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宮崎駿出演の『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観て、とても悲しくなった話

今更だけれど、宮崎駿を取材した『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観た。

最悪だな、というのが正直な感想だ。まず、どう考えてもストーリーを作りすぎている。高畑勲との関係性で物語をつくるのが「まとめる」上で効果的だと考えたのだろうが、あまりにも作為的な構成に、甚だしくウンザリしてしまった。

僕も「撮られる」側になったことがあるのでよく分かるが、こうした「分かりやすい物語」に人物をまとめる行為は、ほとんど犯罪的なものだと僕は思う。もちろん、こんなものは騙されるほうが悪く、それが撮って編集する側の作り上げた物語なのは観ている側がわかった上で、距離を保って接しなければいけないのだが、SNSでアニメやテレビ番組の感想をつぶやく人たちのリテラシーは当たり前だけどあまり高くなく(それは僕らのような批評家の啓蒙不足のせいでもある。ごめんなさい)、作家の話したことが解釈の「正解」だと考えてしまう人がとても多い。

作家なんてメディアに話すときに都合の悪いことや言いたくないことは話さないに決まっているし(人間だもの)、セルフブランディング目的で嘘をつく人も多い。ウケ狙いで過激発言する人も後を絶たないし、なにより人間には「無意識」というものがあるので自覚していることの、さらにメディアに向けて話したことを目立ちたがり屋のディレクターが編集したものなんて、「参考の参考の参考」くらいにしかならない。そしてこの番組が悪質なのは、こうした低い低い低い視聴者リテラシーを制作者が把握していて、番組が作家の神話化や権威化に寄与することを分かっていていて(それを狙って)放送していることだ。

以下、僕がそう考えるその理由を書いていこうと思う。

このようにNHKのようなマスメディアを駆使した広報やブランディングが常態化すると、作品と観客の関係は壊れてしまう。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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