見出し画像

人生のハンドルは自分で握る!持続可能な社会に向けて走り続ける公認会計士

公認会計士として企業決算や経営管理の監査、日本企業の海外ビジネスをサポートする齊藤剛さん。本業の傍ら、キーパーソン21(以下、KP21)では事業開発理事を経て、現在は監事として活躍しています。その専門的見地から、中期事業計画の作成、ビジョン実現のためのロードマップ作成など、KP21のガバナンス強化に向けた取り組みを数多く手掛けてきました。
そんな齊藤さんは常に自分で考えて目標を定め、実現に向けて行動し続けてきたといいます。その原動力はどこにあるのでしょうか?インタビューからさまざまなことが見えてきました。

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

【図鑑No.32】
お名前
齊藤 剛
お仕事
公認会計士として企業決算や経営管理の監査、日本企業の海外ビジネスをサポートすること
わくわくエンジン
自分の持っている様々な分野での経験やネットワークを活かして、多様なコミュニティーが存分にその力を発揮いただけるよう黒子になってご支援し、社会における多くの課題を解決すること

野球とデータ分析が大好きだった少年時代


ーー公認会計士、KP21の監事という二足のわらじを履く齊藤さんですが、小さい頃はどんなお子さんだったのですか?

小学校の頃は近所の野球チームに入り、仲間で野球を楽しんでいました。当時は、野球をやる子が多い時代だったんです。近所の友だちの多くは地域の野球チームに入っていて、そこで友だちのお父さんがボランティアで野球を教えているような環境でした。なので、私も特に何も考えずに野球をやるようになったというか、友だちとの遊びの延長線上に野球チームがあったという感じです。

ーー野球のどんなところが楽しかったですか?

もちろん、仲間とプレーすること自体がとても楽しかったのですが、それ以上にスポーツ新聞でプロ野球選手の打率や盗塁成功率、防御率などのデータを見ながら、いろいろな選手の様子を考えるのが好きで、自分の野球チームでもそうしたデータを分析して仲間と話しをしていました。その意味で小学校の頃のわくわくエンジンは「野球をすること」というよりも、「いろいろなデータをつかってみんなのことを考えてみること」だったのかもしれません。

当時、子どもたちには憧れのプロ野球選手がいて、私の場合は広島カープの山本浩二選手でした。山本選手の打ち方を真似したり、みんなでファンの選手の話をしたりして盛り上がりましたね。そんな中、小学校2年生くらいのときに、たまたま家にあったスポーツ新聞で山本選手の打率や広島カープのピッチャーの防御率を目にしたんです。「ん?これってなんだ?」と思い、すぐに親に聞いたのですが、ようやく掛け算を習い始めたような年齢の私には何を言っているのかさっぱり理解できなかった…(笑)。

でも、徐々に、「これは掛け算だけじゃなく、割り算もわからないとダメなんじゃないか」とか「小数点も知っていたほうがよさそうだ」ということがわかってきて、自分で追究していったんですよ。そうすると、記事に書いてあることが理解できるようになって、「なんで最近、山本選手は調子が悪いのか」などがわかるようになったんです。それで、算数も好きになったし、データを用いて人の行動などを分析することのおもしろさを知りました。

ーー齊藤さんにとって、数字やデータはわくわくエンジンにつながる重要な要素なわけですね。それが今のお仕事にも繋がっている気がしますが、公認会計士を志したのはいつ頃なんでしょうか?

高校生のときです。当時、生徒会の役員に立候補して会計を担当していたのですが、同じ役員の先輩のお父様が公認会計士として活躍されていたんです。一つの会社に縛られずにさまざまな会社のビジネスを会計のデータなどを活用して手助けしていく仕事にあこがれて公認会計士になることを決意しました。

高校2年生のときに両親に、「大学生になって公認会計士試験の受験勉強するために、予備校の費用50万円(当時)を貸して欲しい」というお願いをしたら、「そんな難しい試験に受かるはずないから、お金は貸せない。家にはそんなお金の余裕はない」と断られてしまったんです。

高校2年生の私にとって50万円というのはとてつもない大金でしたから、真剣に悩んで一晩考えました。それで翌朝、担任の先生にアルバイトを許可してもらえるようお願いにいきました。特別にアルバイトの許可を得ることができた私は、すぐにアルバイトを開始して大学入学前までには50万円の貯金が出来たのです!

画像5

人生の軸を作ってくれた恩師との出会い


ーーすごい行動力ですね!たとえやりたいことがあってもすぐに行動できる人は決して多くはないと思うのですが、そんなふうに行動に移せるのは、ご両親の教育が関係しているのでしょうか?

両親というよりも、小学校5,6年生の時に担任だった恩師の影響が大きいと思っています。今にして思うと、その先生はとても変わっていました。授業では教科書を使ったことが一度もありません。

例えば、円周率が3.14だということも、ただ単に暗記させるのではなく、画用紙を切って実験しながら証明していくんです。みんなで試行錯誤を繰り返し、「本当に3.14になるのか?」というのをノートに書きながら追究していくわけです。

これは算数や国語といった教科に限らず、どんな場面でもそうでした。固定概念を鵜呑みにせず、常に問いを立てて考えさせたり、誰かの考えに対してみんなで話し合ったりするような授業だったんです。

まずは自分の考えをノートに書かせ、それをその場で先生が見てコメントをしてくれます。そして、「ここはすごくいいね!」と言ってプラス点をくれると同時に、「ここはこう考えてみたらどうだろう?」という点を指摘してくれました。そのアドバイスをもとにもう一度考えてみるのですが、その際、一度書いたものを消しゴムで消すことはさせず、思考のプロセスがわかるようにしていました。「あ、こういう考え方もあるんだな」という新たな気づきに対しても加点してくれるので、子どもたちはどんどん自分の考えを広げていくことができたのです。

そんなふうに加点しかしないので、減点を恐れて物怖じするようなことはなかったですね。また、テストも一切やりませんでした。テストというのは点数を通じて他者との比較になり、「自分はダメなんだ」となりがちですけど、私たちは常にやったらやっただけ加点されるような環境で小学校5,6年の2年間を過ごしました。そうやって自分の考えを先生や仲間が認めてくれることが自信につながり、「行動をおこせば必ず何かが変わるんだ」ということが自分のメンタリティとして定着していった気がします。

ーー最近ようやく注目されつつある探究型の授業をすでにおこなっていたのですね!その授業についていけないお子さんはいなかったのでしょうか?

それはまったくいませんでしたね。その小学校には、障がいを持つお子さんが比較的多く在籍していたのですが、たとえば言葉が不自由な子であっても絵で表現したり、みんなでフォローしたりして全員で議論していました。また、算数が得意な子が苦手な子をフォローして一緒に考えるなど、常に子ども同士で協力し合う仕組みができていました。できない子がいたらできるまで全員で助けるから、ついていけないなんてことは起こり得ないわけです。

ーーそんな先生と出会えたのは本当に幸運でしたね。その当時、そういう先生は珍しかったのではないでしょうか。

昭和50年代にこうしたやり方は、相当の志がなければ出来なかったと思います。その意味で、私は本当に恵まれていましたね。今でも年に一度はその先生を囲んで当時のクラスメートと集まるのですが(今はコロナ禍で自粛しています…)、誰もが「小学校でのあの2年間が人生の軸になっている」と言っているくらいです。

画像1

その先生は、高校卒業後にいくつもの職に就き、そこから苦労して教員になったという経歴の持ち主でした。だからこそ、当時の教育に疑問を持ち、主体的に考えて行動すること重要性を感じていたのだと思います。

キャリア教育に携わった動機は「恩送り」


ーーその後、公認会計士になった齊藤さんは高校生のキャリア教育にも携わることになりますが、なぜキャリア教育に?

自分がその先生にしてもらったことを今の子どもたちに返したいという気持ちが強くありました。それで、本業で関わりのある経済同友会の取り組みに手を挙げて、企業経営者の方々と一緒に高校生のキャリア教育に携わることになったんです。今から4年前に経済同友会での活動がひと段落し、これからは本業の組織とは離れた地元の川崎市で市民の方々とつながりながらキャリア教育に関わっていきたいと考えました。そこで早速、Google検索で「川崎市」「キャリア教育」「NPO」の3つのキーワードを入れたら、KP21が一番最初に出てきたんです。代表理事の朝山さんにメールで連絡し、お会いしに行ってお話し伺ったことがきっかけで今に至っています。

ーー経済同友会でのキャリア教育活動を経てKP21に加わったわけですね。経済同友会とNPOとではまた違った側面があるかと思いますが、キャリア教育に対する概念は変わりましたか?

キャリア教育に対する「概念が変わった」というよりも、「概念が広がった」と言うほうが正しいかもしれません。経済同友会でのキャリア教育は企業経営者によるリーダーシップ論がベースになっていたのに対し、KP21では一般市民の目線でさまざまな経験値がベースになっています。もう少し具体的に言うと、KP21ではある特定の人の経験に頼るのではなく、一人ひとりがこれまで悩んだり経験したりしてきたことをみんなで共有していく感じです。市民の総合力でキャリア教育を推進していくという意味において、経済同友会とはコミュニティがまったく異なっています。そして、いろいろな属性の人たちで作り上げるコミュニティの力でものごとを推進していくという点では、私の小学校5,6年生の時のクラスに通じるものがある気がします。

ーープライベートでは二人のお子さんの父親でもあるそうですが、子育てについてはどんなポリシーをお持ちなのですか?

私には、会計士としてベンチャー企業の支援をおこなう長男と大学3年生でプロダンサーでもある次男がいます。息子たちの進路について口出しはせず、彼ら自身の意思に任せて可能性を信じていますが、親として2つだけは行うことにしています。一つ目は、親自身が自らのわくわくエンジンに沿って仕事に生きがいと誇りをもっていることを小さい頃から見せていること。二つ目は息子の様子を常によく見ておくことです。何か強みや個性、さらには人生の軸になりそうなものの種が見えたらそれとなくメッセージを出したり褒めたりしています。また彼らの個性を阻害するような環境要因があれば親が解決の道筋を示す、例えば学校の先生が阻害要因になってしまったときは親が出て行って先生に説明する、ということをしています。

画像2

KP21の持つ多様性が自らの視野を広げてくれた


ーーKP21に携わるようになってから本業への影響はありましたか?

私は子どもの頃から常に自分で考え、やりたいと思ったことは誰がなんと言おうと行動に移して成し遂げてきました。その反面、例えば職場の後輩の悩みに対して相談に乗ることはあっても、本当の意味で寄り添えていなかったように思います。どうしても自分の成功体験をベースに考えてしまうため、「なんでこんなことで悩むんだろう?」と理解できない部分がありました。また、本業の組織のメンバーや顧客の方々は、どちらかといえば日本を代表する企業の幹部や職業的専門家ばかりであるため、価値観や思考プロセスが似通ったメンバー同士で意見交換をしてしまいがちです。

ところが、KP21の養成講座の受講や、学校でのプログラム実施や定時制高校での個別アクションプログラムによる高校生との相談実施などに参加するうちに、自分自身がかなり狭い世界での価値観や考え方の中で行動しているのだと感じ始めるようになりました。価値観の多様性を知ると同時に、自分の視野がグーッと広がったのです。そうすると、今まで理解できなかった後輩の悩みに対しても、「こういうことで悩むのは当然だよな」と心を寄せることができるようになったのです。

こうして本業の世界とは違うバックグラウンドをお持ちの方々と活動させていただくことを通じて、本業の組織の仲間や顧客の方々の個性や強みについても、全く違う視点から関心を持てるようになってきました。私は、このような多様性こそがKP21にとっての最大の財産だと信じています。

ーー具体的な行動面での変化はいかがでしょう?

さまざまな企業やそういった企業を支えている公認会計士との議論や抱えておられる悩みや課題に寄り添う際には、より多面的な視点からの対話につながってきているという実感があります。また、KP21の活動に参加したお陰で、社会が抱える課題とその解決に向けた行動に関しての知的好奇心がどんどん高まってきていることを実感しています。

昨年からのコロナ禍で、本業の組織や多くの企業でリモートワークが続き、仕事上で直接お会いしたり、食事したりする機会が激減しています。その一方で、自分の住んでいる地域や身近なコミュニティでの対話や新しい取り組みを進めていく機会が増えてきました。地域の飲食店の常連客でLINEやFacebookでグループをつくって、どうやってその飲食店を助けようかとみんなでアイディアを出し合ったり、地域の医師とコロナ感染の状況や対策、経験談などを意見交換したり、身の回りのメンバーで最近の世界情勢やコロナ後の社会などについてグループディスカッションしたり…。こうやって本業以外のコミュニティでのやり取りを通じて、身近なところでの社会課題に対する関心や知的好奇心が高まり、未来の可能性を考えるきっかけが増えてきています。また、コロナ禍で自宅にいることが多くなりましたので、そうした身近な社会課題について家族と対話する時間も増えました。

画像3

わくわくエンジンが当たり前の社会をAll Japanで!


ーーコロナはさまざまな場面で変化のきっかけとなりましたよね。会計士として多くの企業と関わっている齊藤さんから見た企業の変化は?

これまでの企業は利益の追求が第一優先で、そのための効率化が最重要視されてきました。ところがコロナの影響もあり、持続可能な経営を志向する企業経営者が徐々に増え、SDGsにおける目標の実現やESG(環境・社会・ガバナンス)を意識した取り組みが進みつつあります。私もこうした観点の重要性は、KP21での理事経験を通じて実感しているところです。

ーー今後はどんなことに挑戦したいですか?

お話したように、これからの企業は貧困問題やモチベーション格差問題、環境問題、世界平和といった社会課題に自分事として向き合いながら、持続可能な経営を進めていくことが大切です。企業がリーダーシップをとって革新的な未来の可能性を信じて行動し続ければ、きっと持続可能な社会の実現が見えてくると信じています。

地域や身近なところでのコミュニティを大切にする動きが自分の周囲でも増えてきていますが、こうした動きにドライブをかけるためには、企業のリーダーが市民の思いや直面している深刻な社会課題のど真ん中に立ち、一緒に行動していく必要があります。そうやって企業が市民や行政とつながることで、真の共存共栄のためのエコシステムができると思うのです。そうした動きに火を点けていくことに、自分自身、少しずつではありますが企業との意見交換を通じて貢献出来始めてきているのかなと思っています。

同時に、そんな未来の実現に必要となってくるのが一人ひとりのエンジンです。私はこれからも、KP21のビジョンでもある、わくわくエンジンが当たり前の社会をAll Japanでつくることを支援していきたいと考えています!

画像4

<インタビューを終えて>
公認会計士という忙しい本業を抱えながらも、子どもたちのキャリア教育に本気で取り組む齊藤さん。インタビューの前、「なにが齊藤さんをそうさせるのだろう?」と不思議に思っていました。お話を伺い、小学校の頃の原体験が大きく影響しているということを知って納得すると同時に、教育の持つ力や可能性を感じずにはいられませんでした。
そして、これからは私たち一人ひとりがわくわくエンジンを発動させて何かをやってみることが持続可能な社会の実現につながるのだとたくさんの勇気をもらいました!
(ライター・ゆみりん)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?