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授業の楽しさには2種類ある

2月1日の日記。

6時45分に起きられたので、リアルタイムでラジオ英会話。しばらく続けたい。弁当を作って遅刻しそうになりながらも、なんとか職場へ。

今日は日本語学校で90分×3をしてから、1時間の会議をして帰宅。家でオンラインのグループレッスン2時間をするというハードスケジュール。もちろん、報告などもしないといけないのでずっと仕事をしている一日。

日本語学校で「楽しい授業について」考えた。Twitterでも呟いた通り。

でも、楽しませるには2つあると思っている。

まず、一つ目は瞬間的な楽しさ。これは必要。それは、日本語学習に前向きになってもらうために必要なもの。「自分はできる」「伝えるの楽しい」って思ってもらえれば、フリーランスなら仕事に繋がるから、必要不可欠なものと言える。いわば、病気の時の「抗生物質」や「ステロイド」みたいなすぐ効果のあるもの。

次は、持続する楽しさ。これは学習の渦中にいるときは「楽しい」という感覚すらない。でも、自分主体で取り組み、悩みながら年単位で語学と向き合い続ける日々。振り返れば自分はいかに楽しい日々を過ごしてきたことかと感慨深く振り返るような「楽しさ」これは、病気の時の「漢方薬」じっくり効いてきて、気がつけば体質改善していたというような。

一番良くないのは、言語活動していない楽しさ。ゲームや教師のおちゃらけで楽しませているのは言語道断。そういうことで笑わせている先生に限って、学習者を囲い込む。囲い込まれた学習者は、先生を選び出す。「あの先生じゃなきゃ嫌だ」と言い出す。そうじゃなくて、どんな先生にあたっても、自分でコツコツできる学習者になれるよう支援する。それが教師の役目だ。

いい教師は、学習者に種を蒔きつつ、前から自分の姿を消すのだ。

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