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【半年後】ワーホリはサバイバル。良くも悪くも、なめたらあかん。

久しぶりに書こうと思ってnoteを開いてみると、前回の投稿から半年以上経っていた。
半年以上経った私はというと、福岡での仕事を辞めて関西の実家に戻り、数ヶ月のニート期間を経て、現在オーストラリアでのワーホリを実行している。

半年前にはすでに渡豪は決めていたものの、振り返ってみると、本当に来たんだな…と感じているのが実際のところ。
それはきっと、ワーホリ生活が思っていたのと違ったから。決して悪い意味ではない。ただ、あまりにもギャップがありすぎたのだ。

渡豪前には、語学学校に行ってコミュニティを作り、現地で働きもしながら、お金が溜まったら国内を旅行して…と、全部が”楽しい”時間になると思っていた。
しかし、渡豪して約3ヶ月が経とうとしている私が言えるのは、「ワーホリはサバイバルだ」ということ。

これはワーホリ生全員に対して一概に言えることではないけれど、色んな都市に行ってみたい、旅行ではなく、色んな都市で「住む」という経験をしてみたい私がこの3ヶ月で2回の引っ越しを経験して感じていること。特に、過去の私に言いたいこと。そんな甘いもんじゃねぇぞ、と。

家探しや仕事探しの情報はたくさん出ているし、本当に人それぞれだからここには書かない。し、一つ一つはきちんと向き合えば、なんとかなる。誰だってできる。
でも、なんでもギリギリに決まるから、日本みたいに前もって、余裕を持って行動することができない。
いわゆる”海外式”に慣れるまでに背負う心労は、日本人の私にとっては相当なものだ。たとえ、行き当たりばったりで生きている私でも。

いつ、どこで、誰と、何をしていてもいい。そんなワーホリという本当の自由を手にしてみて感じるのは、「恐怖」。
1年後、半年後どころか1ヶ月後、1週間後に自分がどこで何をしているか分からないのだ。明日寝る場所があるのかどうかすら、どこにも保障はない。常に不安を引っ提げて過ごす日々。

それだけ目の前に、無限に選択肢が広がっているのだ。

だから、どんな場所でどんな状況であっても、本当にそれを必要としているならば自分から食いついて、しがみついていかなければならない。遠慮なんてしていたらダメ。自分を殺していては、本当に殺してしまう、自分で自分を

自分に権利があるならば、そこに空きがあるならば自分をねじ込みにいくべきだ。でも、そこで人を蹴落とすのではなく、自分の居場所は自分の力でつくる

私はそれをホステルでの4週間で学んだ。
ホステルの冷蔵庫には部屋番号が振られてしっかり各々のスペースが決められているにも関わらず、私の食材は何度も外にはじき出された。最初は腹立たしかったし、今でも彼らのその考え方は理解できないけれど、ただ彼らに悪気がないということだけは分かった。そこまで自分の正しさ(決められた場所に自分の食材を保管するということ)を貫き通せることが彼らの強さなのだ。
肉やチーズなど要冷蔵のものが入っていても、そんなことは彼らには関係ない。人を蹴落とそうが何しようが自分はルールを守る人間であり続けるのが彼らのやり方。
だからこそ、私は人を蹴落とさずに、周りに嫌な思いをさせずに自分の居場所をつくる人でありたいと思えた

たった3ヶ月でも本当にいろんなことを学べる、ほかのビザではない、ワーホリだだからこそ感じられることが山のようにあるこの生活。
残された時間を存分に味わい、楽しみ尽くしたい。


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