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あの会話になにが起きていたか?〜AI vs ラカン〜

2024年3月11日の日記
2024年3月10日に共同制作された会話作品についての回想
あるいは私的メモ


昨日Nさん😸とSさん🍞とAIについてしゃべってて、例によって二人のおかげですげー勉強になったし、なによりたのしかった!のですが、その後ずーっとこの話題から派生するあれこれについて考え続けてしまって、午前中全然仕事してない(笑)
結局僕とNさんが最終的に一番興味を持ってるポイントはたぶんひとつで、とはいえこれがどーにも言い方がむつかしーのだが、
あえて言えば
「AIには再現不可能という意味において真に人間的であると言えそうな人間の部分なり特性とはなんなのか?」
というような話なのだった·····
NさんがAIソフトのクラウド氏(Claude 3)を使って生成した文章(ニック・ランドの文体で牛丼について書け、など)が、あまりに卒なくほとんどいかなる観点に照らしても「上手すぎた」ので、僕はこの「真に人間的な部分」を名指すつもりで「やっぱ俺らは下手さのオリジナリティーで勝負してくしかないっしょー!」
と言い、多少言葉を換えつつこれを繰り返したのですが、第一声目から「下手さのオリジナリティー」という言い回しにはピンと来ておらず、自分でもピンと来ないまま「まー会話の中でどんどん語を変換しつつしっくり来るゾーンを探っていけば、いつものように会話の終わり頃には“答え”が見つかるさー」
などと気楽に構えておったのですが、その“答え”はいっこうに見つからず、ばかのひとつおぼえのように「下手のオリジナリティー」をゴリ押ししてしまい、ついには問題の「会話の終わり頃」にNさんから「それってなんなんでしょうねー、どう言えばいいんでしょうねー、やっぱ“過剰さ”とか言うしか
ないんですかねー」と言われてしまい(Nさんは単に「言った」だけで、「言われてしまった」というのは僕が勝手に「ぐわー言われてしまったー!」と感じたというだけのことなのですが)、慌てて「まーラカン的に言うと、欠如の欠如に対する不安ってやつ?やっぱ欠如がなきゃダメなんですよ人間は」
などとテキトーに誤魔化したのですが、いやちゃんと言うとこれは誤魔化しではなく、ラカン派精神分析において最重要とされる欲望の欲望、あらゆる欲望の発生原因たる「対象a」は、僕の理解によれば空集合ないしサッカーでも野球でもなんでも人間が“ゲーム”を開始するための条件としてある近所の空き地みたいなもんで、だからラカンにとっては「ゆーすけくんちの隣に空き地がある(から、サッカーやろうぜー)」という表現がさして不自然に感じられないのと同程度に「わたしのなかに欠如(対象a)がある」という感覚が患者のからだにおいて了解され、自分の中に広がるからっぽな場をからっぽなまま受け入れることが治療の最終段階になってくるわけで、僕が「やっぱ人間欠如が大事だよねー」というのは世間一般に言われる「完璧すぎるやつはつまらない」「ちょっとした欠けや偏りがある方が人間的にキュート」という意味合いを含み持ちつつより本質的ななにかへとはみ出そうとする精神分析的な態度が隠し味のスパイス(それってなんだかミステリー?う〜ん、パプリカ!)になってるわけで、だもんだから、ここまでの会話の流れにおいて僕がラカンを引き合いに出して完璧すぎるAIのふるまいに対しわれわれが感じる漠然した違和感、不安、もの足りなさを「欠如の欠如に対する不安(わたしの中に欠如があるという感覚が内在していない“人間”=クラウド氏が突如目の前に現れ流暢に振る舞いだしたことに対する不安)」、さらに後出しジャンケンで付け加えれば、ラカン派精神分析における症状が患者が「わたしの中に欠如がある」という安定的な感覚から切り離されからっぽと上手く付き合うことができなくなった時、急いでその欠如を埋めるべく(姫様のピンチを救うため、無意識の王子が白馬に乗って)形成されてくるニセモノのクッション(フロイトの言う「代理満足」)であるにほかならない以上、ありうべき欠如をクレバーな振る舞いで埋めてしまっている
(「それについてはわたしは知りません、答えられません」といった表面的かつ実際的な欠如の承認、精神分析的に見れば無意識的な真理の抑圧である可能性が高いあっけらかんと潔い言明の姿勢も含め)クラウド氏のふるまいは明らかに病的・症状的な質のものであって、
とはいえそれはあくまで予め欠如の内在(ここまで来ればもうおわかりでしょうが、この「欠如」というのは各人が一生をかけてそれと対話し続けていくべき「無意識の真理」のことです)が前提された人間存在についての話であって、結局のところ僕が感じた違和感の正体は「無意識がない意識」の露出による恐怖、クラウド氏の賢明で理性的な判断、ひろゆき的な意味における知性(僕が「コスパニヒリズム」と呼んでいる態度)の行き着く先を暗示しているかのような、ゾッとするほど冷たい「かしこさ」の感触に思わずふるった怖気と嫌悪だったのかもしれません。
それは僕がだれかしらに人間存在のかけがえなさを感じる「この人の中に欠如がある!(あらゆる欲望が産出されてくる空き地である対象a=欠如は、すべての創造性の源でもあります。CreationとCommunicationはからっぽChaosから始まるのです)」という発見とは対照的に、ただ単にモノ的に「この人は欠如している·····」という直観の起こりに対する衝撃だったのです。
よーするになにが言いたいかというと、僕の発言は「合ってた」のですが、「合ってる」と「しっくりくる」とは全然別で、常日頃から自分を含めた万人にしっくりくるキャッチフレーズ=パンチラインを瞬時に射出することに命をかけており、実際脱輪の文章は基本的に(長文の映画批評においては特に)必ずやどこかに隠れているはずのパンチライン、たった一語ないし一文の鍵となる言葉を発見する地点から書かれており(既に何万字書いてようがこの一語が見つからない限り“完成”しない。逆に言えばこの一語が見つかった瞬間、たとえ一字たりとも書けていない状態でも関係なく、心の中で快哉を叫ぶ。「はい勝ったもう勝ったもう書けたようなもんやー」あるいは単に「やったー!!!!!!!」などと)、要するに鍵言葉を発見する瞬間は僕が生きていることを実感できるほとんど唯一の瞬間でありリアルな啓示の体験であって、才能、というなら、このような特殊な資質こそ野生の批評家・脱輪の唯一の才能=ニセモノではないオリジナルな症状と呼べそうなものであるからして、今回の会話作品において最後まで「合ってる」解釈ではなく(野生ではない普通の批評家ならそれでいいし、それが「正解」なのですが)
「しっくりくる」パンチラインを繰り出せなかったことは、その場その場におけるしっくりくるリアリティの創造を旨とし精神分析的な生き方を実践している人間としても、たいへんなショックを受けたということなのでした(笑)
まーなにしろ、こんなことってないので。
必ず、100%「出せる」ので。
出そうとしなくても出ちゃうんで。
ってぐらいのもんだから、やっぱり「出せなかった」ことにはなにかがあり、能力がどーとか些末な問題よりなにより僕はまずこの点に衝撃を受け、「機械(クラウド氏)に負けた!」と感じてしまったのでした(笑)
そもそも僕が「下手さのオリジナリティー」という言い回しにピンと来ないまま「まー会話の中でどんどん語を変換しつつしっくり来るゾーンを探ってけばまたいつものように答が見つかるさー」と鷹揚に構えたのも「鍵となる言葉(パンチライン)をどうせこいつなら絶対出せる」という自己に対する絶対的な信頼のゆえであり、ソシュールの言語理論を俺流に使い倒したラカンは、ある言葉の別の言葉への最初の置き換えが発生しやがて雪崩のように語の置き換えが連鎖していく地点に欲望の正常な活動形態を見て取り、裏を返せばトラウマというのは決して他に置き換えることができない頑固な鍵言葉であるわけだが、このソシュール=ラカン的な発想を会話の中で実践的に応用しているがゆえの「語を変換していくなかで」発想でもあり、ところがどっこい、いつもは容易に起こり得るむしろ止めるのに苦労する言葉の雪崩がこの時にはまったく発生せず読んで字の如く動かざること山の如し、「下手さのリアリティー」からの融通無碍にして強力な語の置き換えが不活性の状態に留まり続けたために、ここには明らかにトラウマ的ななにかが潜んでいるのではないか?と拙僧は申し上げるものであり、そうした糞詰まり感を解消するためにこれを書き始めたら案の定雪崩が起き始めて止まらなくなりよもやよもやの心配は今やすっかり杞憂のものとなったので、やはりあの“敗北”には僕というよりむしろクラウド氏に起因するMr.雪崩の雪崩化を未然に食い止めるなにかしらトラウマ的な亀裂の発生があった可能性がますます濃厚に匂い始めるのであった·····
というようなことを考えながらExcelの計算式を入力していただーにゃなのであった🐻
だけどこれで終わりじゃない。
俺はまだ負けてない。
いつか必ず「鍵となる言葉」、おまえを倒す一撃必殺の言葉を見つけてやるからなっ!
待ってろよクラウドっ!
(もうだいぶ見つかった気がするけどね〜😋🧸𖤐⡱)


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