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兄が遺したメッセージ

2021年2月19日。
突然、兄が天国に旅立ちました。 
まだまだ志半ばの54才という若さ。
鬱による自死でした。

兄がいなくなり2ヶ月が過ぎました。  
アッ!という間だったような・・・長かったような・・・ 
時が止まったような、現実なのか夢なのかわからないような・・・

地に足がつかないフワフワした感覚・・・とでも言うのでしょうか・・・
うまく表現できる言葉が見つかりませんが、とにかく毎日

「もう本当にいないの・・・?」
「今どこにいるの?」
「何してるの?」

と、答えが返ってくることもない問いを、しばらくは兄に問い続けてきました。前を向こう!と思っても突然に襲ってくる悲しみや寂しさ。
一人車の中で泣き叫ぶ事を止められない時もありました。 
 
妹の私がこんなにも辛いのだから、高齢の両親にとっては、どれだけ心身に
ダメージを負ったのか、母に至っては、いくつになってもお腹を痛めて産んだ可愛い我が子の突然の死。しかも自ら命を絶ったという事実をどう受け止めることができるのか・・・本当に切なくて、両親を見ていることが一番辛かったです。

私たち兄妹は、それぞれに結婚して子供もいますが、元々は4人家族。
兄がいなくなり3人家族になった今。兄の存在の大きさをこれほどまでに感じるとは・・・正直、思いもしませんでした。というか・・・順番的に、両親は、いずれは一人ずつお迎えが来ることは考えたことはありますが、まさか!兄が・・・・とは、私の頭の中にはこれっぽっちもなく、頭をハンマーで殴られたような衝撃も感じず・・・ただただ【無】の感情でした。 

それからは、何も言わずに全てそのまま残して旅立ってしまったことへの怒り、心の痛み、喪失感、絶望感、悲しみ・・・そして一番大きく私の心を占めていた感情は「寂しい・・・」という感情でした。ただ寂しくて寂しくて仕方なかった。

生まれて、物心ついた時からのことをゆっくりと思い返してみると、私は、兄にお世話になってばかりで、私からは何も恩返しできていない。妹だからと、兄に甘えっぱなしで、何も兄の力になってあげてこなかったんじゃないか・・・と。
心の勉強をもう10年近くもやってきているのに、私は、たった一人の大切な兄の命を救うことができなかったんだ。。。
そのことが私には一番応えて、一時は自分を激しく責めました。 

でも、自分を責めたところで、兄はもう2度とこの世には戻ってこない。
私や両親が自分たちを責めることは、兄の供養になるのか?私たちが悲しみから逃れられないことで兄は成仏できないのではないか・・・?
和尚さんのお話を聞いたり、本を読んだりして、わたし達は、今ここにある
命を大切に、1日1日を幸せに、自分の命を生き抜くことで、兄は安心して成仏できるのではないか・・・と思い、わたしは、これまでよりも更に、人の
生き方、そして逝き方について考えるようになりました。  

「死を意識してこそ、生を考える」 

兄が、以前にSNSに書き遺していた言葉です。 

命は有限であり、いつか必ず人は死を迎える。 
それがいつなのか・・・は誰にもわからない。 
だとしたら

今をどう生きるか。  
自分の人生をどう生きたいのか。
限られた命をどう使うのか。

そこに希望の光を見出し、自分が生きたい未来を描き、そこに向かって今を生きる。自分らしく! 

真面目で勤勉で責任感が強く、努力家。
誰にでも優しく、救いの手を差し伸べてきた兄。
なんでもできた兄は、人から頼られることが多かった。 
そして、それに応える人生だった。 

でも、彼が唯一できなかったことは弱音を吐くこと。
人に頼ること。途中で投げ出すこと。そして、助けを求めることだった。 

プライドの高さと負けん気の強さ。 
ずっと優等生であったので、できないことが許せない自分。 
できること、期待に応えることが自分の価値であり、鬱で自分の思考が思いどおりにいかなくなってからは、いつ回復するのかという焦りの中、できない自分には価値がない。人の役に立てていないと思っていたらしい。 

自分を認める。できていることをみる。自己肯定感高く。。。。などの 
メモが残されていた。 

ある日、母に「子供というのは、何もできなくても可愛いものなのかい?」と尋ねたことがあったそうだ。 

母は「当たり前じゃない!何ができてもできなくても、たとえ体に障害があったとしても、こんなに愛しい存在はいない。」と伝えたようだが、その声は、もう鬱が悪化していた兄には届かなかった・・・。  

鬱は恐ろしい病だ。
自分の意思ではないところで、脳がコントロールされてしまう。
兄は死にたくなかったし、死ぬつもりなんてなかったと私は思っている。
なぜなら、本当に死ぬつもりであれば、両親や私、子供達に宛てた手紙を必ず置いていく。兄はそんな人だ。両親には一番悲しい思いをさせたくなかった人なのだから。そして、20本もあった大事に大事にしていたギターも、ちゃんと整理して逝くだろう。そのどれもがそのままだった。だから突発的に鬱がそうさせたのだとしか思えない。 

でも、どう思っても、もう兄は私たちの前にはいない。 
それは現実として、受け入れなければならないのだ・・・・。 

仕事をいくら頑張っても、仕事がいくらできても、どんなに大企業に勤務していても、給料が良くても、命がなくなったら、もう何もできない。 
命があれば、なんでもできたのに。。。と思うと、悔しさしか残らない。 

私は子供と関わる仕事をしている。日本の子供たちは、兄が生きてきた日本企業と同じピラミッド社会を、学校という小さな社会で生きている。
責任感が強かったり、優等生で努力家であればあるほど、この社会では苦しい生き方を無意識に強いられてしまう。【できる!】が故に、肩にのし掛かるプレッシャーや期待が大きくなる。そして、その期待に応えることが当たり前になり、できない!と言えなくなったり、人に頼れなくなってしまう人間を生み出す。 

できているうちは自己肯定感も高くいられるが、できない!やりたくない!自分を認められないことで苦しみ、自己無価値観を自分に植え付けてしまうことも少なくないだろう。  

私の生徒の中にもそんな子がいる。
兄のように苦しむ人や、日本の教育の犠牲者はもう一人も出してはいけないと強く思う!自死を選ぶ人は、その前に鬱になる確率が非常に高く、鬱と死は、常に隣合わせである。ということを、私は兄を失い初めて知った。 
 
何ができてもできなくても、そんなこと関係ない! 
君しかいない!そんな言葉に惑わされず【NO!】という勇気を持とう! 
できない!と人に頼ろう!
弱みを見せられる人は、本当の意味で強い人なんだ。
逃げてもいい!放り投げてもいい!それは負けることなんかじゃない! 
我慢なんてする必要なんてまったくない!
会社や学校にとっては、ただのイチ社員であり、イチ生徒でしかない。

でも、家族にとっては、この世でたった1つの命なんだ。
あなたの人生を生きられる人は、あなた以外どこにもいない。 
苦しかったら逃げよう! 
苦しかったらヤメて投げ出そう!
逃げる勇気、辞める勇気を出そう! 

どうかどうか・・・【命】を大切にしてほしい。 
鬱になる前に、苦しみから逃げてほしい。
人に合わせず、人にいい顔せず、人に振り回されず 

自分を生きてほしい。 
自分の命を生き抜いてほしい。 

兄が遺したメッセージ。 

どうか、皆さんに届きますように。。。

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