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#10 感情はやがて溶けてゆく

憂き我を寂しがらせよ閑古鳥

こんにちは、ぼんやりです。今日はあの松尾芭蕉の句からヒントをもらって、人の心について書いてゆきたいと思います。

憂き我を寂しがらせよ閑古鳥

これ、僕の大好きな句の1つなのですが、どうでしょうか
ねえ。いいでしょう。
とてもいいんです。これね、いいんですよ...

これじゃなにも言っていないのと同じなので僕なりの解釈を書いていきます。
以下、独断と偏見の解釈です。まあ書くことはいつも全部そうなのですけなど、

想像してみてください
芭蕉自身が何か、どうにもならず、心がふさぎ込んでいた時が続いている。視界は暗く、足取りも重たい。景色もいつものようには綺麗に見えない。

その時、ふと人里離れた森の中から閑古鳥の声がきこえる。

その刹那、ふさぎ込んで微動だにしなかった心が動き出すのを感じます。
お前も悲しいのかい、と閑古鳥にこころの橋がかかる。

重く、固まっていた心が一瞬、解けるのを感じ、
自分が見ることも聴くこともできずにいた、悲しみや寂しさを拾い直し
ふと。
ただ、ああ あるなあと。
ただ、寂しいなあと。
ようやく味わい始めることができた
そして、その道の果てには、
その目の前に広がる自然と、閑古鳥と
その自分の心がゆき交い
自分ではどうにもならず、ふさぎ込んでいた感情が融和していくだろうという希望
を見た。

そういう句です。そうではないでしょうか?

メッセージはこうです。

感情はフィールドと、共有することで、やがて溶けてゆく

それを感じ、悟り、読んだ句だと思います。

そのまでいられたら、本当にそれを味わえたら溶けてゆくのだよという、芭蕉のとても暖かい心が見えてくる気がしませんか?

最近僕も仕事やら何やらで忙しく感じる日々が続いてまた恋愛もうまくいかず、

小さな断続的な感情の抑圧と
大きな感情の揺れで心がふさぎ込んだ状態でした

これは僕はよくなるんです。感情を置いてけぼりにしてしまうことを。
予定が少しでも重なるとすぐこうです。まったく、困ります。

でも最近はすぐに限界がきてしまって、あーもう1人になりたいとか
何もしたくないとか、身体が動かなくなってしまうとかって症状がすぐあらわれちゃうので、置いてけぼりになったものを拾い直しに行こうって思うんです。

そういう時は、みんなと話したり、それもできないとカフェで日記を書いたり。
公園で綺麗な池をみたり、ただ心を泳がせようと、心が動き出すのを待ちます
そうやってぼんやりしていると、あーそうか、悲しいのか、とか、あー、寂しいのかって。
未分類でも解像度は低くても、心が動き出すのを感じて
また話せる状態になったり、むしろ気づきがあって元気になるなんてこともごくまれにあります。

大切なのは、人や自然、フィールドと感じてることを共有するというところです。
そうすると自分では向き合い切れないものや、わけがわからない、強い衝撃を伴うものも
少しだけでも姿がみえてくると思いますほんの少しだけでも...
そうしたら後は味わいましょう。ああそうか、自分はこう感じているのか…と
そうしたら、後はそこまでできたら大丈夫。あとは心が勝手にやってくれます

落ちこんでる時は落ちこんでいましょう。悲しいときは悲しみましょう。元気になれたらいいですが、なれたらなれたでいいのですが、なれなくてもいいんです。
心は勝手に動きはじめますから。

これは本当です。僕が保証します。たった26年しか生きてませんがこれは本当です。
なぜって本当だからです。それくらいは僕でもわかります。笑

このフィールドと共有するというのを、何とか人ともできないかと、
僕は今練習中です。みんなの中でこんなことを感じていると、
特に弱い部分でするのが難しいですが、よけい効果的です。

だって自分では受け入れられないものほど、場や自然、人の力が必要なのですから。
まあ難しいですけれども。
だから練習中です。

人や、自然のもつチカラは凄いんだと思います。

今日も感じてることを大切にいきたいですね。


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