映画ジョーカーの感想【質問箱回答】
劇団WAGNASオンダです!
大変ありがたいことに、質問箱コーナーでコメントがあったので、早速視聴の上で感想を書いてみました!
※映画そのものの感想・考察とは少し異なります※
この映画、存在は知っていました。
あれだけ流行ってたもん、そりゃあそうですが(笑)
評判などを見て、多分僕に刺さるだろうなぁとは思っていました。
が、それが「怖かった」ので、あえて見ていないという部分もありました。
案の定刺さりましたが、幸い怖いほど刺さるものではなかったのでちょっと安心しています。
またINFJにも刺さるような気はしています。
今回は映画そのもの感想…と言うよりも、この映画を見て僕が思った感想を書きたいと思います。
それでは早速感想文スタートです!
単刀直入に…何とも言えない気持ちになるヒューマンドラマでした。
アメコミシリーズやドンパチものではなく、単一のの作品のみで成立する社会派ヒューマンドラマの類です。
まず大前提として、僕は日本の事はおろか、海外のことなんてさっぱり何一つ知りません。
ですが、どこの国も同じ問題を抱えているのだなぁと思わされました。
当時かなり話題だったので見た人も多いと思いますが、どんな映画か簡単に説明すると、
と言ったようなお話です。
僕は…普通の家庭で普通に育ち、父が早くに亡くなった為に若干の困窮はあったもののそこまでではなく、常識の範囲での高等教育を受け、実家の財産や遺産は皆無だけど、今は一人でそれなりに気楽に生きているようなタイプの人間です。
ファッションアナーキストぶりたがるところがありますが、育った家庭環境的にも精神的にも思想的にも、社会的立場的云々すべて総合して、比較的ニュートラルなタイプの人間だと思っています。
しかし、その「ニュートラル」や「普通」の概念について考えさせられるお話です。
最近の言葉で言うと「親ガチャ」「無敵の人」この辺りがかなりテーマです。
この映画を見て真っ先に僕が思ったこと、それは資本主義の限界も近いのかもしれないということ。
百歩譲って自身の能力と手腕のみで成り上がった者ならばまだしも、受け継ぎし者に対するヘイトは世の中的にどんどんたまっていく一方。
贈与税などはあれど、資本主義は「受け継ぎし者」を擁護するシステムでもある為、仕方ないのかもしれません。
また東大の入学者の40%は年収1000万以上家庭などのデータもあるように、本人の努力もあるでしょうが、それ以前から地盤が定まったレースとなっていることは誰も否定できません。
そうなると対となって出てきてしまうのが、下流層の家庭の話です。
当たり前の話ですが、貧乏な家庭ではちゃんとした学習をさせてあげられないし、死後にお金も残せない。
そもそも自分もそうだったからと、故意に学習をさせない場合もあると思う。
また一種のタブーですが、やはり知性の低い両親から生まれた子供は遺伝的にもそうなりがちな傾向も強いと僕は思っています。
皆が貧しかった時代はもしかしたら「追いつけ追い越せ」と競争原理が働いていた部分もあるかもしれませんが、貧富の差が拡大した現在では今更競争に挑もうという気概もなく、思考停止となっているのかもしれません。
昨今の中国でそうみたいですが、「追いつけ追い越せ」が正しいとも限らないのが難しいところです。
当然としてモラルも比例します。
すごく失礼な言い方になってしまいますが、やはり育ちの環境やモラルというのは、その人の家庭や両親の鏡となる部分は大きい。
昨今の日本で言えば「大久保公園」に代表されるアレだと僕は思っています。
上澄みはどんどん潤う一方で、下層はどんどん尻すぼみになっていく一方。
今の言葉で言うと、「親ガチャ大当たりと親ガチャ大外れ」の二極化が進んでしまうということなのです。
何が正義で何がモラルかと言うのは、最低限の貯えと最低限の知性があって成立する。
そのどちらから欠けてしまったら、もう正義もモラルも関係ないし何の役にも立ちはしない。
これまたタブーですが、どうしても安倍首相銃撃を思い出してしまってなりません。
殺人は許されることではないし、安倍首相は本当に無念だったろうなとは思いますが、「あいつを殺して俺も死ぬ」とナチュラルに発想できる者が生まれてしまったことは、支配層の欺瞞と言う部分も事実あると思います。
普通だったら「あいつを殺して俺も死ぬ」なんて発想はしないと思いますから。
犯人は生きていますが、社会的な死を意味し現代日本で「殉教」なんて、誰があると思ったことでしょうか。
もはや何が普通で何が普通じゃないかわからない時代です。
そこにはやはり、見て見ぬふりしてエゴを通してきた支配者層の欺瞞も感じてやみません。
なんとも本当に難しい問題です。
ただ、誰しもが考えることをやめてはいけない問題だと思います。
暴力を推奨することはしたくありませんが、上に立つ者や富める者は、下層の人を無駄に見下すのはやめた方がいい。
どんなに偉い人でも所詮は人間であり、殴られれば痛いし刺されれば死ぬという事を忘れてはいけません。
すごく悲しい理論ですが、上に立つ者や富める者は、常にそれを意識したほうがいい時代になりました。
また、SNSで可視化された、極端な幸せと極端な不幸。
ソースはネットなので真偽は曖昧ですが、一昔前に世界一国民の幸福度数が高いと言われたブータンですが、今は幸福度数がどんどん下がっているそうです。
その理由は「ネットを取り入れてしまった」から。
確かにごもっともで、隣の芝生が青く見えてしまったら、欲望の際限がなくなるのは人間という生き物です。
ささやかな幸せだけで満足して生きていける人間は素晴らしいですが、ひがみも妬みも持ってしまうのが大多数の人間です。
昨今の日本で言えば「大久保公園」の亜種ともいえる「港区女子」の存在がそれに非常に似ているように思います。
また少し話が飛躍しますが、最近で言われる弱者男性や婚活女子、過剰なまでの男女の対立を煽ろうとする見えない力に関しても、思うところがあります。
名言コーナーではありませんが、とても考えさせられる「負の名言」があるのでご紹介します。
別に男女差別云々等の文化的な事を言いたいわけではなく、生物学的な視点から考えてみてもらえればうれしいです。
また、男女ともに「弱者」とされる者に価値がないかと言うとそんなことはなく、「勝者の踏み台」として、とても大切な役割が存在します。
負ける者という当て馬がいてこそ勝つ者は注目されるので、人間のみならず生物界において必ずや必要となる悲しい方程式でもあります。
話は戻り、なんだかなぁと思ってしまう映画でしたが、誰もが直視しなければいけない問題なのかもしれません。
前にもどっかで書いたけど、こんな社会では「闇バイト」が横行してしまうのも仕方ないような気がします。
豪邸や金持ちを見ると「どんな悪い事をしたんだろうなぁ」というジョークがありますが、それがジョークではない世の中になってきています。
持たざる者が持つ者になるためには、「闇バイト」はもちろん手を汚しても構わないというモラルの低下という単純な話ではなく、もっともっと根深い問題です。
正当に努力をすれば叶うのか。
正当に努力をしたって、生まれの時点で他の差が大きく出やすい・見えやすい時代です。
清く正しく美しく生きることはとても大事だと思うけれども、もはやそんなこと言っていられないくらいカオスな時代に突入しつつあるのかもしれませんね。
偉い人、持つ人、富める人達は、社会福祉の為なんて大義名分はいいから自分たちの身を守るエゴのためにも、そろそろ本腰入れて「親ガチャ」という概念に対して対策した方がいいんじゃないだろうか、と思わされました。
こんな感想を抱くほどに、かなり過激な映画です。
正直これに感化されておかしくなってしまう人もいいるかもしれません。
日本でも「〇〇のジョーカー」なんて犯罪事件が一時期多発しましたしね…。
しかし自分を抑えられるという人には、ぜひ見て感じて考えてほしい映画です。
資本主義の現代文明に支えられた国に住むすべての人は、この映画を見て自分なりに考えてみることは今の世の中マストなのかもしれません。
最後にちょこっとだけ「映画そのもの」への感想を…
主演の人がすごかった!
劇中では、ルンペンにもスーパースターにも、狂人にも賢人にも見える、怪人百面相のごとき演技力。
別にイケメンじゃないのに、瞬間瞬間でイケメンに見えたりもする。
海外俳優なんてダニエルラドクリフが最新情報の僕なので、もしかしたら彼もスター中のスターの有名俳優なのかもしれませんが、日本の俳優女優さんも見習ってほしいなぁと思いました。
ん~結局日本は「若手俳優=総アイドル路線」がダメというか、才能を殺してると思うんだよなー
手っ取り早く金にはなるのかもしれないけどさ…コッチはコッチで何とも言えません!
後、終盤にアーサー(ジョーカー)が、バラエティ番組に呼ばれて好き放題発言して司会者を殺し、社会に不満を持つ者を先導し大暴れしていきますが、あれって妄想だったんじゃ…とも思ったりしました。
どうなんだろう?
まぁそのあたりは色々な意見や見方があると思うので、どっちでもいいかなという感想ですが!
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