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「見えない資産」はなぜ見えないか

見えない資産とは、知的財産、人材、組織、ブランド等、企業価値に大きく貢献しているにも拘らず、財務諸表からは見えてこない財産のこと。
昨今、注目の的であり、包括的に論述したものとしては以下あたりが定番か(真面目な人はコチラを読んでください)。

見えない資産を考える事で、現在のビジネス、会社、経済、資本主義と、まるっと見渡すことができる、最高やないかい!

・・と思って書き始めたのだが、これが手強い、奥が深い。もう沼です。

はい、一気に書くのは断念し、連作にすることにしました(期限未定)。
ヘタレの書きなぐり、第一弾(導入)がこちらになります。

1.(会計上)見えない原因は会計にある

財務諸表は会計ルールに拠って作成されるが、現体系が精緻な故に当然の帰結として見えなくなっている(体系維持を優先し例外は捨てる)。
以下、会計の基本原則につき、順次述べる。

現金主義・仕訳

会計ではあらゆる価値を現金として表示する。
私が腰かけるアーユルチェア・キャスタータイプ・ベージュ(骨盤を立て座骨で座る)は、他のビジネスチェアとは思想が違う。ましてやソファではない。
しかし、会計上は、椅子:50,000円となり、それ以外の情報は全て捨てられる。
極限まで意味(≒ノイズ)を削ぎ落すことで、より早く、より多く、より広範に処理するためだ。

時間の概念は金利で処理する。
明日の100円は市中金利で割り引いて今日の100円と比較する。

これで、空間、時間に関わらず、全てを同じ基準で処理できる。

では、何を根拠に現金換算するか。
コスト(資源の累積投入量)ではない。取引価格≒市場価格を唯一の根拠とする。モノの交換の場合は、当該"モノ"が直近で取引された価格を参照する。
極論言えば、何かよくわからない理由で売り手と買い手が合意してもそれが価格になる(株価とかね。なんちゃって)。
また、取引が発生しない限り、会計上は「無価値」となる。実際には、見えない原因の多くはこの点にある。

さらに・・・

見えていたものまで見にくくなっていく仕組みになっているので話はややこしい。
記帳のルールは複式簿記になる。
あえて大胆に略せば、複式簿記とは、現金からの距離の意味付けとも定義できる。簿記という天球は現金を中心に回っているのだ。
勘定科目の多くは、この時差を説明する記号なのである。

複式簿記 1/15 売掛金***/売 上***
     1/31 現 金***/売掛金***

大福帳  1/15    ー
     1/31 現金残高***

(情報が極限まで捨てられた上に、謎の記号が差し込まれるんでは、そりゃ分からんわね...)

費用収益対応の原則・財務諸表の作成

費用は発生主義で、収益は実現主義で各々認識されるため、両者が直接対応している場合には計上タイミングのズレが露呈する。この矛盾を回避するため、費用につき、当期収益と因果関係があるもののみ当期に計上し、他は資産計上することを原則とする。
売上原価関連、減価償却などが典型だが、この辺りから要素のハッシュ化(みじん切り)が起こり、体感から乖離し始める。会計的感覚を習得しなければ実体が掴めなくなる。

会計用語は(他の専門用語と同じく)日本語ではない

瀰漫性汎細気管支炎とでも言ってくれれば、どうやら肺のあたりが大変なことになっているらしい、専門医に尋ねよう、と考えるが、「資産」と言われれば分かった気になってしまう。
ゲーム業界には「コンテンツ制作勘定」という資産科目がある。これは売上原価に充てるための備忘的記述であり、実態は経費の累積であって、いわゆる資産(財産)ではない。
棚卸資産と聞けば、安心を感じるが、在庫と言われれば、何やらお荷物を抱えた気になる。
つまりは、日本語だと思わないことだ。
借方/貸方は、本日を以て、左/右と呼称することをお勧めする。

限界費用ゼロの世界

ゲーム開発には3年以上は必要で、開発費は数十億円になる。開発費はコンテンツ制作勘定として3年間累積して資産計上され、この間、一切PLにはヒットしない。
他方、発売日からディスク製造して販売するが、製造費は1枚数百円だ。
ディスク関連は販売時に製造販売数に応じて原価に計上されるが、開発費は少々特殊。
過去の傾向からディスク販売から3か月以内で売り切るため(以降は中古市場となり、パブリッシャーには収益は立たない)、3年間の累積経費であるコンテンツ制作勘定を、3か月間で一気に原価に振り替える(4か月目に売れたら原価はどうなるでしょうか)。
この例でも少々無理を感じると思うが、以上はオフラインゲームのディスク販売の場合で可愛い部類。
現在は、ダウンロード販売(ディスク等の原価なし)で、オンライン仕様(長いタイトルだと10年以上収益計上される)。費用と収益は別モノに見える。さらにサブスクリプションとなれば、両者の関連は説明がつかない。

知識産業化と言われて久しいが、現在は、これが主流になっており、
会計が想定していたのとは異なる世界になった。費用収益対応の原則等、従来の体系だけで処理するには無理がきている。

財務分析

ROEを分解したデュポン・チャートが元祖。

これが発展し、等式を崩さないことを前提に、両辺に四則計算を駆使して特異な指標を量産していく。
元々一つのものを要素に分解しただけの静態的な代物であり、「他の条件一定にして」という免責条項まで明らかにされているのだが、ついつい各要素が独立して機能するように錯覚してしまいがちだ。ROE向上のために自社株買いを迫るモノ言う株主にも、同じく世界が止まって見えているのだろう。経営実務にとっては、本質を理解していなければ毒になる。


会計は、処理を効率化するために極限まで情報を削減し、生じた矛盾は記号と仮定で埋める事によって洗練化されてきた。関係者納得の上での割り切ったシステムである。
「見えない資産」を会計に取り込もうとすれば、何かを捨てて新たに「見えない何か」を産みだすか、効率を大幅に落とすかのどちらかになる。


2.実感と乖離する(≒見えない)原因は経済システムにある

資本主義を、利潤をドライバーとする動的システムと定義する。
また、利潤の総和が増していく状態を成長と呼ぶ。
利潤は次なる利潤を求めて止まることなく、ルールが極めて単純なことから、フォーメーションの統廃合・変態は柔軟にして迅速。常に最適解に向かって邁進する。
現代社会では、成長ドグマは浸透しきっており、逃れ難きこと呪いのごとし。

サイクル、ボリューム共(総じてここでは活動量と呼ぶ)、増えるほど好都合で、そのためには処理対象である個別アイテムの情報量は少ないほど良い。会計システムとの相性は抜群だ。

さて、ピケティが データに基づき r(資本収益率)>g(経済成長率)を示し、どちらを所有するかの違いが経済格差の実態だと説いて話題になったが、なぜr>gなのかについては諸説ある。
私は学者ではないのでデータに基づく論証に時間を費やす能力も気力もないが、共感いただける現象は指摘できる。
株に絞って言えば、事業=g、株式=rと置き換えれば至る所に実例は転がっている。
株の評価の根拠は、配当(現金)=>利益(会計)=>期待利益(空想)、と推移してきたが、今世紀に入り、ニューエコノミー(今や少しも”ニュー”ではないが)、ベンチャー投資のロジックがこれをさらに進めている。期待利益(空想)=>売上見込み(夢想)=>KPI(妄想)と、評価基軸が遷移している。これは、ニューエコノミー「的」が一旦頓挫しつつも追認された上に、早期ステージからのベンチャー投資と、エグジットとしての被買収の一般化が進んでいるためだろうが、注意すべきは、この空気が公開市場にも流れ込んでいる点だ。さらに制度もそれを追認し、IPOの基準は下がる一方だ。
要するに、大概の人間は成長神話を信じており、単に、その人間達が、成長を投影した未来を現在で評価するため発生しているズレなのではないか。しかして、その神話は過激化している。
過去データにおいても継続的に成立しているのは金融資本主義が常に前輪駆動でドライブされているからだが、そもそも走り続けられていたのは、資源、人口動態、テクノロジー等、多々理由はあろうが、「イワシの頭も信心から」も一助とはなっているだろう。となると、成長教からの改宗は促しにくい。

問題はここで終わらない。
資本主義は、一層活動量を増すために、さらにデリバティブ(派生物)を創造し始める。
先の例で言えば、企業活動を一定としても経済システム全体の活動量を上げていくために、企業の実体から派生させた影分身を創る。これが企業を表象した株式だってばよ。
有価証券を一般的に捉えても、現物(既にこの時点でデリバティブだが)、先物、オプションと、さらにデリバティブを多層化していく。加えて、個別有価証券を超えて、複数をインデックスとしてパッケージするも良し、個別有価証券をリスクの程度で細断して各々を流通させるも、さらにはリスク毎に分解したデリバティブをリパッケージしたデリバティブを流通させても良い。
フレンチでいえば、分子料理の境地に入っていく。
世に言う、金融資本主義だ。

金融資本主義の実体は、株屋のいう信用二階建てどころか幻の超高層ビルなのである。

資本主義は、効率を落とす行為を容認してくれなさそうだ。
実感から経済が遊離していく流れは、加速する事はあっても逆転しないだろう。
残念ながら、少なくとも個人的経験では、資本主義においては必ずバブルまで進み、最終局面でカタストロフィを迎える以外の例を知らない。しかも、暴落のさ中では富者の方が(失う額も大きいが)抵抗力があり、ガラポンで世代が脱皮するとも言い難い。


3.なぜ見たくなったのか

情報量を落として処理効率を上げ、さらにデリバティブで拍車をかける。利潤を拡大し続けることで、成長(=経済的繁栄)を享受してきた。
見えないモノ≒切り捨てるモノの存在は容認する、また、少々の幻惑・攪乱もやむ無しと、経済を推進してきた。
繰り返すが、我々自身、納得ずくだったはずだ。

あえて見えない資産が気になりだした理由は、同じく昨今、SDGs、ステークホルダー資本主義が言挙げされるようになった背景と同等だと思われる。

もう「外部化」するフロンティアが無くなったということなのだろう。


(次回に続く)


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