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毎朝10時までに投稿してみて思ったこと

今日も寒いですね。湯たんぽさまさまです。そんな日曜日の朝。

「毎朝10時までにnoteを1つ投稿する」という自分ルールを設けました。

今日でちょうど7日目です。だいぶ早いですが、最初の振り返りをしてみようと思います。

私が私を必要としていた

noteを始めたのはたしか昨年7月頃です。秋頃までは、日々感じた「どうでもいいけど、気になること」を中心に書いていました。時々真面目なことも書いてた気がします。

知り合いから「読んだよ」と言われるたび嬉しくて、むずむずしていました。

でも一方で、こんな思いも。

私が書くことなんて、ちっぽけであいまいで誰の得にもならないんだよなあ。
〇〇スキル!とか〇〇報告!みたいなパワーのあるものを書ける人って眩しいなあ。

誰に必要とされてもいない、自己満足のための投稿にむなしさを感じていたのだなと思います。

書く頻度も、まちまちでした。「書きたいときに書けばいいのさ」「無理に書こうとすると嫌いになっちゃうから」と呟いて。

でも、「毎朝10時までにnote1つ投稿」を7日間やってみて、気づきました。

私が書くことを必要としているのは、私だった。他の誰でもない、「私が」書くということを必要としている人は、「私」でした。

それ自己満足というのでは?ちがう言い方をしただけなのでは?と言われるかもしれません。

でもほんの少し違う。唯一ひとりの私という人間が「書きたい」と思っているのではなくて、内側の私と、iPhoneやPCを操作できる外側の私がいて、内側の私が「書いてくれよ」と言っているのです。「そこにiPhoneもPCもあるでしょ、今日感じたこの気持ちを書いてくれよ」と。

リズムをつくって、どんなことでも書いていいというルールにすることで、そういうマインドを持つことで、とても楽になりました。内側の私が、喜んでいます。

他人に必要とされているかどうかはわからないけれど、私が私を必要としていたのだなと感じています。

書けないことも、書いていい

noteをすこしお休み、そしてまた再開されたひらやまさんのnoteが素敵です(再開時のnoteはこれのひとつまえ)。

自分で設けておきながら、毎朝10時というルールに不安になりました。三日坊主になるかも…と。

でも意外と平気で、7日坊主は達成。その支えになったのが、このひらやまさんの「『書けないこと』を書けばいい」です。

その気持ちはいまだけのものなのです。1ヶ月後には別の気持ちに移り変わり、3ヶ月後にはあなたの記事は読まれるようになっているかもしれない。切なくも今しか感じられない思いを抱きしめてほしい。

読んで、そして自分のルールにチャレンジしてみて、思いました。

「書く」という行為は「味わう」ことなのだなと。今しか感じられないかもしれないことを、抱きしめることなのだなと。

うれしい気持ちも、悲しい気持ちも、永遠に自分のもとにいてくれるとは限らない。そんな儚いものなのに、自分に与える衝撃はなかなかに大きかったりする。だれかに伝えたかったりする。

だれか、って別に、大勢じゃなくていい。大勢に知らせたいこともあるかもしれないけれど、そういう手段はいろいろある。

日々移り変わる気持ちを、一番知りたがっている、読みたがっているのは「私」なのだと。

だから、書けないなあと思う時こそ、内側の私がなにか秘めているのかもしれません。

内側の私が、考え中なのかもしれません。

あ、急に思いついたけど、エッセイストって「内側の私の専属ライター」なんじゃないですか。

内側の私の声に耳を傾け、言葉にする。

外側としてできる「書く」という行為をする人。

そんな気がしてきました。

7日目の終わりに

書きたいことがたくさんあります。読みたいnoteもたくさんあります。幸せです。

わかめさんを選んだ言葉たちは、上や下や前でも後でもなく、隣にそっと寄り添ってくれる。話すこと、聞くこと、読むこと、書くこと、手は抜かず力を抜いて、あなたらしくやってみたらと語りかけてくる。

こんな嬉しい言葉もいただきました。さらに幸せです。

読んでくれるみなさん、書いてくれる外側の私、本当にありがとう。

これからもよろしくお願いします。

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