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感じたことを大事に扱う。

2023年8月16日の気づき・学び

チリも積もれば有毒ガスを発生させ、
そのエネルギーに煽られるように
攻撃的な表現が生み出されてしまう。

その時々感じたことを大事に扱い、
表現していくことを続けていけば、
それが正しい/誤り、
優れている/劣っている
といった評価、判断ではなく、
自分が感じたこととして認めている、
自分を信じている状態になるでのはないか。

とはいえ、人と場を見極めること、
質の高い場の確保、
コミュニティに身を置くことが
非常に重要なのではないか。


■ 大きな目標を実現するための小さな目標

・セミナー参加企業様「興味あり」アポ取り
               10件/15件
・2023年度プログラム提供完了
 来年度以降も続けたい率
                   80%
・体験セッション         
                 10名/月
  7月実績            4名

・業界雑誌での取り組み紹介への反応
      お問い合わせ件数    3件/年
 ↑7月15日発売
 ↑原稿提出         2023.5.27完了

・2024年3月31日、
 地元でフルマラソン開催、
 フルマラソン出場            完走
 ↑ハーフマラソン再び完走       未達成
 ↑富士登山成功      2023.7.15登頂成功
 ↑体重75kgを切る     2023.7.14達成できず
                   (75.3kg)
 ↑ハーフマラソン初完走      2023.5.28達成
 ↑体重78kgを切る     2023.5.27達成


▶︎ 朝散歩中、毎日のように蛇を見る。

朝散歩をするようになって4か月が過ぎましたが、このところ毎日のように蛇に遭遇します。本当に苦手なんです、蛇。

小学生の頃は、蛇をつかまえてグルングルン振り回していた記憶があるのですが、いまはそんなことしようと思いませんし、触りたくもないし、見たくもない。

早朝とはいえ、朝日がガンガン照りつけるアスファルトの上で、全く微動だにしません。日光浴でもしているのでしょうか。

朝の清々しい空気を力一杯吸い込みながら気持ちよーく散歩している時に、道の隅っこにいる蛇を目にすると、一気に気分が下がってしまいます。

まあ、住んでいるところが田舎ですし、毎朝の散歩道はいわゆる農道。今年はキツネやキジだけでなく、鹿と遭遇するなど、自然豊かなところなんです。そりゃー、蛇ぐらいいますよね。

蛇を見るのは吉兆のサインなんて聞いたことがありますが、気分が下がるくらいななら、蛇を見ることができた今日はいい1日になる!と、快の感情に無理矢理紐付けておこうっと。



▶︎ 溜め込むとガスが発生し、毒付く。

自分に向きあった3連休から数日経ちましたが、今朝朝散歩している時に浮かんできたことは自分の癖について。

これまで知らず知らずのうちに、感じたことや浮かんできたアイデア、意見を飲み込んで、その場や参加している人、特にリーダー的な人の意向に沿うような発言や、当たり障りないことを選んで言ってきた自分。

そんなこれまでの出来事の中で、直近あったことがふと思い出されました。直近のことということもあり、結構リアルにその時の感情が思い返され、めちゃくちゃモヤモヤしてきました。

じゃあ、その場面で何をどのように伝えることができたら良かったのかを考えていると、とんでもなく攻撃的な表現で話している自分がいました。自分が感じていることや意見、その背景にある想いを伝えるだけなのに、なぜそんなに攻撃的な表現になってしまうのか。

おそらく、3連休最終日に出てきた「自分の身を守る最善の手段」が発動しているのだと考えられます。幼少期の体験が完全に無意識に落とし込まれているのではないでしょうか。

それが発動してしまうと、自分が本当に感じていることを外に出す機会を失ってしまいます。そして、その経験がないことによって、意見を戦わせる経験ができないことに繋がり、「意見をぶつけ合うこと」や「意見が違うこと」への耐性が鍛えられないことにつながって、現在に至っているのではないでしょうか。

一つ一つを取り上げれば大したことではないのですが、チリも積もれば・・・で山のように溜まりに溜まったゴミの中で有毒ガスが発生し、そのガスが纏っているエネルギーに煽られるように攻撃的な表現を繰り出そうとしているのかも、そんな風に感じています。

もし、その時々感じたことを感じたままに伝えることができていたとしたら、攻撃的な表現にはならないのではないか、攻撃的になる理由すらないのではないか、そう感じています。

自分が感じていることを自分が認めて、それをしっかりと発信する。自分が感じていることが正しいとか間違っているとか、優れているとか劣っているとか、そんな判断は必要ないんですね。自分が感じたことは事実なのですから。

それを発信することによって、同じように感じていることを発信する他者がいて、お互いに違う考えを知り、その背景を話すことによって理解を深めていくことで自分の考えが深まっていく、深めていくことが気づきや学びなのではないか、そう感じました。

そして、その時の気づきを実際に取り組んでみる、行動してみてどんな変化があったかを検証するしていくことが大事なこと。

とはいえ、どこでもどんな時でも感じたままに表現することは危険であり、意見をぶつけ合う人、場所の質によって結果は大きく変わると思いますので、そこはしっかりと見極める必要があり、全てを受け止めてくれる信頼できる方との場を確保、そのような方々が集うコミュニティに身を置くことが一番かと。






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