見出し画像

蟲医入門 2

蟲医入門と題して書き始めているのだから、蟲医の入門になりそうな話をしておきたい。
蟻の話である。

2017年、マタベレアリ(メガポネラアリ)Megaponera analisという蟻が、仲間を治療しているのが発見された。実際のところ、他の文献にも蟻による治療行為がなされていたという説を支持している観察がある[1]のだが、とにかくまあこのマタベレアリという蟻は、傷ついた仲間の傷口を診断し、舐めて治療するという。
しかも、傷口の治療の必要さを診断して、的確に口から出す分泌液で治療しているという。さらに、この分泌液を分析すると、タンパク質やその他の有機化合物が112種類も見つかり、その約半分は抗菌作用やケガの治癒を速める作用があるか、それに類似する構造を持つことがわかっている。
この論文によれば、蟻が蟻を治療するという、人間以外では初に近い治療行為がある、ということになる。
蟻に治療できるというのならば、どうして人間に治療できないということがあろうか。

とはいえ、虫を治療可能になり、仮にそういうことができたとして、それが本当にいいのかという問題は残る。というか、最初からそこの問題を片付けないまま、技術で可能だからと助けることが本当に良いのか、という問題が残っているのだ。
助けることは患虫(虫の患者)の主体性・自律性の尊重にはならず、むしろ飼い主の言いなりになるかもしれない。つまりは、飼い主の責任という論理である。しかしそうであると同時に、蟷螂の交尾のときに雄が雌に食べられるのが一般的なように、虫が死ぬのは時には自らの選択の帰結であることさえある。そのため、こうした構造の中に看護の倫理などを導入しようとしても、恐らく上手くいかないのだろうというのが想像される。交尾中の蟷螂の雄を雌から引き離して守ることが適当な処置であるような世界は、仮に可能であるとして、本当に虫としての生き方を大切にしていると言えるのだろうか。それはそういう生き方なのだと受け入れない不寛容さに支配されていると言える可能性はないか。
こうした言説を考える中で、非常に興味深いことに、獣医学では、家畜は財産として考えられていて、農家さんつまり飼育者の負担を金銭的な価値に換算して最大限軽減する[2]、という理屈が存在する。例えば乳牛などの場合その牛が生きていれば取れるはずの肉や乳によって得られる対価を考え、治療や予防措置を実行した方がその家畜が死ぬよりも金銭的損失が少ないから治療する、ワクチンを打つなどの判断が取られる。しかし、虫の場合、こうした損得勘定から治療の効果を経済的に算出する試みはほぼ不可能に近い。なぜなら虫は基本的に相当な個体数が存在し、寿命も短い傾向にあり、しかもその個体は小さく、一般的な金銭的価値を考えることが難しい。もちろん、高価で取引されるヘラクレスオオカブトなどの例があるため、そういった個体の治療方法は換算可能で功を奏すことがあるかもしれないが、個体数が多いと考えられている虫に関しては治療の価値がほとんどないかもしれない。私が架空で考えた昆虫憲法でも、実はその点は曖昧にした。昆虫の治療は保険適用とあるが、どの治療にどの程度の効果があり、どの範囲で適用を認めるかについては書いていないのだ。
患虫の自律性の尊重と言いつつ、その自律性が飼い主によって歪められるのであれば、果たして真の自律はあり得るのだろうか。動物などでは動物愛護の観点から主体性をある程度認める議論もあるようだが、虫となると意識の存在がそもそも議論の俎上に上がるようになるし(それを本能とどう区別するかという問題もある)、また虫の意識を認めるとしてその主体性を何に重点を置いて評価するかということになるので、これについては本当に難しい問題だとしか言いようがない。

ただ、難しい問題だと主張して議論を封印することにもあまり意味はない。もちろん問題がないところに問題提起するというのも一つの議論の方法ではあるのだが、せっかく蟲医入門を語っているのだから(騙って、にならないように心掛けたいと思っている)、もう少し治療可能性の議論を進めたい。
このマタベレアリの例を知る前に私が知った蟲医的事例には、新川徹氏による『寄生蜂アオムシコマユバチ(ハチ目:コマユバチ科)の異なる成長段階に対して投与されたベンズイミダゾール系殺菌剤ベノミルの毒性』という論文があった[3]。この論文の中では公表されているデータを見ると、明確に寄生蜂青虫小繭蜂の寄生した紋白蝶に、薬剤ベノミル投与で寄生から1〜2日の期間であれば蛹化した実績があった。この論文を発見した当初から私はこのことを蟲医的実例と考えていた。人間によるベノミルの投与が、紋白蝶を寄生蜂から守り、確実に蛹にしているように読み取れるからだ。
さらに、これとは別にいいお知らせもあり、こちら[4]のInstagramの投稿によれば、(恐らく)青虫子繭蜂に寄生された紋白蝶が、寄生蜂の羽化後に紋白蝶個体が羽化するという奇跡のような出来事が起こっていた事例があったようだ。もちろん、この事例は統計的にも恐らく稀有な例らしく科学的にどういうメカニズムが起きていたのかを説明立てるものではないが、蟲医的な治療の可能性について深く考えさせられる出来事だった。


これからももう少し蟲医的実例を集めることを心がけながら世界をウォッチしていきたいと思っている。


[1] アリの生態について~庭のアリはどんなアリ?~pt.6 によれば、
https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/sonota/ronnbunshu/R2/202015.pdf
「今回の実験1や過去の実験でも、怪我をしているアリを仲間のアリたちが介抱しているような姿を度々見ている。ドイツの研究者の論文で、大型のアリ、メガポネラアリが負傷した仲間を治療することがわかったと書かれているものがあるそうだ。ぼくは明らかにトビイロシワアリにもこの行為を行う習性があると思う。 傷ついたアリに仲間が唾液を塗るような行為をし、介抱されたアリが回復している姿を何度も目撃している。この人間に例えると介抱に見える動きも、アリが進化した末の知恵であり、戦力を少しでも減らさないため に行われる反射的な行動なのだろう。ところどころ人間の感情論を当てはめたくなるような行動が見られ、人間はこのアリたちがすることについ魅せられてしまう。」
とあり、トビイロシワアリにも治療行為を見出している観察者の存在が窺える。

[2]やさしい獣医疫学第6回
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jve1986/1996/37/1996_37_35/_pdf


[3]寄生蜂アオムシコマユバチ(ハチ目:コマユバチ科)の異なる 成長段階に対して投与されたベンズイミダゾール系殺菌剤ベノミルの毒性
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjaez/64/1/64_JF19025/_pdf

[4]
https://www.instagram.com/tefu_tefu2023/p/C3Ng7u9vgOS/

この記事が参加している募集

SDGsへの向き合い方

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?