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退職

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#50歳

Year2013-15

Year2013-15

シンガポールとマレーシアは元々同じ国だった。60数年を経ると、こんなにも違うのかと思う。2回目のマレーシアは会社の立ち上げから始まった。慣れている場所だから、というより、2回目ってこんなに難しいのかってずっと思っていた。たった3年離れただけなのに、全く違う環境。結構もがいてたなーと思う。

何話か前の「退社を決意した瞬間」は、この時代(多分2015年)に一時帰国時のことだ。今が2021年9月。時が

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Year2012

Year2012

シンガポールという国は(いや街は)、やはり魅力があると思う。これまでに東南アジア3ヵ国に駐在してきて、ここには出張で何回か来ていた。小さい国土、高い物価。大都会だけど、東南アジアらしからぬユルさがないような気がして正直あまり好きではなかった。

住めば都、とはよく言ったものだ。このコンパクトさが快適、国は常に進化していて、東京以上だと思った。金融が主体また人口が少ないので私が従事している業界のマー

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Year2011 -B-

Year2011 -B-

10年ぶりの日本。新鮮じゃないはずがない。約一ヶ月間の「無職」はいろんな体験をした。クレジットカードを申請しても承認されなかった(妻の名前で申請すると承認された。専業主婦>無職、の事実)。嫌なことばかりではない。実家の北海道にも長いこと滞在できたし、社会的無責任は、短期なら、心地良かった。

新天地での勤務が始まった。規模の大きな会社だし、業界トップだし、いちいち刺激を受けた。次の年に設立される、

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Year2011 -A-

Year2011 -A-

遡ること10年。私はマレーシアから帰国した。会社を辞め、次の会社に入社するためだ。辞めた会社は、その1年前の10月に倒産した。本社東京で勤務している同僚は即日解雇。それはそれは強烈な出来事だった。健康保険がその日から使えなくなるらしい。持病を抱え、手術を目前に控えている人は狼狽えていると、東京の同僚から連絡が来た。私は、海外出向中の身。本社での待遇は前出の方々と同じだが、出向先はちょっと特殊な株主

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多分6年前

多分6年前

だったと思う。

一時帰国した時開いてもらった飲み会。総勢十人くらい、みんなのことは知ってはいたけど、海外出向者は私一人で。みんなが話す会話についていけなかった。主語が「本社」「社長」「役員」。自分のことを話している人いなかったな。私はただの空気で、であれば私抜きで飲み会やればいいのに。いや、私に「本社」にいることの優越感を見せたかったのかな。いまだに真意は分からない。でも確実に、その時だったと思

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