お金とのお付き合い。

うちは低所得層に入るらしい。それが新卒のときから当たり前で、あまり気にしたことがないのだけど、とても安くて到底生きていけない金額らしい。確かに余裕はないし、心の余裕とは連動しているとは思うけど、それが同じだとは思わない。


以前働いていた場所で、同い年のスタッフの首を切ったことがある。切ったというより、希望には添えないと伝えたら辞めた、というよくある話なのだけど。「健康保険に入れる雇用条件でないと、生活ができない」と言われたのをはっきりと覚えている。その時私は健康保険に入れない状況というものを知らず、それがどれくらい壮絶なものなのか分からなかった。

結婚して間もないとのことで、旦那さんの収入だけでは厳しい、という感じだった。工場に勤務していて、夜勤もある仕事。正社員。それだけでは、とてもとても。

今、多分その言葉を放ったスタッフより、うちの世帯の方が手取りは少ないと思う。でもとても生活できないとは思っていない。低所得のまま、もうすぐ1年が経とうとしている。引っ越しも複数あったが、別にカツカツでヤバいとも思わなかった。人から言わせればカツカツ以上なんだろうが。


低所得自慢は誰も幸せにならないが、もう少し、お金の勉強をしていたら、その不安も少しは解消されたのでは?と思えてならない。生活のやりようはある。ただ、身の丈に合ってない欲求が生まれた瞬間、不幸や苦労が待っている、というだけ。そこの折り合いがすごくすごく難しいのだろう。


誰かが言っていた、お金を稼ぐ力と同じかそれ以上に、お金を貯める力がないとしんどいという言葉。そのとおりだと思った。散財経験から、私にお金を貯める力は無いことは分かっているのだが、彼が貯める力に長けている。それを間近で見ていると、「なるほど…ここもお金を使うという発想はない人なのか…スゲェ」と学ぶことが多い。


散財癖のある人間は、倹約家の人間と暮らすと急に物欲が無くなることがわかった。無くなると言うよりは、物欲だと思っていたものは、他の不満の代償と分かっただけなのだけど。

難しいのは、散財癖のある人間が、倹約家の姿勢に、なるほどと思えたらいいのだが、ケチで我慢させられる、と思ったら普通にお別れ案件である。彼もケチなのではなくてお金の使いどころが妙、というだけ。


それでも、低所得に該当しない人間と1日一緒にいると、そもそも生活の基準が違うなー、と比較の土俵に乗せられる。嫉妬が生まれやすくなるのも事実。この生活が楽しいと思うのと、生活の基準が高いまま維持できているのが羨ましい、は、どっちもある。


お金があって、でも貯まる仕組みも作っていて、というのが詰まるところ心の安定だと思う。そして、高くないお金でも生活できる、と言う自信が何よりも心の安定の一助になっている。お金を稼ぎたい、安定したい、その欲求と上手く付き合いながらお金を使い方を考えたいなぁーと思う。

不憫な旦那さんに全額寄付します。