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読書感想『四重奏』逸木裕

どうせ誰も、何もわかっちゃいない、
すべて『錯覚』なんだ。

チェリストの坂下英紀は、音大を卒業するもチェロだけでは生計を立てられずくすぶっていた。
技術はあるものの音大時代に交流のあった黛由佳の演奏が原因で自分の音楽を見失ってしまったからだ。
技術やその曲の持つ背景ばかりにとらわれていた英紀と違い、由佳は自由奔放な演奏をするチェリストでその表現の豊かさに音大時代の英紀は衝撃を受け、魅了された。
ところが技術が伴わないことに悩んだ由佳は、火神の異名をもつ孤高のチェリスト鵜崎顕に傾倒し、「鵜崎四重奏団」に加入する。
そのことで彼女の自由奔放な演奏は失われてしまい、由佳の自由さに救いを見出していた英紀は音楽とは何なのかがわからなくなってしまったのだった。
それから数年たち、由佳が自宅の放火火災に巻き込まれて亡くなったことを知る。
その死に方が不自然だったため英紀は彼女の自殺を疑い、真相を探るために鵜崎顕に接触を図る。
音楽に携わる人間たちの夢と才能と挫折、演奏家たちの秘密に迫る、長編ミステリー

音楽とは何なのか、人を理解するとはどういうことなのかを考えさせられる一冊だ。
元々一つの曲をあらゆる解釈で奏でていた黛由佳と、曲について深く知り完璧なイメージを作り上げてそれを表現しようと必死になっていた英紀。
英紀は自分の演奏に面白みがないことに悩み、由佳は表現力ばかりで技術がついてこないことに悩んでいた。
そんな二人は大学時代、お互いに影響されながらチェリストとして生きる道をつかみ取ろうとしていたのだ。
そして、由佳が師事を望んだ鵜崎顕…彼の思想が由佳の演奏を変化させ、英紀を迷宮に落とし込むのである。
鵜崎顕が強烈なのだ。
類まれない演奏技術を持つ鵜崎だが、その思想はある意味音楽家としては皮肉に満ちている。
観客は何も理解などできないと切り捨て、演奏技術よりも必要なのは観客に「錯覚」させるだけの演技力だ、というのである。
演技力が高ければ、観客は騙され勝手に感動されるといい、自らそれを実践して見せるのである。
いやぁ…考えさせられちゃぅぅぅ…
誰もが、何かを分かった気になって、自分で勝手にそう思い込むのだからそれを利用してしまえばいいという考え方は言葉だけ聞けば、どうしても拒否反応が出てしまう考え方だ。
だが同時に思う、じゃぁ自分は本当に何かを理解できているのか?と…考えずにはいられない。
由佳は何を考え、何を悩み、どうして死んだのか…それを読み解くために鵜崎に近づく英紀だったが、じわじわと鵜崎の考え方が理解できるようになっていってしまうのだ。
人を理解するとは何なのか。
音楽で人を感動させるとはどういうことなのか…。
なんか読み終わった後もぐるぐる考えてしまう一冊でした。
かなり思想は偏ってるし、その解釈に納得もしてしまえるのが切ないながらも、ミステリーとしても面白い一冊でした。
由佳の死の真相はどこにあり、英紀は何を見出すのか…
何かを分かることの難しさと、人は結局自分の見たいものを見ているんだという切ない真理が詰まってます。

こんな本もオススメ


・天祢 涼『希望が死んだ夜に』

・東野 圭吾『容疑者Xの献身』

・芦沢 央『カインは言わなかった』

その人が何を考えているかなんて結局本人しかわからないし、わかったつもりで何も見えていなかったんだなと思わせられる本ですわ…切ないね。

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