「2021」「2011」「2022」
フリーライターになってからトータルで9年の月日が経った。
今年も専業ライターとして年末を迎えられたのはありがたい。
最近、思っていることがある。
「いい仕事したな」と感じた時点で、プロは試合終了ではないかと。
「満足のいくものができた」と自分の生み出したものに対して思った時点で、人間は成長を止めるのではないかと。
その恐れを感じられるようになったことが、フリーライター9年目の成果でもある。
来年は10年目。
ひとつの節目を迎えるはずだが、フリーライターの「フリー」には「明日なんて見えない」という苦しみも含まれている。
目標に向かいながら、楽しくも泥臭い現実を生きようと思う。
さて。
話は変わるが、アドベントカレンダーのお誘いをいただいたとき、「2021」という数字を見て浮かんできた一瞬があった。
10年前の年末だ。
あの日、私は婚約者を前にしていた。
私たちの間には真っ二つになったガラケーがあった。
私たちはその前の年に婚約をしていた。お互い初めての婚約である。
上京のきっかけを作ったのも目の前にいる人だった。
きれいに割れたガラケーを見て、三年間、永遠に離れたくないと願った男が、急につきあう相手としては最悪の人物だと思えてきた。
相手も同じことを思っていたかもしれない。
ガラケーは、私にとって2011年の終わり、そして結婚するはずだった男との別れを表していた。
その瞬間の私は、思いもしなかった。
10年後の今の私を。
懲りずに何度もまた恋愛するなんて。
結婚や離婚もするなんて。
再婚して、今、いっしょに生きている人がいるなんて。
明日なんて見えなくても、明後日はちゃんとあるのだろう。
ガラケーの時代が、真っ二つにならないスマホの時代に変わるように。
2022。
来年の今、フリーライター10年目になった私はこの数字を見て何を思うのだろう。
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