見出し画像

富の再配分という夢物語

「いま給付しないと生きていけない!」的な話がいろんなところから漏れ聞こえていますが、自分の周りだとイベント系や飲食系の人たちが結構苦しいらしい。

一方で給付といっても、実際するのは「借金の前借り」でしかないので、返済時は重たい増税がやってくる。そのときはおそらく一律ではなく不平等な形で、返ってくることは明白。もしかすると、その返済時に苦しくなる人も出てくることもあるはずだ。

要はやっていることは「富の再配分」を税金とかで行っているわけだが、実際は完全な形で公平にできるわけではなく、ある程度の不平等は、いつの時代にもある程度はある。

そのため選挙とかで、優先度を上げる人を決めて訴えるわけだ。その結果、利益を得た人は享受され、その生活は潤うわけである。よく陳情の列がどうのこうのというのも客観的に考えると頷ける。つまり利益と票が紐付いているわけだから。

つまり「おぬしも悪よのう」「いえいえお代官様ほどでは」という中世的な利益供与を選挙の票というぱっとみ近代的なシステムに組み込んでいるだけでしかない。

いまは越後屋の下に、数多くの生活者がいて、その人たちが比較的楽に生活できることと引き換えに、自らの票田を売っている形なんですよね。今の越後屋は越後屋だけが儲かるのではなく、越後屋の徒党が潤うシステムであると。

最近の世界が「一部の人の利益は高いが他の人はどうでもいい」「それ以外の人の不満が高まる」という傾向が顕著。けど、昔ながらの「為政者はその国全体を収めて然るべき」あるべき姿とのギャップが、いまの全体の不満を押し上げているのだと思う。

もしかすると、昔からも同じだったのだが、この情報化社会の中で、隠すのが困難になったから市井の人でもわかるようになっただけかもしれないですが。

今日は朝から冷たい雨です。

この厄災は、偉い人でも有名人でも平等のように見えるのが、変革する時代にとってキーワードになるとなんとなく考えています。

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。