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考えること。お互いの考えをぶつけること。思考停止すること。その狭間。

今日のラジオのトピックは絵本。あえて答えを用意せず余白を作り「自分で考える」ことの重要性に触れていた。全くもって同意だけど、自分で考えず答えを欲しがるのは何も子どもだけじゃなくて大人でも普通にあったりする。よく「指示待ちするのは…」という話多かったりするよね。ちなみに指示待ち議論は以下の動画も面白い。

自分で意図を踏まえ考えることと同時に、教える側も実は持っているのは考え方の一つでしかなく「唯一無二の解法」でもないということだ。けど、最近思うにこの指示待ちが起こる背景って、実は教える側の思考停止からきてる気がしています。

よくあるじゃないですか。聞いてきた素朴な質問を「そんなこともわからないのか」「だからお前は」的に返す人。あれって質問に対して丁寧な説明もなければ、相手に合わせた言い回しをする配慮もなく決めつけてしまう(自己反省もある笑)。本人としては教える相手が思考停止していると勘違いして自らも思考停止になっているのかもしれない。

そして一方教えてもらう側も「目上は答えを出して当然」というトーンもあったりするので、全てが教える側の問題とも言えない。そしてどちらかが論理より感情を優先させるか(恫喝やら癇癪やら)、諦めてしまうかすること(放置や無視やら)で、相互理解のチャンスがなくなってしまう。

思うに教える教えられるは関係なく、お互いの考え方をぶつけないと「なるほどね」とはならないし、時間はかかることだけど地道に積み上げていくしか答えはないと思う。けど一方で誰しもが面倒臭いのはストレスにもなる話だから、そのあたりもオープンで議論出来るといいなあと思ってしまいます。

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。