3年A組 感想
あの場にいたのは、自分かもしれない。/1話
昨日の夜に始まったドラマ「3年A組 -今から皆さんは人質です-」を見た。
これはきらきら学園ドラマじゃない。
社会派ドラマだ!と、あらすじを読んだときに思ったが、やはりこれはきらきらなんてものじゃない。
これは、リアルな地獄のドラマだ。
まずスタートは3月10日。美術教師が校舎の屋上から地面へ倒れる、全て終わったところから話が始まる。
時間が逆戻りしていく形のお話。
そこから3月1日へと、戻る。
穏便に!と叫ぶ校長先生らしき人は日本の学校の総意だろうなあ。
たくさんの荷物に埋もれた柊先生が美術室を去った後に、映った鏡が割れていた。
それを合図に教室の鍵は閉まるし、爆破も起こる。
他のクラスになくて、3年A組にあるものは?
柊先生がクラスに問いかけた。そしてこのような感じに続く。
わかっているけど、言いたくないよなあ。
一字一句合ってはいないと思うのだけど、これが真実じゃない?認識してることがあるけど、それを言葉にしてしまうと、わかっていることがわかってしまう。
自分の口で言わなければ、知らなかった、わからなかったと言えてしまうから。
ドラマでは、とにかく口を閉ざす生徒が多かった。文句なりなんなり声をあげるのは一部の人。これがすごくリアルだ。
有名な人が演じているから台詞がある、というのもあるかもしれないけれど、実際問題広い教室の中で全体に向かって何か話すのは少数の人間。
まさに前半の茅野さんのように、思ってはいても態度には出さない人の方が多いんです。私も例外ではなく。
だから、このドラマにはすごくリアリティがある。
確かに柊先生みたいな行動を取る先生はいなかったし、澪奈ちゃんのようなクラスメイトもいなかった。
でも、いつあの場が目の前に広がっていてもおかしくない。そう思う。
そこに、自殺をした生徒のいるクラスに、
いたのは、私かもしれない。
もしかしたら、澪奈ちゃんは自分だったかもしれない。
教師だから。/2話
本当のことを言うと、自分の立ち位置が悪くなるから、嘘をつく。口を閉ざす。
これは何も学校に限ったことじゃない。
会社員でも、政治家でも、誰だって同じ。
そんな時に、どうするのか。本当のことを告げるのか、そうサポートしてくれる人は近くにいるか。
それによって、人生は変わってくるのだろう。
教師だから、正しい道に進めるようにしないといけない。自分も外れた道を立て篭もり事件を通して教師としての仕事を全うしようとしている。
少しの想像力が足りなかったと言った。
インターネットに流したことでどうなるのか、考えたのか、と問い掛けた。
ひとごとじゃなく、今誰もが知っておかないといけない大事なこと。
明日への活力/3話
それは、お前にとって明日を生きる活力になったのか?
明日を生きる活力。楽しみな予定や、美味しいもの。生活を彩ってくれるものに、大切な人との会話。
それに「誰かへの恨み」を加えることは、果たしてできるだろうか?
自分の精一杯の思いを告げたときに、受け入れてもらえないことは、かなり辛い。でも、その相手を否定してしまうと、恨んでしまうと、その人に対して抱いた思いを、自分を否定してしまうことになる。
そんなのあんまりだ。
相手が後悔するくらいの、極上の自分になる。もっともっと自信が持てるようになる。そうすれば、きっとちゃんと縁は見えない糸は繋がっているはず。
信頼とは/4話
人は自分以外を頼ることができるのか?信じることができるのか?
クラスメイトは友達とは別。そんな考え方もあるけれど、実際問題一部はちゃんとした友達だったりするものだ。
ダンスの夢を追いたかったけれど、そうそう夢を見ていられない環境になって、純粋に追うことのできる人が羨ましかった。それを言い分にして目先の利益を望んでしまった。それでもやっぱり悪に染まり切ることはできなかった。
何かひとつ、後ろめたいことがあると人は隠すし、嘘をつく。それに気がつくのは自分のことを見てくれている人しかいない。
普段の自分を知っている人じゃないと、変化には気づけない。
信頼できるようになるためには、信じて頼ることができるようになるためには、普段からの関係性が全てだ。案外窮地に立たされたときには第三者の方が頼りやすかったりもするけれども。
肩を支えてくれる人は必ずいる。
自分のこれまでは間違ってない/5話
1話目は、身近だったのに気づかないふりをした後悔。
2話目は、距離ができた寂しさから思いやることができなかった後悔。
3話目は、自分の気持ちが受け入れられなかったことに対して、前に進めなかった後悔。
4話目は、夢を追うことのできる環境への嫉妬心から利用しようとしてしまった後悔。
5話目で、生徒に対する暴露と後悔は一旦終止符が打たれた。
5話目は、特に誰のことも陥れたりしていない。夢のために、人の権力や地位を使ってやっとスタートラインに立った、これでいいとは思えないけれどもう引き返せないから前に進むしかない。
間違っていない、これまでの人生は何にも間違っていない。そう言われて溢れるものは自分を認めてもらえた安堵感かそれとも。
自分の人生には関係ない、そうやってしまうと全て何の意味にもならない。関係があるかないかなんて、すぐにわかるものだけじゃない。
嘘の正当化/6話
同じ嘘でも、相手のためを思っていれば、ついていいのだろうか?
身内の大多数に晒すのと、どこに広がるかわからないところに流すのとどう違うのだろうか?
もちろん、先を想像すれば答えは出てくる。考えられる選択肢、リスク、いろんなものを出してそれでいいのか判断。
でも多分、そんなすんなりとはいかない。
ドラマでは先生のついた嘘は相手のためのもの。だけども何だか腑に落ちない。好きなものを取り上げられたら、長年そのためだけに努力して、自分の全てだとも言えるものを手放さないといけないとなったら。命を絶ってしまうだろうか。そう思って嘘をついた気持ちはわかるし、最善なようにも思うけども。
インターネットは恐ろしい。不特定多数に一気に広がって、予期しないことがおこることもある。嘘でした、なんて言っても取り消せない。
嘘を正当化しても辛くなるのは、きっと自分だ。
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