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私は「”愛”を知り、自分自身を愛するため」に生まれてきた

私はどうも「自己肯定感」という言葉が嫌いで。自己、自分は「肯定」なんてそんな仰々しくて固い、そして軽い言葉で済むようなものじゃない、自分を好きになることだってそう簡単にできることじゃないという感じがしていたから。
でもそれに言い換わる言葉がなかなか見つからなかった。けど、最近ようやく見つけた。
それは『自己愛』
見つけたと同時に、これが私の人生のテーマだということも分かった。じわじわと私は自分が今世に生を受けた理由を自分なりに理解し始めている。
私はこの人生において、様々な愛や愛し方に触れ、何よりも誰よりも自分自身の愛し方を知って、とことん自分を愛するために生まれてきた

色んな出会いや場面を経て、今この答えにたどり着いたのだけれど、ここ数年は、自分がなぜこんなにも人に恵まれ、愛されるのかが分からなかった。
特別な取り柄もないし、めちゃくちゃ可愛いとか愛想がいいとかでもない、ただただた良い人ぶってる卑怯なやつだと自分では思っているが、それでも私の周りには悪いものが寄り付かないし、関わる人は私のことを気にかけてくれる。
その人たちに、どうしていつも気にかけてくれるの?って聞いても、分からないけどなんか気になるんだよ、もうそれは才能だね、としか返ってこない。
これが才能か〜とも納得もしたけど、まだまだ私はそれだけでは終われない。どこまでも答えが欲しいのだ。自分なりの答えを自分に落とし込みたい。

ようやく落とし込めた答えがタイトルのもの。

私の周りに人がたくさん寄ってきてくれる、気にかけてくれるのは、
みんなが私に愛する方法を教えに来てくれているから。
世の中には色んな愛し方があることを教えてくれている
自分はあなたのことをこうやって愛してる、こんな風にあなたへの愛を感じていると伝えに来てくれている。

それは大小関わらないし、人だとも限らない。
人だとも限らないと思うのは、私は自然や動物にも好かれやすいからだ。本当に味方してくれている、私に優しく寄り添ってくれていることがよく分かる。そして、私自身もまた彼らが大好きだ。心の底から可愛いくて、また尊敬している。彼らに触れるたびに、人間の残酷さや醜さ、弱さを感じる。
そうやって、彼らからは”愛おしさ”を感じる瞬間をもらっていると感じる。彼らからの学びを受け取れる人として生まれてきていることも今世のミッションをクリアしていくためだろうと思う。

ここまでの人生で最もそれを学ぶ機会、私にとっての特大イベントだったのは前に4年弱付き合っていた彼との時間。人を好きになること、好きな人と一緒になること、愛し合うことがどれだけ幸せかをこの心と体100%で感じ、受け取れた
こんなに幸せなことがあっていいのだろうかと日々疑い、不安になってしまうほどの幸せ、愛を受け取った。
だからだろう、特別好きでもない人ととりあえず付き合ってみたという友人たちの話を聞いてイラッとするのは。大好きな人と一緒になれることがどれだけ幸せなことかも知らないくせに妥協してんじゃねーよと思う。

そうやってたくさんの「愛」に対する答えを教えてもらう中で、自分なりの愛し方をこの人生をかけて編み出そうとしている。しかも、自分の愛し方。誰よりも自分を愛することが、今世、私の魂に課せられたミッション
つまり、私は存分に私を楽しんでいいということ。周りは一切気にしなくていいということ。とにかく自分に集中して、自分のために精一杯生き抜く。それが私が人生をかけてやらなければならないたった1つのこと。

生きるのってなかなか大変だから来世がもうすでに怖いんだけれど、この学びを得たことで少しは楽に、楽しく生きられることを願う。

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