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僕らは、勝手わがままな人たちだ。

夕ご飯の買い出しに行った帰りに近所の方に声をかけられるタイミングがあった。話によると、自分の家の前にあるゴミ捨て場がカラスに狙われており、その食い散らかしがその方の家まで来るから迷惑していると。

その方は表向きは礼儀正しく気を使ってくれているが、まあ平たく言うと私から不動産屋にクレームを入れて欲しいと言う要望であった。

聞いている感じ現状の不満と、今後の不安と、自分の立ち位置の正当性を強く主張されている自ら年齢を85と宣う淑女を見ながらなんとも言えない気分になった。というのも

「変化に対する戸惑いや怒り」
「さまざまな面で不安」
「自分は責任を取らない」
「実行部分は人に押し付ける」

という部分が見え隠れしたのと同時に、自分にも似た部分がゼロではないと気づき、やるせいない想いが沸き立ったからだ。(度合いの差はありますが)

昔の番組で日本人すごい、日本すごい的なものが多くあったが、あの話は2つの目線で見る必要があって。

先日いまは亡き手塚治虫の「漫画の神様説は、藤子不二雄のまんが道から来た」話をしていたが、それと同時に手塚治虫の人格破綻具合も同時に揶揄していた。

これはある意味どちらも正しくて、「漫画のスキルは神」であると同時に「人格的には一般からするとおかしい人」なんだろうと。

テレビ番組の話に戻ると狙いとしては「この人はすごい」「だから我々もすごい」という意図もあるが実際のところ多くの天才は何かしらネジが一本切れているケースが多い。けど、目的達成のために、そのような突破力は時には必要なスキルなのだろう。

しかし、その人たちを横に見て同じように仕事や生活ができるのかというと怪しい。実際は最初の淑女のようにその天才を断罪し自己正当を主張しつつも自らは実行せず、責任を回避することに終始するんだと思う。

個人的にそれが邪悪かと言われると良いとはとても言えないが、そういう面がゼロかと問われたら全くないとは言えない訳である。僕らは、勝手わがままな人たちなんだと、まざまざと思うよね。

いまの社会のある様は、自己都合の判断や思い込みの結果、招いている災厄な部分が多く見受けられているわけで、引いてみたときに「悪い意味での社会実験」を大規模に行っている。

少したったあとに、今日思っていたことが、どういう自己評価をするかを見るために、残しておきます。

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