読書感想『愚か者の石』河崎 秋子

生きてここから出る…
生きることは、まだ許されている。

明治18年初夏、自由民権運動に参加していた瀬戸内巽は国事犯として捕縛され、懲役13年の判決を受けてしまう。
家族にも見放され、許嫁だったはずの女はあっさりと自分の兄に嫁ぎ、その薄情さに恨みの塊となっていた巽は北海道の樺戸集治監に収監された。
沸々と沸き起こる恨みを抱え、自分が捕まったのは冤罪だ、俺は人を殺したりしたわけじゃないと腐っていた巽は、女の話や食い物の話など囚人の欲望を膨らませる夢のような法螺ばかり吹く男・大二郎と同房になる。
大法螺を吹いては周りの囚人たちを煙にまき常にヘラヘラとした態度を崩そうとしない大二郎と逃亡防止用の鎖で繋がれることになった巽は、やがて大二郎が中に水の入った奇妙な石を心のよりどころにしていることを知ることになる。
出身地も罪状もはぐらかし調子よく大法螺を吹いては人の懐に入り込んでしまう大二郎、いつしか巽は大二郎の見せてる姿そのものが嘘なのではないかと疑い始めるが同房で一緒に労務をするうちにそこには何かしらの情が沸いていた。
そんな調子のいい大二郎を巽と同じように疑う看守・中田は常に二人に剣呑な視線を向けていた。
過酷な監獄の中でただ日々をやり過ごしながら「生きる」ことの意味を問う物語。


巽と大二郎という二人の囚人と、看守という立場ながらも規則に縛られて監獄の中にいている中田。
物語は巽目線と中田目線が入れ替わりながら「大二郎とはどういう人物なのか」を問い、そして過酷な北海道での囚人の生活を中心に進む。
今の時代ではありえない劣悪で非人道的な環境の中で、鎖につながれた巽と大二郎。
巽はいつの間にか連帯意識を覚え、大二郎に心を許しているのだが、同時に全く「素」の見えない大二郎という男の奇妙さをずっと気にしている。
中田は中田で、大法螺を吹き囚人たちを焚きつけながらも、その中に入っているわけでもない大二郎に裏があるのではないかと監視をしている。
巽の目に映る大二郎、中田の目に映る大二郎…果たしてこの男は何者なのか?という謎がずっと横たわったまま巽たちの刑期は過ぎていく。
河崎先生の作品、「颶風の王」が個人的に強烈に印象に残った本なので毎回新刊を購入させていただいてるのだが、今回も何ともものすごい…。
何だろう、なんていえばいいんだろう…いっつも僕のちっぽけな世界とは全然違うところで展開されている『生きる』ということに圧倒されるのですよ。
今作も、大二郎がどういう人物なのかを追いかけながらも、物語が進むのは過酷な北海道の監獄であり、寒さにやられ、食事の劣悪さにやられ、刑務の厳しさにやられ、と常に死がそこにいるのである。
その死が間近かまだ若干の距離があるのかで、大二郎の「素」が見え隠れし、終始引き付けられる一冊だった。
ずっとコンビを組まされていた巽と大二郎だが、巽としては予想外の別離が待っている。
一体あの男は何だったのかを追い求めながら、巽は「自由」や「生きる」こととは結局何なのかを悩み続けるのである。
いやぁ…なんかね、ほんと毎度凄いもの読んだなって感想が強くて、うまく言葉にできない。
読んでて気分のいい本ではないのだけれど、何か強力な魅力を感じさせられる本です。
最後まで理不尽でやるせなくて、とんでもない本でした…。
強烈。
次回新刊『銀色のステイヤー』もめちゃくちゃ楽しみです…。

こんな本もオススメ


・『正しき地図の裏側より』逢崎 遊

・『なれのはて』加藤 シゲアキ

・河崎 秋子『絞め殺しの樹』

なんか、生きてるとか、罪とか、そういうことが読み終わった後もいつまでもぐるぐる回ってしまう本って強烈に印象に残りますね…。

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