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論理的な因果関係は常に変質していく

GWにおけるnoteは、ほぼ散歩写真となっていた。基本早朝のみ歩きあとは家でおとなしくということで、ついつい酒量が増える悪い傾向。その分を歩く距離(運動)で補うという「それ何か違う笑」という感じ。

昨日から出社になり、歩く距離が減って生活態度が変わらないと、今日の朝の体重は0.8kg増と、論理的な因果関係の説明が容易なことになっている。少し生活態度改めないといけないですね。とはいえこの「声がけ」と「行動」がぽんと連動しないのは、一人暮らしの悪いところかもしれません。

論理的な因果関係でいうと、いま世の中に起こっているマンボウやら宣言やらもそうで、1年経つことで「謎の物体X」だったのが、こうすれば大丈夫というある程度の対策や発生率を下げる生活行動(0にならないのが辛いところですが)が見えつつある。

けど、厄介なのはそれこそ変異体がどうたらで、常に知識のアップデートが必要不可欠になっていて、よく言われるような「いたちごっこ」になりつつあります。ビジネスでもそうですが論理的な因果関係って常に変異体なんですよね。ある論理性はその時には明確ですが、常に変わっていく。

分野が違うけど、最近のヨーロッパサッカーの傾向、特にイギリスのプレミアリーグなどはそのあたりが顕著で、どこかのYoutuberが言ってたが「それこそじゃんけん」らしい。

つまり、相手がグーチョキパーどれを出すか予測して、試合を開始し、開始直後「相手がグーで、自分はチョキだ」と判断するとパーに変更、相手も気づいて更に変更...と、「常に自分が勝つ」じゃんけんを続けていくらしい。

これこそ常に変質する状況を踏まえ論理的な対策を取っていく。アメリカなどもそうですが、このあたりの継続的なロジスティクスは頭が下がるし学ぶべきことは多い気がします。

日本を見ていると、大きく

1.変質する状況を踏まえて常に論理的に行動
2.最初の論理で結果が出ると続けて行動
3.論理より感情を優先して行動

この3種類の層が、ミックスされている気がしています。そして案外3が一般的には響く。いわゆる1の人たちの行き着く先はサイコパスと言われがちで、3の人たちからすると「人の心がないのか!」という話になる。

とはいえ、、自分自身で考えても常に1の行動は難しく1,2,3を行ったり来たりしていて、それこそ変質しがちである。面白いのはこの変質は常に人にはあると思うんだけど、他人から見ると「変節」として解釈するんですよね。自分の変質は認めつつも、他人の変質は認めない。

そのためリーダーはある行動原理から変わることを極端に嫌うのかもしれません。「変節したリーダーは頼りない」というレッテルをはられたくないがゆえにやせ我慢している気がします。

自身が思うに、自分も変質するし、他人も変質するのは当たり前で、そのことを踏まえて、自分にも他人にも優しい世界になんかなと最近思います。

ちょっと前のニュースでメルケルさんも途中までの自説は間違っていたことを認め方向展開したシーンがあったのですが、自説を変えることに勇気を持って取り組むべきだし(なぜなのかの説明は必要ですが)、周りの人もそのことを認める世の中になってほしいなと思うのは、自分だけでしょうか。

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