だったのだから、親の私もそれなりの経験をした。「日本国憲法が校則」と言う学校もあったし、校長先生が3人存在する学校もあった(英国の学校)。Think Global School(USの高校)は世界10か国を3年で巡る、そんな学校の校則はどんなだろう?
日本という枠を一旦取り除かないと、新しい未来は作れない。その事実を自分で理解するには外国を自分の目で見たり、体験することが近道だ。何といっても、変態(変身・進化すること)できる可能性が上がるのだから、コストパフォーマンスが良いのは絶対である。
校則を考えるときには、「学校って何だろう?」ということをじっくりと考える必要がある。その上での校則だ。場合によっては校則は不要かもしれない。全ての学生と学校関係者が「学校=一つの共同体」の目的を理解し、その方向に向かえるように改善を重ねていけば良いのだから。
私の思う学校の定義は「生徒も教師も保護者も、自分も他人も関係者全てが幸せに生きられるための学び舎」だと思う。残念ながら今の日本の学校はどうもそうではないようだ。競争する必要はない、互いに切磋琢磨することは相互扶助で成立できるはずだ。リーダーシップとは周りの人を引っ張っていく力ではない、共通の目的を達成するために、各々が得意な分野で役割を持ち推進することだ。
今の学校という枠組を0から考えた上で校則を考えるのが良いと思う。そのためには、まずは固定概念を強制的に外す必要がある。一番簡単なのは外国を見ることだ。全ての学生がバラバラの体験をすることで、いろんなものが見えてくる。経験をシェアすることで作り上げられる共通の夢だったり、バラバラの夢が絡み合って強力な希望の塊が出来上がったり。その塊が学校の基礎になるのではないかと思う。
「中高生時代に必ず一回海外に出てみる」というみらいの校則は、イケマセンカ?
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