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第26回読書会『天災と国防』

人間は歴史に学ばない。だから文章が必要なのだ。
日本は古来より天災の多い国である。
わかっていながら、戦争が、経済が目の前にちらつくのである。

昨日、オンラインで第26回読書会を行いました。
3名の方が参加してくださいました。ありがとうございました。

今回の課題本は寺田寅彦の『天災と国防』です。寺田寅彦は明治11年生まれの物理学者で随筆家です。

防災を語る際のスローガンともなっている『天災は忘れた頃にやってくる』という言葉は、寺田寅彦が言い出したと言われています。

寺田寅彦とわたしとの出会いは2013年でした。その前年の暮れの産経抄に引用されていた言葉を読んで忘れられず、Facebookで紹介していました。

年頭にあたり、世界の平和を祈念しつつ、寺田寅彦の随筆の一説を紹介したいと思います。 (昨年12月31日産経新聞「産経抄」より) 「今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認め、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで、世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。」

Posted by Saeri Wakabayashi on Sunday, January 6, 2013

時は過ぎ、今年の3月、NHKのテレビ番組「100分で名著」の「災害を考える」シリーズで寺田寅彦の『天災と日本人』が取り上げられていたこともあり、今回『天災と国防』を取り上げてみました。

そのあとで参加者のお一人が感想で、以下の部分について「そんなことを考えてもみなかった」とおっしゃっていました。

人類がまだ草昧の時代を脱しなかった頃、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物を持ち合わせなかったのである。(中略)人類は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。

それなのに、ビルや発電所や空港や橋をつくるから、災害が起きたとき、危険が我が身に迫ってくるのですよね。

災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。

それで、読後は地震の話になりました。

関西人が3人いたので阪神淡路大震災のことから東日本大震災、果ては原発のこと。参加者のなかで自分の地域におきかえて、あれこれ語り合いました。特に、オーストラリアでのウラン採掘の件は、全く知らなかったことで驚きました。この話は自然と経済についてさらに考えたくなりました。

そして、なぜ「危ない」とわかっていても、「便利さ」や「経済」の前では、人間はブレーキをかけられてないのだろうと考えました。

そして、「便利さ」や「経済」ってマズローの「自己実現の欲求」のあらわれなのかもしれないなと思いました。

寺田寅彦の言うように、洞穴で生活していたら災害からの立ち直りは早いかもしれませんが、動物に襲われたり、疫病の危険もあったわけです。また、食料が調達できずに植えて死ぬかもしれないし、寝床だって快適とは言い難いはずです。

だから、「生理的欲求」や「安全の欲求」が満たされないので、高次の「自己実現の欲求」が出てこない。実は、そのほうが生きやすい。

「自己実現の欲求」は厄介です。もちろん、「自己実現」のためにがんばることはいいことだけど、その反面、無意識下で自分をもむしばむものでもあります。

「便利な生活をしたい」とか「誰かの上に立って、尊敬されたい」というようなどろっとした欲求が人間だれしもあります。でも、それを自分でコントロールしていくために『天災と国防』のような文章があって、この先ずっと読まれていくんだなとおもいます。

でも、悲しいかな、人間は読んでも読んでも忘れてしまうんですけどね。歴史に学べない。でもやっぱり読んで思い出すべし、ですね。

では、また!

次回は童話です。

6月5日(土)JST1900から
課題本 夢野久作『きのこ会議』 宮沢賢治『ありときのこ』です!
童話のなかの「きのこ」について語り合いたいと思います。では!

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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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