プロデューサー成分が足りない!
日本のゲーム界隈では、最近溜息しか聞こえない・・・
バブル期に過剰在庫を積み上げる悪弊は、アタリ、スペースインベーダー、たまごっちと、枚挙にいとまが無いけど、またやっちまいましたね。
選択と集中。明らかにダメなものを切るのは容易いが、確信できるものがないのが本音じゃないの? 仕込まなきゃ、自然発生で出てくるわけないね。
これじゃジリ貧。
さて、一緒に泣き言を言っても仕方ないのでストレートに言うと、プロデューサー活性化に注力せよ! です。
開発力強化そのものよりはるかに短期で効果が期待できる。また、ゲーム開発が一般に開放された今だからこそ現実的戦術となる。
肚決めるしかないですね。
もしも、私が本日、そこそこのサイズだけどドン詰まった組織を率いる羽目になったら、直ちに何をするか。思い付きを書いてみるので、皆さんも独自のアイデアを捻りだして決行してください。
プロデューサーとは
まずは、表題の「プロデューサー」について。
ここでいうプロデューサーとは、パブリッシャーのプロデューサーのこと。
スクウェアとエニックスとの違いは、巷間、内製と外注の違いと言われる。まぁ私のせいだけど。
スクエニ合併時、「FFとドラクエの合体ですね!」との声に対して、そうではない、補完関係にあるがゆえ、合体によって別次元に昇れるのだ、と反論するために、エニックス/スクウェアは、外注/内製、アジア/欧米・・という説明不用の簡潔なレトリックを使った。本当は不正確だけど、実害がないので、その後に訂正もしなかった。
真面目に話せば、本質的なのは両社の出自の違い。
異なる文化の化学反応も狙いの一つだった。
エニックスが日本では稀有な純粋パブリッシャーであったのに対して、スクウェアは純粋デベロッパーだった(ちなみに合併時の両社ステータスは双方パブリッシャー)。
出自は、その後の事業展開にも影響し、エニックスは漫画の出版事業、スクウェアは映像の制作事業へと多角化していた。
(各国、各社によってゲーム会社の形成過程が異なり、これが各社各様の盛衰に影響を与えている。非常に興味深いテーマだが、本稿では触れない)
一般的に、ゲーム産業におけるパブリッシャー会社の役割は、企画、座組主導、リソース確保(ヒト、モノ、カネ)、マーケティング。他方、デベロッパー会社はゲーム開発を担う。
パブリッシャー会社におけるプロデューサーは社業そのものの引き写し。ただし、リソース確保のほとんどは会社全体で行うので実質機能はそれ以外になる。
デベロッパー会社の本旨はディレクターが担い、開発全部。工程管理から品質保証まで全ての責任を持つ。
ちなみにデベロッパー会社内で名乗られる“プロデューサー”は、社内調整やプロモーションを担当している場合が多く、必ずしも本来の機能を担っているわけではない(精神的支柱、「偉い人」の意味で使っている場合すらある)。
プロデューサー活性化のポイント
(パブリッシャーにおける意味での)プロデューサーを活性化し、成果を出すためには、3つのポイントがある。
1.現状認識を共有する
大前提だが、スマートフォンゲーム、家庭用ゲームいずれについても、現在の延長はない(除く上位ランカー)。
重大な過渡期にあるとの共通理解は必須。
以下に述べるのは私の現状認識(認識だが、あえて指針のような表現とする)。
・無論、トップ各々認識が異なるのは当然で、私の案を踏襲する必要はない。
・また、共有することが重要であり、これをそのまま企画に当てはめるわけではない。
指針のような表現としたのは、その方が行動をイメージしやすいから。
無理やり適用する等、硬直的になるとアイデアが死ぬ。他方、野放図な妄想ではビジネスにならないので認識は共有する。
この火加減は極めて重要。
① 企画の部品の一つとしてゲームを捉える
プロデューサーがゲーム・ディレクターと最も異なるのは、ゲーム以外とゲーム自体をまたいだ企画を考えうること。この特性を最大限に活かす。
少し一般化して現在地を眺めてみる。
コンテンツは、浸透の度合いによって、その性格を変える。
流通、制作双方の組み合わせで考える。
まずは流通。以下の段階を辿ってきた。
「配給」:戦時中(はい、冗談です)
「供給」:安定供給、ただし供給者ワンサイド
「流通(物理、後にネット)」:ロジスティクスの大衆化
「オンデマンド」:供給者とユーザーとの綱引き(依然として供給者寄り)
「アクセス」:ユーザー主導
現時点、自身の業界がどこにいるか認識を誤ると、弾が当たらない。
私見では、マスメディア業界は、譲ってもオンデマンド認識レベルまでしか来ていない印象。湯水のように情報が溢れ、誰の制御もなしにユーザーが情報を摂取するイメージがつかめていないのではないか。
コンテンツ産業にフォーカスすれば、ネット流通以降でエコシステムが一新した。
桁違いの大衆化が起きると同時に、収益機会が激増した。漫画、アニメが顕著な例。
ゲームで言えばFree to Play(基本無料の課金モデル)でブレイク。ただし、ゲームのみ、現時点でなお規格の統一ができていない。
次に制作の観点。
ゲームだけが特殊だった。
小説、漫画、音楽は、質を問わなければ一人で作れる。
映像(アニメ、実写)は、もう少し厄介だが、ツールの後押しで随分楽になった。
他方、ゲームは、今世紀に入って絶望的に開発難易度が上がっていき、他のコンテンツとの間に越えがたい一線があった。
ところが、昨今、Minecraft, Roblox, Fortnite(creative mode)、全てを支えるゲームエンジンに見られるように、ようやく制作の大衆化が始まろうとしている。
また、esports、ゲーム実況等、ゲームをネタにしたコンテンツも先行して人気を博している。
ようやくゲームを部品として捉える企画が現実的になった。
ゲームにおける流通、制作の環境変化は、まさに緒に着いたところであり、この変化を本格的に活用した例はまだ見当たらない。
② フィジカル空間を織り込んだ展開とする
ゲーム産業はテクノロジーの進化と共に成長してきた。
サイバー空間でできることが直線的に豊かになってきた歴史なので、ベテランほどデジタルの発露を専らサイバー空間に適用する習慣がついている。
しかしながら、サイバー空間の質的成長のカーブは鈍化してきているため、ここにのみベットしてもアップサイドは限定的だろう。
メタバースのような、ゲームのテクノロジーを使いながら非ゲームであるものに関心が向き始めたのも、成長鈍化の兆候の一つと考えられる。
しかし、フィジカル空間での新たな動きも見逃せない。
Pokémon Goのようなプリミティブだがわかりやすい例。
オンラインゲームのオフ会の人気、キャラクターグッズとのコラボといった既にゲームと呼応している分野。
さらには、活況のトレーディングカードが構造的にデジタルゲームと類似していること、マーダーミステリー、脱出ゲームが徐々に広がりを見せていること。
様々な状況が、ゲームとフィジカル空間との共振が始まっていることを示している。
これらは、いずれデジタルで統合され完全に繋がるだろうが、過渡期の現時点では、あえて無理に繋げなくても構わない。
工夫自体が奏功する可能性があるし、将来への布石にもなる。
2.プロデューサーを狭い場所に糾合する
要するに、タ〇部屋ですね。。
将来をかけるに足るプロジェクトに着手している、あるいは腹案がある者以外、プロデューサーを全員集める(所属していたプロジェクトは当然解散)。
・自社のゲーム開発が外部発注であれば抵抗ないだろうが、内部開発を抱える場合、多くの開発者がプロジェクトに属さないことになる。遊休資産を抱える恐怖に耐えなければならないが、「とりあえず作っておこう」などと逃げをうてば、またガラクタを積み上げ、スタッフの人生を無駄にするだけだ。
なお、身軽な会社なら悩む必要などない。
・リモートではなく、物理的にオフィスに集める。遊んでいても良い。アジェンダが決まっていない状態から何かを産み出そうとすれば、雑談こそが重要。物理的に鮨詰め状態にして過剰な交流を演出しなければ何かは起きない。
トップが腐心すべきは作業させることではなく、雑談の質を上げることだ。
3.プロジェクト決裁には多様性が必須
何かが絞り出されてきたらプロジェクト承認プロセスに入る(要するに予算をつける)。
本件の場合、総合型ではなく、一点突破型の精神で臨む。
ただし、苦しくても安易に承認してはならない。
フラッシュアイデアに飛びつくのではなく、何か感じるところが無ければ妥協してはならない。
この場合、観点の多様性を確保しておくことが極めて重要。
二~三人、別のバックグラウンドを持った者を最終決済者にし、誰かの承認を得れば承認とのルールとする。多数決は採用しない。
バックグラウンドとは、専門とするエンタメ、技術面に限らず、性別、宗教、家族構成、考えの道筋(音楽か映像か、論理か匂いか等)、出来るだけ根本からの違いを重視する。
一定水準以上の深度につき、全方位にセンサーが働いている人材は滅多なことでは見つからない。一点突破型でいくなら、多様性を確保し、少数意見を採用する仕組みとするしかない。
ゲーム産業を俯瞰すれば、2000年代はテクノロジーで表現を追求してきた。2010年代はネットの活用がエコシステムの変化をもたらした。
再びテクノロジーが産業牽引するには少し時間がかかる。
過渡期においては、組み合わせの妙で新鮮な体験を演出するのだろう。
過渡期には過渡期の戦い方がある。