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巡らない夏 小娘は丘に立つ

『羊をめぐる冒険』がつまらない

覚えているのはショックを受けるほどつまらなかったこと。

上巻の半ばで読むのをやめました。
本を閉じてからもう半年は経っています。

かの村上春樹先生の小説が、つまらないはずないのです。

野間文芸新人賞を受賞した作品が、つまらないはずないのです。
発行部数200万超の大ベストセラーが、つまらないはずないのです。

問題は私の側にあるはずです。

[追記:2023.3.9 それからさらに半年後、手にとってみたら読み終えていました。面白かったです。]

きっと、それまでに『ねじまき鳥クロニクル』を読んでいたのがよくなかったのだと思います。

歴史モノにお熱な私にとって、その作品は面白すぎて落差を感じたのでしょう。

なにせこの二作の間には12年の隔たりがあります。

私は12年間を二度繰り返しました。
二度目の12年間を始めるとき、たいていの日本人は中学校入学を目前にした頃です。
すでに三度目の12年間を始めている今の私と比べて、脳内を占めるものは大きく異なるでしょう。

村上春樹先生であっても、12年間という時間で成長の余地はあったはずです。

それにしても、わざわざ北海道まで行って取材し、綴った小説を小娘に「つまらない」と一蹴されることがあるでしょうか。

羊と邂逅する季節

ところで。
村上先生は北海道まで行く必要があったのか、という疑問。

そんな疑問が生じるに至った、炎天下の対面。

以前、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を話の皮切りにして、記事を書きました。
おそらく私と羊との縁が、決定的になったのはそこからです。


今夏、羊と出会いました。

次回公演の取材を兼ねた旅行で、埼玉県秩父市の羊山公園に訪れた折、羊の放牧に立ち会うことができました。
名前通りに羊が属しているとは知らず、私のテンションは最高潮です。

食む食む

彼らは一心不乱に草を食み、私は興奮気味に彼らを眺めるばかりでした。

一瞥もくれず

横につぶれた無機質な黒目には間違いなく人間の姿が入り込んでいたはずですが、
私は敵とみなされず、逃げられることもありませんでした。

大変可愛らしい御姿

到底生き物とは思えない機械的な食事姿でした。
確かにこれなら電気猫よりも電気羊が作りやすそうです。

才能が先か、意固地が先か

1981年、村上春樹先生が『羊をめぐる冒険』で「羊」に着目した理由というのが、前年に出版された『1973年のピンボール』の特定の表現に対する、「日本に羊はいない」という書評への反論であったようです。

そこで日本に羊がいることを証明するため、北海道に渡り、羊を取材した村上先生。

(余談:『1973年のピンボール』というタイトルは、大江健三郎先生の『万延元年のフットボール』のオマージュなんですね。)

取材の成果はどうやら『羊を巡る冒険』の本編にも表れています。
大成する人間はここまで頑固かと、舌を巻きました。

羊をめぐる方針

とはいえ、当時から羊牧場の所在が北海道に限られていたのでしょうか。

秩父の羊山公園に関しては、戦前に種畜場があったそうですが、80年代にも機能していたかはわかりません。
いま羊山公園で出会える羊たちは、ふれあいを目的とした観光用に放牧されています。

それでも畜産研究所は全国にあったはずですが、まぁ、関東圏よりも北海道の方がたくさんの羊に出会えそうです。

そういえば、オーストラリアの牧場を訪れたとき、山の上から灰色のかたまりが地響きとともに降りてきて、それが羊と気が付くのに時間を要しました。

牧羊犬に追われた羊たちは、あの食事姿と同じように、目の前のことだけに必死でした。
羊はいつだって生きることに全力でした。

そうやって羊に想いをめぐらせていると、果たして『羊をめぐる冒険』を再び手に取ってしまうのです。

取材成果は演出家に任せるとして、秩父を満喫できました。
冬にまたお邪魔しますので、それまでに「冒険」を達成しておきます。

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