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知的生産と4時間考えること

知的生産ってなんなんだろう。

「知的生産とのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら──情報──を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ」

検索を行うと知的生産より知的生産性の方が出てくる。

知的生産性は、オフィスの中で知的成果物を生み出す効率のことをいう。製品の仕上がりが一時間に何個と計られる労働生産性に対する言葉である。 書類のタイピングを一時間に何枚、伝票を何枚という量的に捉えられる成果物ではなく、あくまで事業を推進するにあたって必要な成果物を生み出す効率を計るものであるため、その測定は困難である。

Wikipediaより

まあ、以下の引用記事での感覚でいうと頭を働かせて「ゼロからイチ」のアウトプットを出すことと考えた方が感覚的に近い気もしている。

これって企画やアイデアとかがわかりやすいだろう。アイデアマンなんて昭和の時代では称号的な側面があった。今で言うところの発想法なんかも近いし「発想力がある=頭いい」そういうイメージがあるよね。

でもでも考えてみれば、アイデアの99%なんて実は過去の企画の焼き直しだし、さまざまな課題も過去事例で転がっていて、それらを取り出す引き出しがあれば地頭のよさはなくとも平均点が取れるわけで。

そして聞いても怒られない最良のメンター(AI)が令和はきたことで、4時間考えて成果ゼロって「秒でAIに聞け」で終わる時代になってしまった。

実際に使ってみてわかるけど、AIって「ざっくり聞くと大枠のアイデアが出る」使い方と「正しい答えの精度は、インプットの解像度に比例する」使い方、二系統ある気がしてて。(なお後者はシステム開発における要件定義そのもので、要件定義の解像度とシステムの出来は比例する話と合致する笑)

知的生産観点で怖いのは、ざっくり聞いても60点の回答をすることだ。これよく「たかだか60点なんて使えねえ」と言いがちだけど、多くの人は4時間かけて進捗ゼロ、つまり0点な人も多い。となると使わない手がない。

でもAIに支配される論の人も一定数いる。これって平成時代の「携帯の電磁波で人はバカになる」と、平安時代の「夜に家から出ると魑魅魍魎に攫われる」に近い。要は見えないものは怖いという僕ら動物的な危機察知能力だ。同時に克服できたのは知識ではなく「おまえまだそんなこと言ってるの?」という友人知人の声だったりする。

よく人は大脳がでかいから偉いんだというけど実際は「多数派に影響を受けて行動が均質化される動物」だから強いわけで。AIのざっくり回答も行動の均質化される流れに乗っている。そしてそのきっかけは機械のせいじゃなくて人の声なんだろうね。

まあ知的生産者よ。一度AIに聞いてみるといいと思います。

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