[2]土木作業員&ADHDな母

こちらで父の紹介をしました。

どうも、父は仕事もパチンコもうまくいかず、ある時から家にお金をほとんど入れていなかったようです。母は、土木作業員や深夜の交通整備員の仕事をして、私達子ども4人を育て上げました。私達が自立した後も、そうやって、お父さんの面倒をみていたようです。

いつだったか母が私に言っていました。

「男はいらないよ。男がいなくても子供は育てることができるから、子どもを産んで帰ってきたらどう?」

私は40歳にもなって、彼氏もおらず、子どももあまり作る気はありません。ただ、既婚者からの誘いはたまにあるので、その中の誰かと子供を作るのもいいかも・・・と妄想したことがありました。でも、既婚者と付き合うのはやっぱり嫌なので、いまだ一人でいます。

母は、レストランなどでも働いたことがあるのですが、女性同士の人間関係に悩まされることが多いようでした。病院で診断してもらったわけではないので、分かりませんが、恐らく母はADHDだと思います。状況に合わせた動きができないようで、クビになったこともありました。土木作業員の仕事も一度クビになったようです。母のADHDについては、次回書こうと思います。

高校の春休みに、母と一緒に土木作業員の仕事をしたことがあります。むさいおっさん&シモネタばんばんの状況のなかで働くのは、超繊細気質の私にとって、かなりの苦痛でした。2日くらいで辞めました。妹は、短大の学費を稼ぐために、夏休みや冬休みの間、土木作業員の仕事を母と一緒にしていたようです。私と違って、妹はかなりタフな人間です。

母は、レストランのような場所で人間関係に悩まされながら働くよりも、土木作業員の方が気楽で楽しいと言っていました。そのセリフを聞いたときに、不器用な生き方しかできない母に、もの悲しさを感じました。

私は本当は、母に普通の仕事をして欲しいとずっと思っていました。こんなことを書くのは、バチアタリだと思いますが、母の仕事は私にとってコンプレックスの一つでした。

母のゴツゴツした手、爪は土が入って薄汚く、肌も日に焼けて赤黒くなっています。夕方、仕事から土まみれで帰ってくる母を見ると、何とも言えない悲しい気持ちを感じていました。

ただただ、普通に憧れていました。レジ打ちでも、トイレの清掃員でもなんでもいいから、室内で働いて欲しい。女性が真冬に、道路の工事をするなんて、一度でもそれを経験したことのある私にとって、女性があの仕事を選ぶことは、普通ではないと思っていました。

母の選んだ仕事をなかなか受け入れることが出来ないのも、私の悩みの一つでした。今も、書いていたら、涙が出てきました。一生懸命働く母を認めることができない自分も悲しいんです。





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