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京都を歩きながら京都本を読み、「いい街とは何か」を考え直した話

 先週後半は関西に出張していた。久しぶりに京都にも足を伸ばしたのだけれども、そのときずっと読んでいたのが奇しくも「京都」の本だった。僕が読んでいたのは『京都:未完の産業都市のゆくえ』だ。

 これは労働経済学者の有賀健が、主に明治以降の各種統計データを組み合わせ、近代以降の京都の「実態」を解き明かす……といった本だ。出版社の宣伝文句には「空襲がなかったから古い町並みが残る」「京料理は伝統的和食の代表」「職住一致が空洞化を防いだ」「魅力的景観は厳しい保護策のおかげ」だなどの「定説」がエビデンスを提示されることで覆る……といったことが書いてある。実際その通りで、僕も一読者としてとても勉強になった。と、いうか元住民として肌で感じていたことが説得力のある数字を伴って説明されていてとても納得させられたのだが、同時に大きな疑問も感じた。

 それは端的に言えば、この経済学者である有賀の考える「いい都市」が僕にはさっぱり「いい都市」に思えないということだ。そのため、本書で提示される京都の「ダメなところ」の何割かは何が問題なのか分からなかったし、結論部に記された有賀による京都改造論は、この国の大抵の中核都市の目指す「成功した地方都市」のありがちなビジョンのひとつ(ボストン的「揺りかご都市」)に京都を貶めてしまうもののようにしか思えなかった。少なくとも有賀案によって「改造」された京都に、僕は仕事でもなければ足を運ぶことはないし、暮らしたいと考えることもないだろう。

 要するにここで問われているのは「よい都市」とは何か、という単純なようでいて複雑な問題だと僕は思う。有賀は同書で京都を「失敗した都市」と位置づける。近世以前の「町衆」が力を持ち、行政もその力を利用した統治を選択した結果として、街はその歩みを止めてしまった。これが京都が近代日本を支えた京阪神の製造業を中心とした「発展」の脇役に甘んじてしまった原因だ。そして今日では21世紀になり到来したインバウンド需要の増大に振り回されながら、観光産業の難しさに直面している……といったのが本書の提示する大まかな「京都」像だ。

 そして大学の多さと文化資本を活用するために、中心部ーーいわゆる「田の字」と呼ばれる御池以南、五条以北、堀川以東、河原町以西のエリアーーの「路地」の大半を潰して四車線道路にすることで、オフィス・商業空間として再生し、大学と結びついたベンチャー企業が次々と生まれる新しい産業都市に変貌させよう、というのが有賀の「改革」案だ。この時点で、ウンザリした人も多いと思う。もちろん、保護の価値のある町家は移築することが前提ということだが、そういう問題でもないだろう。と、いうか「町家は移築すればいい」と思っているあたりで根本的にボタンを掛け違っているように思うのだが……。

 いや、まあ、問題意識は分からなくもない。具体的に今の京都の「路地」が本当に何かを産み、何かを守っているのかは一度シビアに検証されたほうがいいと思うし、実際にインバウンド需要が増えてからは、適当な町家カフェや町家ホテルが次々と出現し、まあ、放っておかれるよりはいいんだろうけどこのまま観光客のほうだけ向いた街になるのはどうなんだろう……と若い頃に町外れに何年か暮らしたことのある程度の僕ですらも疑問に思わなくはない。しかし、少なくとも京都のそれも中心部を大学発のベンチャー都市にするために区画整理を伴う再開発を……というのはなかなかついてくのが難しい発想だ。やっぱり、この経済学者とは「いい街」のビジョンが全く違うのだ。どう違うのか。これから書いていこう。

 そもそもの疑問なのだが、産業が集積し都心がオフィスと商業施設によって埋め尽くされ、人流が多いのが「成功した都市」なのだろうか。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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