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「人と人とは対等である」あたりまえなのに何故かあたりまえじゃない

まだ私が中学生だった頃、びっくりするほど勉強が出来る友人がいた。彼女は塾にも通わず成績は常にトップで、高校は県内屈指の進学校へと進んだ。

性格はおだやかで温厚。ロックも聞く、マンガだって読む、お母さんとケンカだってする普通の子。しかし、とにかく同学年の子ども達とは雰囲気がまるで違っていた。

きっと帰国子女や英才教育をされている別次元の家庭なのだろうと思っていた私は、ある日とうとう聞いてみることに。

「どんな風に育つと、よりちゃんみたいになるの?」

『普通だよ。みんなと一緒。もし違うとすれば。。。』

おかしな質問と彼女は笑い、少し考えてからこう言った。


『小さな頃から大人と同じように扱ってもらったってことかな』

ぇぇえっ?
それ、みんなと一緒じゃないよー!!!

中学生だった私はビックリした。
ビックリし過ぎてこっそりメモをして持ち帰った。

子育ては、小さな頃から大人と同じように接すること。

さて、ここからは『躾』の話がメインになりますが、子どもを躾ける事がない人にも関係のある話。特にこの秋には、多くの人にとって大事なテーマになることを書いておきますね。

「言う事を聞かせる」ことが躾ではない

躾とは社会に出たときに「子ども自身」が必要なルールやマナーなどを教えること。私はそう理解している。

そもそも子どもに「言う事を聞かせる」為にするのは躾ではない。部下や後輩、人間関係でも同じ。

これは当たり前のことなんだけど、この当たり前が当たり前じゃない人がそこらじゅうにいる。もしかしたら、まだ?もう?日本では当たり前ではないのかもしれないとすら思う。

なぜなんだろうか。。。?

多くの方が既にご紹介されているが、岡本夏木先生(元京都大学・京都女子大学教授)の著書から躾について抜粋してみます。

「しつけ」とは「躾」と使われることもあるが、元来は着物を「仕付ける」こととに結びついている。「躾」から「礼儀作法」も重要な側面ですが、着物を「仕付ける」のほうが本質をよく表している。

着物を縫う時、あらかじめ形を整えるために仮に縫い付けておくのがしつけですが、最終的には仕付け糸を「はずす」。

この「はずす」ことが子供の発達に重要である。

この本質を理解せずに、親の体裁、親の都合の為に言うことを聞かせることは躾とは言わない。

この躾という漢字の「身」の「美」さについてこう解釈したことがある。

『美』は占星術でいえば金星の管轄で、牡牛座と天秤座を司りこの両方の側面を持つ。自分が何座であっても、この感覚は大事。

牡牛座の金星
赤ちゃんから幼少期。守り育てられながら、自身の中に心地よさや愛着、安心の感覚を育てる。

自分の中にある大切なものを守り愛しむ、愛着や安心の感覚。

天秤座の金星
それを土台に思春期、青年期には誰かとの対外的な対人関係へと入っていく。いわゆる恋愛も天秤座の金星の管轄になる。

人と人との対等な関係を育むために、美しく振る舞うこと。

この初期の幼児期の愛着の育成が健全に行われなかった場合は、青年期、大人になってもなお、対人への恐怖や、未来の捉え方、様々なことに影を落とすこともある。

親が担うのは「愛着」の内面の方。外側、外面、体裁などは自分自身が人々と関わりながら磨いていくもの。身の美しさとは、醜聞や着飾る事、体裁ではなく人間の品格である。

親子とはお互いが生きる為、成長する為に必要な存在だが、へその緒を切ったその日から、親と子はそれぞれの人生を歩む同志。

子どもは親の物ではないんですよね。


自分を愛しむ、人も対等に愛しむこと

これは子どもの躾だけではなく人としての美しい在り方。

生きる上での本質。あたりまえなのに出来ないから自分を壊してしまうし、人間関係において問題や軋轢、葛藤が起きる。

内側と外側のバランスが悪いと感じる時は、意識して自愛しましょうね。

しかし、幼い子どもが社会に出てもちゃんと生きていけるように躾るのは、一朝一夕にはいかない。テクニックもあるのだろうが、根気も精神力も必要。赤ちゃんのうちは自己犠牲的なカオス感もある。

うまくいかない、思う通りにならないことに憤る瞬間があったとしても、この本質の部分を手放さなければ、きっと子どもはしっかりと自身で育っていくのではないかと思う。

そうは言ってもイヤイヤ期、幼稚園や保育園に行くのを嫌がる朝、散らかった部屋、なかなかやらない宿題、、、どれもこれも個性、成長とは言え。。。うむむ。

子育てにはテクニックがある?

いやいや、私にはまず宇宙のような心のゆとりが必要だわ。

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