下山事件を読む 第10章 松本清張の推理(その2)
前章では、臨戦態勢への移行を目論んでいたウィロビーとシャグノンが、日本国民に反共意識を植え付けるための謀略を巡らしていたという松本清張の推理を見てきた。この章では、下山総裁が殺害された理由について、松本清張はどのように推理したのか見ていきたい。
下山総裁の情報収集
第4章では、大規模人員削減を行うだけの“暫定的総裁”を下山が嫌々引き受けたことについて書いた。しかし下山が総裁就任を引き受ければ即座に総裁に内定したかと言えば、そうではなく、GHQに“お伺い”を立てなければならなかったことは、第4章「GHQによる人事介入」のところに書いたとおりだ。
松本清張は次のように推理している。
下山が総裁候補になった時、シャグノンはCICを使って下山の身体検査を行った。その際シャグノンは、国鉄総裁を自由自在に操るため、特に下山がGS側にコネを持っていないことを重視した。その点に関しては問題ないと判断したので、シャグノンは下山の総裁就任を承認した。
ところが蓋を開けてみると、下山はシャグノンが期待したほど従順ではなかった。そのことについて、松本は次のとおり説明している。
松本は、下山が独自の人員整理リストを作成しようとしていたと言うのである。そして、そのために国労の情報を収集する必要があったと言うのだ。
諸永裕司も下山の情報収集について言及している。
下山が労組左派に配慮していたことを示す増田甲子七(官房長官)とのやりとりがある。
なお「6月末の国鉄労組熱海中央闘争委員会の決議」とは、「最悪の場合はストを含む実力行使を行う」という闘争方針の決議のことである。
そのような独自の人員整理リストづくりは、GHQが軍事作戦を遂行する上で許されなかったと松本は考えるのである。「軍事作戦」とは前章で掲げた以下の二つである。
① 社会主義国との対決:対ソ連戦・対中国戦を見据えた戦時輸送計画の策定
② 日本共産党との対決:国労に存在する急進的な労働組合員の追放
松本は、国労もGHQの軍事作戦について気づいていなかったとして次のとおり述べている。
松本の推理を簡単にまとめると次のようになると考えられる。
下山は、情報屋から得た情報をもとに、独自の人員整理リストを作成しようと目論んでいた。また、GHQ内部の事情を知りうる立場にあった情報屋から、GHQに関する情報も下山は得ていた。ところが、人員整理リストづくりやGHQ情報の収集といった下山の動きがシャグノンに探知されてしまい、シャグノンの逆鱗に触れた下山は殺されてしまった。「ストを含む実力行使」も辞さないとした労組左派の攻撃的姿勢により、「日本共産党員が何か事を起こすのではないか?」という世間の不穏な空気が生まれたことは、下山殺害を企んでいたGHQにとっては好都合なことであった。
松本は、「シャグノンは整理問題で下山が自分に抵抗しているのを腹に据えかねているところへ、このようなネットを密かに使っていると探知して激怒したのである」(「下山国鉄総裁謀殺論」p.71)として、黒幕がシャグノンであることを示唆している。「このようなネット」とは、GHQに探りを入れるような情報網を意味するのだろう。
鎗水情報
ここで、下山と会っていた情報屋について言及している部分もあるので、鎗水徹(元読売新聞記者)が矢田喜美雄にもたらした情報を見ていきたい。
事件から8年後の1957年(昭和32年)、三越から下山を誘拐した4人組の一人が下山誘拐のあらましを書き残したノートを鎗水は偶然手に入れた。このノートの持ち主は、ストライキ権の剥奪(政令201号)に反発して札幌鉄道局から職場離脱したH・Oという男である。H・O は、1948年(昭和23年)8月に仲間とともに上京して、日本共産党員派遣の情報屋グループの一員となり、人員整理問題に関する情報を下山に提供するようになった。このノートには、下山が「整理の対象は老齢者、技術を身につけていないものを優先する。赤を首切れという命令はあるが、当面の対象にはしない」と情報交換の場で約束したことが書かれている。
なお、「総裁を誘拐した」と書いたが、H・Oは知らぬ間に誘拐に加担させられたと告白している。
1948年(昭和23年)8月以降、北海道で大規模な職場離脱が起こったのは事実であるようだ。話が脱線するが、当時の社会状況を知るために引用する。
結論から言うと、鎗水情報の信憑性は低いと思われる。諸永による鎗水のインタビューの一場面を見てみよう。
しかし、たとえ鎗水情報の信憑性が高くないとしても、北海道で職場離脱者が続出したことが事実であったことを考えると、すべてが嘘であると言い切ることはできない。虚実混交というのが本当のところではないだろうか。この章での話の流れからいくと、「整理の対象は老齢者、技術を身につけていないものを優先する。赤を首切れという命令はあるが、当面の対象にはしない」という言葉は、いかにも下山が言いそうなことではないだろうか。
田中栄一(事件当時の警視総監)が『週刊現代』(昭和34年7月号)に寄稿した手記によると、事件前に「あなたの身辺を警戒したい」と田中が下山に言うと、下山は次のように言って断ったという。
上記の文章からは、下山は人員整理リストを作ることを主目的にして情報屋に会っていたのではなく、「労組の動きをつかむ」ことを主眼として情報屋に会っていたことが分かる。
以上のことから、確かに下山が労組左派に配慮していた事実はあったようだが、下山が独自に人員整理リストを作ろうとしていたか否かは定かではない。仮に下山がそのようなことを目論んでいた事実があったとしても、それが下山殺害の動機になったとは到底思えない。シャグノンが下山の行為を不快に思ったならば、鶴の一声で無駄な抵抗はやめろと一喝すれば良いだけの話だ。したがって、GHQの要望に従わず、独自に人員整理リストを作ることを企図したから下山は殺害されたという松本の理屈は、どこか論理が飛躍しているような印象を受けるのである。もちろん、下山による独自の人員整理リストづくりについては、そのことだけが下山殺害の原因であるとは松本は言っていないが、下山殺害に至った主要な原因として挙げられているのは明らかである。これでは、どうも腑に落ちないのだ。
下山を殺害しなければならなかった別の理由があったはずである。
(つづく)
参考文献
松本清張 著「下山国鉄総裁謀殺論」(『日本の黒い霧』に掲載)文春文庫(2004年)
矢田喜美雄 著『謀殺 下山事件』講談社文庫(1985年)
札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第5巻』 北海道新聞社(2002年)
諸永裕司 著『葬られた夏』朝日文庫(2006年)
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