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和歌山県・高野山真言宗総本山金剛峯寺様「千体仏」修理工事施工してきました

和歌山県伊都郡高野町にある高野山真言宗の総本山、金剛峯寺様に「千体仏」を納めてきました。

金剛峯寺様の公式HPはこちら↓

金剛峯寺様は高野山全体に境内が広がる伽藍配置で、山上には大塔や金堂、経蔵など様々な建造物が立ち並び、中門を潜ると一気に「壇上伽藍」の名称そのままに”雲上の宗教都市”に誘われます。
その最深部には「奥之院」という最も神聖な地域があり、弘法大師空海様が今も御入定〈瞑想〉されている御廟を中心に、灯籠堂や不動堂〈護摩堂〉、御供所などを備え、壇上伽藍とは一味違った趣で非常に厳かな雰囲気を感じます。
今回修理した「千体仏」が納まる不動堂は、和様建築で整えられ、向かって左には不動明王が、その右隣には「お大師様(おだいしさま)」と親しみを持って呼ばれる弘法大師坐像が安置され、奥之院まで来られた参拝者の信仰を集めています。お大師様の坐像両脇を取り囲むように、高さ30センチ弱の阿弥陀如来像が雛壇に林立し、この阿弥陀如来像が今回修理工事を行った「千体仏」です。

弘法大師坐像と修理前の千体仏
修理前千体仏

不動堂は別名「護摩堂」と言われ、堂内で焚かれた護摩による油煙や、外部から舞い込んだ埃などによって、千体仏の頭は塵芥が積もって白っぽく見え、体への油煙の付着は沈んだような暗い印象を与えました。

交通マヒした高野町

令和5年1月から始めた千体仏引取作業は3週間に渡り、堂内でもマイナス10~8℃という極寒の日が続いたため、作業に当たってくれた技術スタッフには本当に頭が下がりました。

背後で作業をするためのパーテーション設置(製作部S川さん作)
個体撮影ブース(製作部I上くん作)
個別写真

寒い中、一体一体の記録写真を撮影し、両手や後光の欠損および傷みの程度を記録に残しながらの作業は心身ともに応えました。山上の大師教会という研修施設に泊まり込みで、私と共に彩色部門スタッフN山さんとN嶋くんが作業を行ってくれましたが、N山さんはとにかく寒さに強く、毎日もくもくと作業に従事してくれ、本当に感謝です。

洗浄をすると、引取当初はほとんど見えなかった千体仏の背中の銘が見えるようになり、漆や墨で記された戒名や寄進者名および地域には、遠く豊後(今の大分)や江戸神田町(今の東京)、信濃(今の長野)などの地名が記されていたり、おそらく亡き妻のために杦原村の村人が数十体もの阿弥陀如来像を寄進していたことがわかりしました。
中には今から250年以上前の「寛政」という文字が刻まれた仏像もあり、こういった発見に携われるのが若林工芸舎の仕事の醍醐味と言えるかもしれません。老眼の進んできた眼で、文字起しの作業は本当につらかったですが…。

柿渋塗装

千体仏を取り外した後の雛壇は以前の接着剤がこびりつき、このままではとても千体仏を戻せない状態でした。電動サンダで表面を整えた後、製作部S川さんとともに柿渋塗りを施工。この度購入した集塵装置付電動サンダの威力に感激する一方で、柿渋の吸い込みが激しい木地に唖然としました。木地に柿渋の色が定着せず茫然自失としましたが、後日見てみると綺麗に色が出ていて一安心しました。

欠失した手の新補
欠失した御光の新補

千体仏の洗浄と剥落止めが終わると、脆くなっていた銅および真鍮製の後光はおおよそ2割が交換、手は両手合わせて400以上を新補しました。手を体に接着する工房での作業と現場で行った千体仏の雛壇への接着作業は、可逆性のある膠を使用しました。単色部門スタッフのM田(聡)くんと製作部I上くんが確認しながら元あったように取付を行い、アクリル板の取付はS川さんの提案で見映えよく、機能的にも満足のいく出来栄えに仕上がりました。

アクリル板の取付

工事中は金剛峯寺の皆様、参拝の皆様、関係各位様にご迷惑をおかけしましたが、いろいろなことが思い出になった「千体仏」修理工事でした。

今回の記事に使用した写真は、金剛峯寺様に特別な許可をいただき掲載いたしました。誠にありがとうございました。

施工後
施工後
施工後
施工後
施工後
施工後479
※参考 施工前479

工芸舎 F倉


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