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大人のCritical Thinking。マレーシア、シンガポール、カンボジアでの驚き三昧と今の人生を振り返る

2023年3月30日に日本に帰国したのだが、翌日から発熱し下火になったはずのコロナ罹患者となってしまった。それからちょっと調子が悪くて、ぼやーっとした毎日だったのだが、今はカンボジアのキリロム工科大学(KIT)に滞在している。2月はマレーシア国立教育大学・スルタン・イドリス教育大学(UPSI)、3月はシンガポールでインターナショナルスクールや学童、そしてシンガポール国立大学(NUS)はコロナ対応でいくことができなかった。今度は行きたいな。4月はカンボジアだ。どれも不思議な縁からつながる渡航であり、どの国も初めてではないのだが、新たな驚きがあり、もっといろんな世界を見てみたいと思うことばかりが起こる。

UPSI滞在の1コマ。刑務所で生活する受刑者の教育内容を国立教育大学で研究・企画していると聞き、思わず涙が出てきた。年齢のせいか涙脆くもなってきた。まずいね!

しかし、私の英語力が低いままでは、どこに行っても楽しさも驚きも半減しているだろう。それがわかっているだけに悔しい。だからこそ、息子には最低限でも英語が使えるGlobal Citizen(地球市民)になってもらおうといろ小さいときかから海外に触れる機会を作ってきた。その後、彼は成長し、様々なトラブル??を楽しみながら、3ヶ月前にはオーストラリア国立大学に入学した。交換留学ではない、ハーフではない、純ジャパの日本人は同じ学年に二人。しかしもう一人は親の仕事で一時期は海外で生活していたとのこと。そのくらいに海外経験のなかったフツーの日本人大学生は世界には少ない。なぜだろう?これが日本の教育の課題の一つだと思う。

シンガポールツアーで参加の小学1年生が私を写してくれた。企画者も楽しむコンテンツこそ、全ての参加者が楽しめるものだと思っている。そんなことを今後も企画したい。

どの時代にもこの日本の状況を何とかしたいと頑張った人たちがいる。自分もそのメンバーの一人だと思っている。トビタテ!留学Japanは本当にすごい仕組みで、たくさんの高校・大学生が短期海外生活を経験することができる。しかし、この情報にたどり着けるのはまだまだ少数だ。本人に意思がないと参加できないのは突破口としては非常に重要なことなのだが、もっとフツーの子どもたちがglobal citizenになれる環境が日本には必要だ。私はそれが全ての都道府県に、普通の家庭の子どもたちが行けるインターナショナルスクール(のようなもの?)があることだと思っている。

私の息子はUWC ISAK JAPANという軽井沢にある全寮制のインターナショナルスクールを卒業した。いろんな方から子どもの進路・海外進学相談を受けるのだが、相談者10人のうち8-9人はこの学校を知らない。言いたいことは、「子どもの将来を心配をしていても、正しい情報・多くの情報にたどり着けない親が多い」ということだ。学校の先生や自分の周りの人に相談しても、当たり前のことだが、みんな自分の知っている情報を提供してくれる。そこには本当に欲しい情報は含まれていない。そのくらいに日本人には英語が遠いし、英語で学ぶ学校は遥か彼方にあるのだと思う。ISAKで日本人学生とランチをした時に「どうしてこの学校を知ったの?」という質問をした。その場にいた全ての学生が「親が教えてくれた」と答えた。つまりそういうことである。一部の活発な子どもを除いては、親が情報提供しないことには子どもの未来の選択肢が増えないのが日本なのだ。英語ができないから英語の情報に到達できないことも理由の一つだ。しかし、それ以上に問題なのは、日本人は選択肢を探すことに長けていないことだと思う。出された選択肢から最適なものを選ぶことにはうまいのだが、新たな選択肢を探すという癖がない。Critical Thinking が学校現場で言われているのはここにも通じるものがある。ほとんどの大人がそのように教育されてきたのだから、そのように成長しているし、それを当たり前・常識だと思う。そして、それを自分の子どもに伝える。

息子の高校受験の時、たくさんの友人から「大学附属高校に行けば、大学受験がなくて子どもは自由な時間が持てるし、何よりも安心だ」と言われ、そんなものなんだと思って、そのように行動していた。ある時息子に「お母さん、成長して、選択肢が増えていくのが未来のはずなのに、何で一つの大学しか選択できない高校を勧めるの?」と言われてびっくりした。180度逆の考え方を若者はしているのだと思った。まさに、Critical Thinking ハンマーで殴られたような瞬間だった。

キリロム国立公園のお寺。一番偉いお坊様の住居とのこと。ここに泊まるツアーを作ったらいっぱい外国人が来る気がするんだが、、、

長い間、子ども・若者が年長者に教えを請う時代であったし、今も年長者には経験という強みがある。しかし、インターネットを誰もが使える時代になり、言語ができる人、自分から動ける人、誰かを巻き込める人、一人になっても気にならない人、、、いろんなスキルや生き方、人間性が必要な時代でもあり、他者の生き方を認めることで自分で自分を認めることができる世の中になってきた。家族であれ、組織であれ、一人ひとりやりたいことも、好きなこと・嫌いなことも、得意・不得意も違うのだから、互いに補い合いながらより良い社会をどうやって、自分主体で作ろうかと考える大人がもっと増えないと、日本はまずいんじゃないかな、、、とココナツジュースを飲みながら考えている。

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