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ろくろのまわり

「道頓堀夜景(池島勘治郎)

池島勘治郎(いけしまかんじろう 1897~1980年)は、大阪の街場を拠点として活動した水彩画家だ。
独立美術協会(※語注1)の割と早い時期のメンバーであり、美術年鑑によれば、結構な額の値段がついている。
各美術館にコレクションもされていて、往時の活躍がしのばれるが、令和の現在、ほぼ忘れられた画家である。

ひょんなきっかけで、池島の水彩画が手に入った。
額縁とマットが、ボロで染みだらけだったが、それぞれ新品に交換する事でなんとか体裁が整う。

画材は主に水彩とガッシュ、パステルで描かれており、一見して何が描いてあるのかよくわからないが、画面中央にひときわ目を惹くアクリルの白が置いてある。
恐らく全ての絵の具が乾ききった最後に、白いチューブから直接ぬりつけたのだろう。
あえて他の色を混ぜず、画面全体の色調を壊すかもしれない力業に、画家の緊張が走る。

人間の視覚は、明→暗の順に認識する。
全体的に暗色で構成された画面の中、この鮮烈な白がまず目に入ることで橋がかかり、次に明るい黄色によって両岸のビルに明かりが灯り、川が照らされ、都会の夜景が立ち上がる。
鑑賞者はやがて池島が立っていた道頓堀橋に誘われ、そこから見える隣の戎橋(※語注2)がはっきりと解るようになるだろう。正面に滲む、まるで怪物の顔のような黒点は、川面に浮かぶ三艘の小船だと思われる。

こうして、淡い水彩の色調では描き分けにくい夜空と川面が、中央の、不自然で唐突な白によって見事に区分けされ、引き締められている。


 
大阪には一時期、年に数回通っていた。
茶の湯の師匠の、さらにそのまた師匠の茶事に参加するために。大抵、師のマンションに転がり込み、夜は決まって繁華なナンバに繰り出す。
同じく茶事で知り合った、御夫婦が経営される料理屋に出向き、ひたすら痛飲するのだ。

(余談だが、そのお店は東心斎橋、池島のかつての住所は今の西心斎橋。一つブロックが違うだけで、どうやら同じ都会の風景の中にいたようだ。)

御夫婦は毎回ご馳走を準備して下さるのだが、一番のお気に入りは店名(※語注3)に恥じない「鴨肉のハリハリ鍋」。
関東ではなじみが薄いかもしれないが、関西では一般的に京菜(=水菜)と何かの肉を出汁で煮ただけの鍋だ。
京菜の食感からハリハリと名付けられたらしい。
肉は何でもいい、クジラでも、鶏でも、豚でも。あとは豆腐もネギもキノコもいれない。ポン酢のような付けダレもなし。

鴨肉のハリハリ鍋

ただ出汁に鴨肉だけが浮いたスープへ次から次と京菜が放り込まれ、野菜をしゃぶしゃぶのようにして食べる。
決して煮過ぎてはいけない。
あくまでもシャキシャキした食感を楽しむためだ。
濃い出汁に溶けだした、甘い鴨の脂が、熱でより鮮やかな緑白色になった京菜にたっぷりとからみ、艶めいている。
奥歯で咀嚼する度に、とろりとした脂の奥から、滋味あふれる青臭さがじんわりと染み出す。
他人行儀な「野菜」という言葉より、親しみを込めて「菜っ葉」と呼びたい。
その菜っ葉を肴に、これまた次から次へ熱い清酒が胃の腑に消えていく。

「障子紙をはがして書かれた掛け軸なんて、初めて見ました。升目の糊付け後が残っていて、名残の茶事に相応しいですね。」「右手で卵を持つように、五本の指を曲げるの。そのまま鼻がつかめるでしょう。この鼻つまみの指であらゆるお道具をつかむのよ。」「あ、その京菜、露地ものやねん。味、濃いしょ。」「『お静かに!!』の話はもういいじゃないですか。」「おばちゃん、ウチ↓コーヒー↑。」「うしの字、さすが芸術家の字ね。」「今度、岐阜の森崎先生を御紹介するわ。最高の茶人よ。」「業躰の御手前、とても綺麗でした。」「あ、トイレはその扉開けて左な。」「天王寺区の文化的な雰囲気が決め手で、お店をやろうと思ったの。」「これ、ダイヤモンドなんです。」「じゃあ、良いルビーがあるわ。〆はうどんと雑炊、両方あるから食べてって。」

はじめは茶事の感想や、これから作る焼き物の話を真面目にしているのだが、こちらは酔いが回り始め、視覚が歪みだす。師も声が高くなり(だが不思議と酔いつぶれたお姿を見たことはない。)隣席の客の放言も始まったかと思うと、姉弟子がケタケタと笑い始める。
お店のマダムの眉間のしわは、深くなる一方だ。

ふらつきながら会計をすまし、まだまだ騒がしいナンバを次の店を探して歩く。
繁華街のど真ん中を川が貫いているせいで、大阪の夜風はしっとりと潤いがある。
さらに東京と違って、道端にはゴミが散乱し、甲高い関西弁はビルにぶつかってさらに響き、見上げたネオンの色は一層、どぎつい。

夜遊びなんて所詮、楽しいふりをしているだけで、朝、目が覚めると後悔と虚しさの出来レースに巻き込まれて正体不明になるくせに、また夜が来てお誘いあらば、いそいそと出かけてしまう。

今の時間も、千鳥足でふらつき、蛮声をあげ、反吐をぶちまけながら、醜態をさらす酔いどれ共が、この月も浮かばぬ薄暗い画面の中、コロナとうしろめたさを肴に蠢いているのだろう。
これからも同じ夜が、重なり続けていく。

その、飽きも懲りもしない人間の営みに、絵は優しく微笑みかける。
片道切符でのりこむ三艘の小舟は、きっと橋の向こうにある涅槃へと連れてってくれるはずだ。

ヒューマニスト、池島勘治郎、入魂の一枚。

そこでしか生きられない、あらゆる夜の住人に捧げられた、赦しの風景。

色は空であり、空は色である、と聞こえた気がした。


語注1)どくりつびじゅつきょうかい。ヴラマンクやゴッホに影響を受けた日本の画家達が1930年に立ち上げた美術団体。佐伯祐三、林武、児島善三郎といった近代洋画界を代表する作家を輩出した。見た目の完成度より作家の情念を重視し、絵筆のタッチがそのままキャンバスに残る作風が多い。写実の白日会なんて御上手ねと会員諸氏は思われていることだろう。今でも積極的な活動を行う。


語注2)ゑびすばし。有名なグリコの看板のふもとにある、通称「ひっかけ」橋。野球チームの阪神が勝っても負けても、クリスマスでも正月でも、大阪の若者達は、この橋から道頓堀に飛び込む正当な理由をいつも探している。下心で声をかけた女に蔑まれ、ずぶぬれの全身をさらす事が、武勇伝になるうちは若者なのだろう。


語注3)「カナール」 〒542-0083 大阪府大阪市中央区東心斎橋1丁目7−3 島之内シティーハイツ
電話: 06-6251-2520
昼は勤め人向けに各種の定食を出し、夜はがっしりした懐石や洋食を出される。
寡黙で職人肌のマスターが調理を、ホールのマダムは客あしらいがうまくて、(でも表面的ではない)ついつい深酒と長居をしてしまう。

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