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シン・村上春樹論(仮) #1 | 村上RADIOと京都マラソン、そして「コミットメント」のゆくえ

はじめに

このnoteの有料マガジンも、おかげさまでじわじわ購読者が増えてきたので今回からしばらく、頻度的にはあまりこの話題ばかりにならないように、でも毎月楽しみに読めるように、何回かに1回の割合で村上春樹について書いていきたい(初回なので、今回は2回分の分量をまとめて更新する)。以前このマガジンで更新した村上春樹論の続編のようなものだと思ってもらえればいいし、僕が10年以上前に書いた『リトル・ピープルの時代』の続編のようなものだと思ってもらってもいい。

近年の映画『ドライブ・マイ・カー』のヒットや、村上本人の社会的な発言の増加で、この作家について改めて考えるのにも、ちょうどいいタイミングのように思う。村上という作家について考えることで、僕たちは歴史のこと、資本主義のこと、性のことを考えることができるし、それらの複雑な絡み合いについて考えることもできると思う。それが、この総合小説というやや古めかしいものにこだわり続けてきた作家の最大の魅力だと僕は思っている。

また、この村上春樹については、僕がこの春から始めた私塾のようなもの(宇野ゼミ)でも取り上げていくつもりだ。この文章が気になった人や、質問(議論)してみたいと思った人はこちらを受講してもらえたらいいと思う。

やや前置きが長くなった。それではさっそくはじめよう。

12月31日のディスクジョッキー

村上 こんばんは、村上春樹です。
美雨 こんばんは、坂本美雨です。JFN年末年始特別番組「村上RADIO年越しスペシャル~牛坂21~」ここからの二時間、全国38局をネットしてお送りしています。そして今日はわたしたち、京都某所から生放送でお届けしていきます!春樹さん、大晦日、しかも生放送ですね。
村上生放送、緊張しちゃいますよね。生まれて始めてです、こんなことは。
美雨 今年はいろいろなことが始めてだったと思いますが、やはりコロナ一色の一年でした。いろいろキーワードも出てきた、3密とか、ソーシャルディスタンスとかありましたけれども……春樹さんにとって「最大のニュース」は何でしたか?
村上 もちろんヤクルト最下位です、というのは冗談で、やはりコロナはやはり大きな話題になりました。コロナなしでは、今年一年は考えらないですよね。
美雨 ほんとうにそうですね。多くの人の人生が変わった一年だったと思います。春樹さん、初の生放送ということで、今日はお友達が来てくださっていますが……。
村上 猫山さん(みゃ~)も、羊谷さん(めぇ~)もいますね。あとでもう一人で来ますが、とりあえずいまはまずこの二人です。

https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/toshikoshisp2020/

2020年から2021年への年越しを、僕は村上春樹がDJを務めるラジオ番組を聴きながら過ごした。以前からこの作家が度々ラジオで話していることは知っていたが、実際に聴いたのはこのときがはじめてだった。はじめての生放送らしいその番組で話す村上は、明らかに緊張していた。これまで海外の文学賞の授賞式をはじめとして僕には想像もつかないような大舞台を経験してきたはずの人でも、慣れない舞台に上げられると靴の裏にこびりついたガムのように硬くなってしまうのだなと意外に感じた。そして、村上が時々口にするーーおそらくはかなりがんばって、無理をして差し込んだーー冗談の数々はびっくりするくらい、おもしろくなかった。特に、取り上げたEメールの送り主に村上がつけてあげるラジオネームの類がなんというか、ちょっとした事故と言えるレベルで寒々しくて、でも、僕はそれがとても微笑ましかった。「あなたには、ラジオネーム「牛に引かれて〈いきなりステーキ〉」を差し上げます」と言われた東京都の30歳の女性が、少し羨ましかった。気の若い団塊世代のおじいちゃんがこの年末にーーそれは世界中の人たちが疫病に怯え、苛立ちながら家の中に隠れて過ごす年越しだったーー一生懸命に楽しい時間を演出しようとしてくれていることが、なんだか嬉しかった。
 僕は実際に番組を聴く前には村上春樹はもっと彼の書く文章の、特に一人称の小説のように饒舌に、気の利いた固有名詞が程よく羅列されたユーモアを交えながら軽快に話すものだと思いこんでいた。しかし、逆だった。そこにいたのは、どちらかと言えば人前で話すことに慣れないまま70代を迎えたひとりのおじいちゃんだった。彼の声からは一生懸命にマイクに向かって話しながら、その難しさを楽しんでいるのが伝わってきた。そのぎこちなさに僕はとても、好感を抱いた。村上のこのようなおじいちゃんになるのも悪くないな、と思わせてくる知的で、内省的な人間なりの「できない」ことの引き受け方に、僕はちょっとした感銘のようなものすら受けていた。ただ一つだけ、引っかかるものがあった。それは村上が(ゲストとして登場した山中俊治との会話の中で)その年の2月に出場した京都マラソンで、完走に失敗したことを繰り返し嘆いていたことだ。

京都マラソンのこと

山中 ちょうど1年前に、中国の武漢で訳の分からない肺炎が出ているというニュースがあったわけですが、こんなことになるなんて誰も予想していませんでした。僕は2月に京都マラソンを走りまして、自己ベストを更新しましたが、天気が悪くて寒い日でした。
村上 一緒に走ったんですよね。でも僕は脱落してだめだったんです。生まれて初めて完走できなかった……。悔しくて、今年中になんとかしようと思っていました。

https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/toshikoshisp2020/

 村上春樹が熱心な市民ランナーであることはよく知られている。30代前半で経営していた喫茶店を他人に譲り渡し、専業作家としての生活を開始したときに走り始め、それから週に6日、10キロメートルを目安に走り、小説を書くための体力を維持しているのだという。そしてそれから40年間、70代を迎えた今日にいたるまで村上は世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けている。
 僕も走ることが好きなので、村上のこの話をとても興味深く聞いた。京都マラソンは僕もいつか出場したいと考えていた大会だったし、村上の肉声で走るという身体的な行為についての言葉を聴くことにも興味があった。そして僕は同じ市民ランナーの一人として、70歳を過ぎたランナーがフルマラソンの完走に失敗したことをそこまで悔やむ必要があるのか、疑問に思った。
 僕はまだ本格的に走り始めて数年で、いまだに大会らしい大会に出場したこともない。月に10回ほど10キロメートルを走ることを目安にしていて、ときどき時間のあるときには20キロメートルを走ることもある。20キロ走ってもあまりへこたれなくなってきたので、そろそろ走行距離を増やして、フルマラソンの大会へのエントリーを考え始めているのだけれど、そのような僕からしてみればランナーとしての村上は遥か前方にいる。正直言って、同じ市民ランナーだからこそ、村上春樹の高い走力には驚くしかない。そもそもあの年齢で、フルマラソンの大会にエントリーしていること自体が、並大抵のことではないはずだ。しかし、それでも村上は自分の衰えが気になって仕方がないようだった。実際に村上にとって、この失敗は相当大きな出来事だったらしく、彼はこの1年ほど、ことあるごとにこの話題について触れている。たとえばスポーツを専門にする雑誌のインタビューに答えて、村上はこうも述べている。

「実は今年の2月に京都マラソンに出たんです。ところが調子がよくなくて、制限時間(6時間)を超えちゃったんですよ。途中、賀茂川の河川敷を走るんですがそこがぬかるみになっていたので歩いちゃったりして。だから記録なし。38年間走ってきて、こんなことは今までなかった。これまでは必ず完走していたんです。はじめてのことで、ショックでした」

「タイムはどんどん落ちていくわけですから、僕は負け戦を闘っているんです」
 さらりと語る春樹さん。
--負け戦なんですか?
「そう。ミッドウェー(海戦)以降の日本軍みたいなものです。ソロモン、ガダルカナル、レイテ……。つまり撤退戦ですよね。それは壮絶な戦いになる」
--壮絶なんですか。
「ナポレオン率いるフランス軍がモスクワから撤退する感じ。撤退戦をどう闘うか。戦局を挽回するためのバルジ大作戦みたいなもの。最後の反抗なんですよ」

村上春樹インタビュー「いま走ること、書くこと、そして大きなヤカンについて」Number 1007「メンタル・バイブル2020」、文藝春秋、2020年7月

彼のようには走れない

僕は村上のこのような撤退戦への態度を、彼がラジオでちょっと無理をして話しているあまりこなれていないジョークと同じように微笑ましく思う。そのいじらしさを、愛おしくすら思う。このような結果的に生じる親しみは、村上の書く小説の主人公のもつ堅牢なナルシシズムからは決して得られないものだ。
 だがその一方で、この村上の負け惜しみに、走ることへの態度に微かな、しかし決定的な違和感を覚えるのも事実だ。それは70歳を過ぎたのだから、そろそろタイムが落ちることや完走に失敗することを受け入れてもいいんじゃないかといったことではなく、もっと根源的な違和感だ。僕もまた、走ることを自分の生活の中で欠かせないものにしている市民ランナーの一人だ。そして僕は村上が走ることについて書いたエッセイの類や、走ることについて話した雑誌などのインタビューを目にするたびに、僕は村上のように走ることはできないし、そもそも彼のようには走りたくないと感じてしまうのだ。以前はーー自分自身が走るようになる前はーーそれを彼のストイックな美学の表明として好ましく感じ、むしろささやかな憧れをすら抱くことが多かった。しかし、今はこれらを読む度にやはり違和感を覚える。僕と村上は、走るという行為を根源的なレベルで全く異なるものとして捉えている。おそらくそこから、僕の感じた違和は産まれている。そしてこの違和感は村上の小説の、特に近作に感じる違和感につながっているように思えるのだ。

 そう、僕の判断では小説家としての村上春樹はいま、巨大な暗礁に乗り上げてしまっている。そしてそこから脱出できなくなっている。そして村上の小説をそこに閉じ込めているものと、僕がランナーとしての彼の言葉に覚えたこの違和感を与える原因となったものはおそらく同じものだ。村上春樹はそれにとらわれて、なにか大切なものも見失ってしまっているのではないか。そのために、小説家として自分で設定したハードルに対して、撤退戦を強いられているのではないか。それが僕の判断だ。そして、この村上春樹が乗り上げた暗礁は、この時代に生きる僕たちの生を考える上でも、ほとんど決定的と言っていい示唆を与える。そう、僕は考えている。
 これは村上春樹という小説家の作品についての批評であるとともにランナーとしての村上春樹に対しての批評もである。それが入り口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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