映画「インサイド・ヘッド2」の「虹色の自我」
インサイド・ヘッド2を観てきた。とても良かったので書き残しておく。
「一見マイナスに思える出来事や自分の振る舞いも全てが自分でありそれを知ることが人生だ」
という占星術にも大いに通じるメッセージを受け取ったので、占星術界隈の方々にもおすすめしたい。
以下ネタバレを含むのでご注意を。
この映画は喜びなどの感情をキャラクター化して人間の心の中を可視化した作品だが、今回は主人公が13歳になり「思春期における自我の形成」が描かれていた。
最も興味深かった概念が「思い出の泉」。
物語冒頭、感情の中心を担う「ヨロコビ」は記憶を選別し、思い出の泉に流す。
その泉は自我を作る。
「ヨロコビ」は、出来るだけ良い記憶を泉に流し、前向きで良いことばかり中心の自我を作り出す。
「私は良い人」という自我。
それは一見良さそうに見えるのだが、だんだんとその脆弱性があらわになる。
「私は良い人」という一面的な自我は、美しいが脆い。
「ヨロコビ」が「必要無いわ」と遠くに投げ捨ててきた、
試合で反則して退場になった悔しい思いや、
久々に会った人の名前が思い出せず気まずかった記憶や、
友達に冷たくされて悲しかった思い出などの、
辛く切なく恥ずかしい記憶達が、
実は大切なものだったと終盤で気づく。
そうしたネガティヴに感じて忘れようとしていた記憶も含めて、
全てを「思い出の泉」に浮かべて流してみたら、
今までの素晴らしい記憶と重なり合って混じり合って、
多面的で複雑で魅力的な自我が出来上がったのだ。
「私は我儘で意地悪で皮肉屋で優しくて飽きっぽくて面白がりで悪い人で良い人」。
虹色の自我である。
この終盤の「虹色の自我」の完成は、
主人公の成熟度が増したことを示していた。
良い人。
人間ってそれだけじゃない。
色んな出来事があって感情が生まれて
それらを経て、
様々な色を含む美しい自分らしさが育まれていく。
それは多面的で重層的だからこそ容易には壊れない。
どんな時も自分自身でいられる。
占星術の考え方も似ている。
私たちの中には少なくとも10個の天体がある。
それぞれに喜びも悲しみもある。
良いと思われる面ばかりを10個並べたところで、表面的でしかない。
牡牛座はマイペース。
双子座は好奇心旺盛。
乙女座は几帳面。
天秤座は美的センスがある。
それが貴女です、と言われても。脆い。
例えば蠍座の太陽ひとつとっても、
喜びも悲しみも怒りも心配も恥ずかしさも数限りなく存在していて、
それは蠍座の太陽を100%生きようとして初めて体験できる。
信じられないほど恋人に執着して嫉妬深さで息もできない体験は苦しみでしかないけれど、
蠍座の太陽はそのおかげで成熟度を増す。
この人しかいない。
そう思える人と出会えた喜び。
そう思った相手に裏切られる悲しみと怒り。そう思っていたのが自分だけだったと知った時の恥ずかしさ。
いつか相手が離れてゆくのではないかと気が気でない心配。
何度も最悪の事態を考えては眠れぬ夜を重ねる日々。
経験したくてしたわけじゃない。
それでも後から見れば、
全ては蠍座の太陽を味わい尽くしている経験に他ならないし、
そうした経験を積めば積むほど「蠍座の太陽」は螺旋階段を登るように成熟度を増していく。
色は深く美しく、強くなる。
えも言われぬ色合いが、蠍をさらに美しくする。
蠍座の太陽を例に出したけれど、
あらゆる天体にはそれぞれに辛く苦しい体験が伴うはずだ。
その天体を存分に生きようとすればするほど。
ポジティブな側面だけを享受して
良いとこ取りで楽しめるような代物では無い。
どんな天体であれ、サインであれ。
私はそう思っている。
だからこそ占星術の意味がある。
主体性を持って生きれば生きるほど人生はたぶん辛い。
でも辛く悲しく恥ずかしい記憶が、
いつしか心の底の深い深い泉になり、
強靭で複雑な光を放つ美しさを持つ自分らしさに繋がっていく。
そう思えば、
自分の持つすべての天体を味わい尽くすことがまた楽しみになる。
表面的な「ヨロコビ」ではなく、
あらゆる感情を味わったからこそ辿り着く、成熟した「ヨロコビ」へ。
そんな、人生色々あるからこそ味わい尽くそうと思えるような前向きな気持ちを、
改めて感じられた映画。
とても良かった。
ぜひおすすめしたいし、もう一度観たい。