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遣唐使隋唐使 日中歴史の使者

 遣唐使とは各国から唐に派遣される外交使節である。唐(618 ~ 907)は長らく分裂していた中国を再統一(589 年)した隋(581 ~ 618)のあとをうけて、約300 年間存続し、東アジア、東部ユーラシアの政治・文化の中心として、周辺諸国に大きな影響を及ぼした。


 倭国・日本の遣唐使は630 ~ 894 年の間に20回ほど計画・派遣されている。日本史上において遣唐使が注目されるのは、奈良・平安時代の律令国家につながる古代国家が、7世紀後半、隋・唐代に完成した律令体制を導入して確立したという事情があり、国家の枠組みとなる法制や都城のあり方をはじめ、唐文化の移入が遣唐使派遣の目的であった。

 文化移入は人の交流や書籍の将来によって実現され、遣唐使には多くの留学生が随行し、その詳細は後述することにしたいが、阿倍仲麻呂や吉備真備などの俗人、最澄や空海などの僧侶が渡航・活動している。また唐からは鑑真のような到来者もあり、日本の文化形成に与えた影響は大きかった。中国人を「唐人」と呼ぶことは後代まで続き、「漢字」の漢とともに、唐がもっとも印象深い王朝であったことを物語る。


 隋・唐との関係はかつては対等関係を考えられたこともあったが、現在では遣隋使・遣唐使は朝貢使であることが広く認められている。ただし、3世紀の卑弥呼や5世紀の倭の五王の時代とは異なり、中国王朝から冊封をうけ、皇帝の臣下として国王の認知を得るという関係ではなく(不臣の朝貢国)、朝鮮諸国とは異なり、唐使が来航したのは2回しかない。

 その意味では日本側のペースに即した片務的な要素も強く、今日の日本の独自の立ち位置につながる国家の充足に努めることができた点で、歴史的意義が大きい。

p4PDF3 中日遣唐使封面图


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