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#001 真っ暗な世界で感じたこと

こんにちは。わかちこです。
先日、娘2人を連れて東京の竹芝にあるダイアログ・イン・ザ・ダークを体験してきたので今回はその時のことを書こうと思います。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下DID)とは何か?

視覚障害者の案内により、完全に光を遮断した“純度100%の暗闇”の中で、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャル・エンターテイメントです。

※公式HPより (https://did.dialogue.or.jp/)

暗闇で純度100%ってなに?今まで暗いと思ってたのは純度何パーセントなの?真っ暗な中でコミュニケーションを楽しむ?文字で説明されても理解するのが難しいな。
そして、このエンターテイメントを知ったときなぜか心臓がギュッと苦しくなって『実際に体験してみたい!絶対やりたい!』と思って小学生の娘2人を連れて体験してきました。

なぜこんなに心惹かれるのか?を考えてみた。

私には幼少期から実家を出るまで父方の祖母と父母、兄と姉の私の3世代6人で暮らしていた。
同じ屋根の下で暮らす祖母は白杖を突いて生活していた。
私が物心つく頃には“世の中には目が見えることが当たり前ではない人がいる”ということを幼心になんとなく認識していた。
それは障害者という認識ではなく、ただ見えない人もいるんだという事実だけという感じに近いかもしれない。
字が書けない、文字が読めない、鉄棒ができないとか、ただなにかが得意ではないとかそういうレベルで思っていたような感覚に近いかも。

祖母は自分ではちょっと困難なことは私たち家族に頼ったりしていたけど、日常生活のほとんど身の回りのことは自分である程度こなせていた。食事や買い物、それにお風呂にだって手伝わなくても一人で入れちゃう!

私だって自分でまだ出来ないことは母に頼んだり姉に手伝ってもらったりしていた。それと一緒でしょ?といった感じだ。

幼い私は祖母を障害者だなんてこれっぽっちも思っていなかった。

障害者っていう呼び名があることを知った幼少期

小学校に行ってお友だちや親以外の大人(先生とかお友だちの両親)との関わりが増えて、社会の仕組みを段々と理解するようになると障害者と呼ばれる人たちがいることを認識するようになった。

『あれ?うちのおばあちゃん障害者だったの⁈』

目が見えない人、耳が聞こえない人、足が不自由な人や手が不自由な人って障害者という風に呼ばれるんだ。

そこで初めて健常者と障害者の区別が生まれたような気がする。差別じゃなくて区別されたって感じが正しいかな。

それでも、私の中で区別することにも違和感があった。

だって得意じゃないだけで私と同じだから。得意じゃないことを周りにいる人がカバーしたり助けることは当たり前だと思っているから。生きていく上で金銭面、生活面のサポートは大切だけど、それを障害者って一括りにするのってなんか嫌だなと幼いながらに思っていた。

大人になった今でこそ、鉄棒出来ないのと目が見えないのを一緒にしちゃダメでしょと思うけど、子供の時の感覚はまさにそんな感じだった。私が見ている世界と祖母の見ている世界が違うことが不思議でならなかったし、一体どうやって見てるのかな?と興味があった。

もう祖母は他界してしまったけど、祖母が見ていた世界を実際に体験できる!見えない世界はどう感じるんだろう?当たり前に見える世界にしかいない私は見えない世界ではどうやって歩いたり座ったりするんだろう?

祖母が見ていた世界を知りたいと純粋に思った。

立っているはずなのに自分がどこにいるのか分からない世界

前置きが長くなってしまったけど、実際に体験した感想を言わせて欲しい。
簡潔に一言で表すならとにかくめちゃくちゃ良いから体験してみて感じて欲しいということ。
公式HPの説明でもあるけど、その場で出会った数人と視覚障害の一人が案内人になって一つのエンターテイメントになる。
まずは一人一つずつ白杖を選ぶ。
白杖にもさまざまな長さが用意されていて自分のおへそより少し上の杖を使用するのが良いとのこと。

持ち方は、鉛筆をもつような形で軽くもって自分の足先より先に出す。この白杖がこれから向かう先に障害物などがないか確かめるための命綱のような役割を担ってくれる。
自分に合った白杖を手にしたらいよいよ体験がスタートだ!
一度の体験は90分で構成されている。そして一緒に体験するメンバーは今日初めて会う人ばかり。

1メートル先の人の顔がちゃんと認識できるくらい薄暗い一室に入ると輪になってまずはお互いのニックネームを決める。案内役は弱視の若い青年だった。

暗闇で前後左右にいる人の顔を認識できないのだから、呼び名が決まってないと『あの~』とか『ねぇねぇ!』と呼ぶはめになって誰に話してるか分かりようがない。初めて顔を合わせる8人で達成するためには『おーい』とか呑気に呼びかけているわけにはいかない。恥ずかしがっていた娘たちもニックネームで呼び合う事でちょっと緊張がほぐれた様で他の参加者の方ともグッと距離が縮まったので名前を呼び合うって大切なコミュニケーションなんだなと改めて感じた。

8人それぞれのニックネームが決まると部屋の灯りが落とされて純度100%の部屋になった。8人それぞれが案内人の声を頼りに扉の向こうの見えない世界に入っていく。
暗闇の中で二列になって進んで~と指示されても果たして2列に並べているかも不安だったけど、8人がそろりそろりと後に続いていく。

すると、足の感触が急に変わった!足裏がもふもふする。
靴を履いているけど注意深く一歩踏み出すと、そこには足元が芝生っぽい空間に突入している。靴越しでも感覚が研ぎ澄まされて少しの変化も感じ取ろうとしているのかもしれない。普段ここまで芝生の感触を味わったことがあったかな?ちょっとした変化に気づけた事にも感動した。

のろのろ進んでいく8人を案内人は前から声を掛けて私たちをどんどん奥へと引っ張っていってくれた。
それから芝生で8人が輪になって腰を下ろした。入口から芝生までは距離にすると数メートルも進んでないはずなのに足はすでに緊張して疲れていた。そして、8人でパスを回してみよう!との提案でブラインドサッカーで使用されているサッカーボールを使ってパス回しをした。

『え?見えない相手に見えない人がボールもらうの?パラリンピックの選手だから出来るけど、初めての暗闇で練習もなく本番?そんな簡単に出来るのかな??』
トップバッターでパスを受け取る座を手にした私はちょっと緊張していた。どこにいるのかも、どのくらい離れているのかも分からずサッカーボールの鈴の音と声だけを頼りにパスをもらうの初めての経験だ。

『わかちこ、ここにいま~す!こっち、こっち‼』と大きな声を出しながらなんとなく手も叩いて自分の存在を暗闇の中でアピールする。
ブラインドサッカー用のボールはシャンシャンと音を立ててがこっちに近づいてくる。

恐る恐る芝生に手を広げている私ににボールの感触がっ!見事にキャッチ!

ナニコレ⁈凄すぎる!パス正確じゃん!
距離感も絶妙だし、強すぎず弱すぎることもなくスッと私の手元に滑り込んできた!
いやいや、待てよ。そりゃ~案内の人は毎日このブラインドサッカーを参加する人とパス回ししてるんだから距離感がピタッと合うのは当然だよな。受け手の技術なんてこれっぽっちもいらないんだもの。とひねくれた考えの私はそう思っていた。
ここから私が次の人にパスを出して受けられるかが問題なんだよ。(何様なの?という感じだけど)
次は私がパスを出す番だ。受け手の方が手を叩いたり『こっちだよ~』という声を頼りになんとなく聞こえてくる方向に投げてみる。距離感が分からないなりに想像して自分なりに感覚で投げる。

目を開けてるのか閉じてるのかも分からないくらい、本当に真っ暗闇なので果たしてボールが相手の手元に届くのだろうかとちょっとドキドキ!さっそくボールがへんてこな方向に行ってしまってどこだ?どこだ?と皆で手探りで探している光景がうっすらよぎった。w 

少し間があって『届いた~‼』という一言で、ワァッと参加者全員が一気に興奮するのが分かった。

見知らぬ8人がギュッと距離が近くなった気がした。
※あくまで個人の感想だけどホントにそう感じるくらい興奮したんです。

このパス回し体験を皮切りに【案内人のおじいちゃんの家に遊びに行く】という設定で電車に乗ったり、おじいちゃんの家のコタツに入ってみたりして
充実した時間を過ごした。
目から入る情報に頼れなくなとこんなにも手の感触、匂い、そして耳からの得る情報が大切かがよく分かった体験だった。

まとまりのない文章になってしまったけど、見えない世界で感じたこの感覚を忘れないように。
そして、少しでも誰かの気づきになったらいいなと思ってここに残そうと思ったし、実際に体験してみて欲しい。
子供たちも良い気づきがあれば良いなと思うのでまた連れていきたいな。


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