もしも「脳が壊れた」ら?
成長して大人になって様々なことを経験しても
自分の行いのうち「あの時あんなことしなければ」と、頭の隅に
ずっとひっかかっていることもある。
あの時、自分はどうしたらよかったのだろうか?
今なら、どうしたいだろうか?
後悔は消えないけれど、
「これから」に目を向けられるヒントをくれるお話と出会った。
*
「脳が壊れた」を読む
先日図書館で借りてきた、
「脳が壊れた」(新潮社)という本。
そのタイトルから「深刻で悲しいお話なのでは」と想像して、読むのが少し怖かった本なのだが、1ページ2ページと読み進めるうちに、自分が読むべき本だと気づいた。
著者の鈴木大介さんのお名前を知ったのは、
「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」(東畑開人、医学書院)を読んだとき。
社会派ルポライターだった鈴木さんは、41歳で脳梗塞を発症し、一命はとりとめたものの、「高次脳機能障害」という後遺症が残った方だ。
この高次脳機能障害のひとつに「半側空間無視」(鈴木さんの説明を引用すると、「自分の左側の世界を、“見えていても無視”したり、左側への注意力を持続するのが難しい」感覚)がある。
半側空間無視を含め、記憶、注意、遂行機能、社会的行動に障害が生まれる後遺症が、この高次脳機能障害と呼ばれているようだ。
文章でこう書くのは簡単だが、実際にその状態を経験していない人間にとっては、おそらく理解が難しい。ちなみにわたしもその1人。
しかしこの「脳が壊れた」では、
鈴木さんがその苦しみを、当事者として言語化しようとしている。
“しようとして”と書いたのは、“言語化している”としてしまうと、鈴木さんの言語化した文章が、鈴木さんにとって完璧なものであると断定してしまうような気がするからだ。
しかしおそらく鈴木さんは、「高次脳機能障害とはこういう感覚になるものです」とひとくくりにすることは望んでいない。むしろ、その苦しみは見えづらく、人に伝えることはおろか自分自身にとってすらも言語化して整理しにくいという認識を持っているように思う。
そして、この本を書き上げるにあたり、鈴木さんは相当な期間リハビリを重ねながら、その身に起きている「見えづらい苦しさ」を自分自身に取材している。
その過程で、病前に鈴木さんが取材対象としてきた人たちの「当事者認識」と鈴木さんが脳梗塞を経験して生まれた「当事者認識」に共通点を見出していくのだ。
恐らく後天的な脳の機能障害である高次脳機能障害の当事者認識とは、先天的な発達障害、または精神疾患、認知症等々、大小の脳のトラブルを抱える「脳が壊れた人々」の当事者認識と、符号するのではないか。 (「脳が壊れた」41頁より)
精神障害や発達障害など、様々な背景を持ちながらも、自らについて語る言葉を持ちにくく、そのために孤独や貧困のなかにいる人々。
これまで取材してきた、そうした人々の感覚にも通ずるところのありそうな、脳梗塞によって高次脳機能障害を持った感覚。それを当事者として言語化することは、鈴木さんにとって「僥倖」「使命」と思えたそうだ。
…と大まじめに紹介していると、「これはなんだかちょっと違うな」という気もしてきた。
いや、本は大まじめに紹介したいが、こんな深刻で悲しそうな文章になってしまうと、それこそ先述の私のように「深刻で悲しいお話なのでは」と思ってしまう人がいるかもしれない。
そこで、脈絡は一切わからないであろう同書の一節を引用したい。
ということで、当面のリハビリ到達目標は、「妻にエロ本を発見された夫の開き直り謝罪を完璧再現できる発声スキル」である。
(43ページより)
いかがだろう。内容に触れていないので引用もなにもないのだが、「これは何の話をしているんだ?!」と気になって読んでしまう人を3人くらいは生むと思う。
鈴木さんの語り方は、分析が丁寧でありながらスピード感があり、かつそれを、初めて読む読者にもしっかり手渡してしまう印象だ。
つまり、冗長さはなく、おもしろい。
けれど、気づけば深く潜り込んでしまう。
鈴木さんはそんな文章を書く方だと思う。
冗長さを取ったら句読点しか残らないような文章を書く私にとっては、憧れの存在に近い。
ぜひ病前の鈴木さんの著書も読んでみたい。
*
「性格」と決めつけていたあの時
「脳が壊れた」を読んで、私は他人の見方が少し変わった。
たとえば、電車に乗っている時。
斜め向かいの座席の中年の女性が、私の顔を真顔でじーっと見ている。以前なら「なんでこっち見てるんだろう、気持ち悪いな…」とか「睨んでるのかな」と落ち着かず、気分を悪くしていた。
しかしこの本を読んだ翌日はちがった。私は
「この人も、好きでこっちをガン見してるわけじゃないのかも」と思い、はっとした。
右方向に視線をやるとそこから目が離せなくなり、目を離したくても離せない可能性もあるのだ。
脳梗塞で右脳を損傷した鈴木さんは、左方向への注意力が阻害されて、優位な右方向への注意力が一層亢進、過剰になってしまう状態だったらしい。「よそ見会話病」「メンチ病」などと名付けながらその状態・感覚を解説されている部分を読んだ時、衝撃を受けた。
そして翌日、先ほどの「じっとこちらを見てくる女性」がいたのだ。
不自然な様子に感じる人を「変な人だな」と思ってしまうだけだった、これまで。あるいは、「性格」だと思っていた、これまで。
時々蘇っては後悔の念に苛まれる私の過去が思い出された。
*
過去といっても、なんのことはない。
「気に入らない男子を、塾のメンバーから外させてしまった」というだけである。
簡潔にまとめすぎると、そして文字にすると酷くて情けないが、わたしのやったことだ。
小学校高学年から中学校3年まで、アットホームな個人学習塾に通っていた。
幼馴染の女子、近所の男子2人、クラスは違うけれどそこそこ頭良くて面白いなと思っていた男子、違う小学校の男子2人、わたし。概ねこの7人でクラスを受けていた(性別に関しては、当時の自分のセクシュアリティ認識で書いている)。
このうち、「違う小学校の男子2人」が、私にとって邪魔な存在となった。ライバルとかそういう意味ではない。私語が多くて、声が大きく、教室を歩き回る。それが自分の勉強の邪魔だと感じたのだ。
私は彼らに直接「静かにして」と言った記憶があまりない。あったかもしれないが、きちんと言葉にして伝えず、睨みつけたり「うるさいんだけど」とぶっきらぼうに言う程度だったと思う。
その分、勉強に集中できないイライラは先生にクレームを言うことで解消していた。「あの人たちのせいで集中できない」「うるさくて腹がたつ」「みんなの邪魔だ」というようなことを、週2回の授業の後にほぼ毎回言っていた。
先生は「そうね、本当に困るわね」と言いつつ、同じ塾生なわけだから、今思うと少し困ったように笑っていたように思う。
当時の私は、「先生はあいつらに甘い」と思っていて、自分が正しいと信じて疑わなかった。
そうして数ヶ月が過ぎ、いつしか「違う小学校の男子たち」は塾からいなくなっていた。
最近あまり見なくなったな…と思っていたら、先生が言った。「あの子たちは辞めちゃったの」。
塾からいなくなればいいとすら思っていたのに、いなくなったと聞くと、なんだか、心がずしんと重くなった。
なんで辞めたんだろう。
きっと、塾の勉強についていけなくなったんだ。家庭教師とか、自分たちにあう方法で勉強することにしたのかな。
しばらくはいなくなった理由が気になったものの、「文句を言いつづけた自分のせい」とは思いたくなくて、そのまま忘れてしまった。
*
時は流れ大学生になって、私は教育学部に入る。
そこで、「ADHD(注意欠陥・多動性障害」という言葉を知った。
特別支援教育を専門に学ぶコースに所属したわけではないのだが、全員必修の授業でも、その概要を学ぶ機会があった。
ADHDにあてはまる子どもの特徴や、周囲との関係性で起こる問題を知るうち、私はあの時の「ずしん」という心の重さが蘇るのを感じた。
「違う小学校」の彼らは、塾ではお互いしか友達がいなかった。だから7人でわいわい、というふうにはならなかったけれど、塾長で講師でもある先生とは、親子のように親しげだったし、先生も彼らにどこか優しかった。
当時の私は「うるさくて落ち着きがない=頭が悪い」という、なんともおぞましい思い込みを持っていた。それでいうと彼らに対しても、「頭が悪いくせに他の人に迷惑をかけるのか」ぐらいに上から見下ろしているつもりだったと思う。
でも、彼らは落ち着いた態度には見えなかったものの、勉強する意欲はあったし、さらさらと問題を解き進めることも多かった。
何が言いたいかというと、彼らもまた、「見えづらい苦しさ」を持っていたのではないか、ということだ。
周囲と同じペースを求められても、難しい。つい私語を発してしまう。もしかしたら、それ以外にももっとたくさん、彼らにしかわからない苦しみがあったかもしれない。
そこに、私という「同調圧力の塊」みたいな人間がいた。静かにしろ、歩き回るな、邪魔をするな。イラつかれているのも、今思えば、きっとわかっていたのだろう。いや、今思わなくても、当時の私にもわかっていた。わかっているとわかっていて、文句を言うクレーマーだった。
*
実際に「皆さんの迷惑になるという声が上がっているので、塾を辞めてもらいました」とはっきり先生から言われたわけではない。だから私の考えすぎなのかもしれない。
けれど、きっと私が彼らをじわじわと追い込んだという確信がある。
そして、もう知識と想像力の乏しさで、人を傷つけるのはやめたいという強い思いがある。
そう、半分は知識と想像力の問題だったと思うのだ。ADHDという言葉への知識がもしあったら、仮に彼らがそういう状態ではなかったとしても、「わざとやってるんじゃないのかも」くらいは思えたかもしれない。接し方が変わっていたかもしれない。
もう半分は、他人に不寛容な私の性格が原因だが、これは自覚して変えていくしかない。
変えたいと思う限りは、変えられるはずだ。
ここまで書いていてほんとに心が重くなってきてしまったので、もっと気分よく、ためになる記事をみなさんにぜひ読んでいただきたい。
それはウェブメディアsoarさんの記事。NPO法人soarの理事の鈴木悠平さんが、鈴木大介さんにインタビューをしたものだ。
私はこの中にでてくる「苦しさは定量化できない」という言葉が響いた。今後もきっと、頭の中に響き続けるだろう。
最後になって書き手がぐったりした状態で終わってしまうのが申し訳ないのだが、情けない自分の過去も引きずり出してきてまで「脳が壊れた」を紹介したかった。
鈴木さんの文章は、繰り返しになるがほんとにスピード感があって丁寧で、「脳が壊れた」状態を知らないわたしたちに、目を皿にしても追いつかないほどの驚きと考察のきっかけを与えてくれる。
ぜひ、三読くらいをおすすめしたい。
私もまたこれから読み直すつもりだ。
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