見出し画像

ケズレヴ・ケース〜コーデリア01光宙記録 Report 1〜

全長版はこちら

汝、深淵を軽々しく覗くなかれ
所詮、深淵は汝のことなど歯牙にも掛けぬ

              ——— 統合理論物理学者  I, フレサンジュ

承前

 地球に端を発した太陽圏文明がそろそろと恒星間航宙へ乗り出した時代。
 自分たちのささやかな版図の、目下においてはただひとつの恒星、すなわち太陽を中心点とした半径五十光年以内の星々へ、まずは無人の光宙艦が送られた。
 そして、それらがもたらした探査結果を基に、ある程度は何らかの見込みがありそうな宙域へと、今度は有人のそれが送り込まれた。
 いわゆる光世紀時代の始まりである。
 光世紀世界の宙域にあまた存在する恒星系は、その後の観測、解析精度の技術向上と、複数の光宙艦による実測が可能となったことで、かつての提唱者、継承者たちが想定していた世界より遥かに豊穣なる海であることが判明した。
 太陽系宙域からの光学、電波、重力波観測によるデータから導き出された予想値を上回る収穫を、実測任務に赴いたいくつかの光宙艦が持ち帰ると、そのたびに人々はおおいに歓喜し、その証左として、光世紀世界探査に関連する企業の株価があがり、投資が促進され、それは太陽系宙域全体で見れば、決して少なくない数だったから、結果として、宙域全体の経済が活況に満ち、機運はいよいよ次の段階への期待感によって、醸成されていった。
 かくして、光世紀世界への人類移住の模索が始まった。
 既にいくつかの恒星宙域、星系では、試行錯誤の末に、採算ベースに乗った無人プラントが稼働しており、いまはまだ細々ではあるが、それでも着実に徐々に太陽系宙域を中心とした経済圏の萌芽を育み始めていた。
 しかし、こうした一方向にのみ偏った経済モデルは、いずれ歪な構造を維持出来なくなり、結果としては遠からず破綻してしまうことを、人類は太陽系内での多くの成功と失敗の経験から学んでいた。
 しかも、これから乗り出そうとしている世界の規模は、太陽系の比ではない。
 最大で半径五十光年にも及ぶ広大なるフロンティアであり、いずれは可能になるであろうが、現在の光宙艦建造技術では、ひとりの人間がその生涯の全てを費やしても、あまねくその世界の全てを旅することは出来ない程に遠く果てしない領域なのである。
 光世紀世界への橋頭堡を着実に築くには、臆病と慎重を履き違えてはなし得ないが、同時に無謀と勇気を取り違える訳にもいかなかった。
 複雑に絡み合いながらも星系経済圏を構成する企業群や、是とする信仰や思想、主義の違いから枝分かれした国家、政体群にしても、今や独立独歩、孤立主義を標榜する構成単位は見当たらず、それぞれが人類の欠くべからざる細胞のひとつひとつとなって、大なり小なりの共存共栄を図っている。
 だからこそ成立している現在の太陽系文明の行く末を、今さら悲劇的な未来へと向かわせる訳にはいかないのだった。
 開闢以来、そして有史以前から連綿と続いて来た地球史、人類史の最後の一頁を誰がしたためるにしろ、我々以外の誰かがひもとくのだとしても、愚劣な一文で締め括ることを、もはや人類は望んではいなかったのである。
 少なくとも、その程度には教訓を得て、そして多少なりとも学習して、ここまで生き延びて来たからこそ、人類はようやくその領域を太陽系外へ広げる資格を、歴史と云う名の見えざる神から得たのであった。
 とは云え、何らかの意見の対立がなかった訳ではない。
 大別すれば、光世紀世界移住計画への積極論を唱える一派と慎重論を唱える一派とになる。
 無論、その派内も細分化すればきりがない程に様々な考えに則り、丁々発止のやり取りが行われてはいた。
 だが、極論すれば、すでに移住しないと云う選択肢だけは、少なくともこの時点では、存在しなかったのである。
 今すぐにその荒波の大海への漕ぎ出すのか?
 時を待ち、潮の流れを見極めて、それから凪いだ海へと櫂を差し入れるのか?
 云々。
 それぞれの論を個々に考察することに興をそそられないでもないが、それはまた別の機会に譲るとして、今は、そうした議論百出の末に、比較的太陽系近傍の宙域に存在する既知の星系として知られているてんびん座グリーゼ五八一、またはウォルフ五六二の名で知られる赤色矮星へと向かった派遣光宙艦の一群についての物語を語ろうと思う。
 この光宙艦群が遺した航宙記録の顛末は、後年、光世紀世界移住計画の全体に少なくない影響を与え、その結果、いくつかの計画の修正が余儀なくされたことで知られているからだ。
 そして、現在の観点から見れば、それは人類史の大きな転換点のひとつ、何かの始まりであり、何かが終わった重要な事象のひとつであったとも云えるからでもある。
 現在、我々が歴史を学ぶ意義のひとつは、こうした過去の事例を詳らかにすることによって、まだ見ぬ未来への考察の糧とするためなのだから。
 尚、一般には、この出来事は、光宙艦群の旗艦名を冠した”コーデリア・アクシデント”またはついに到達した惑星グリーゼ五八一c、光宙艦派遣計画が具体化し実施段階となった時点で”ケズレヴ”と云う惑星固有名を与えられた、その星の名前を採って”ケズレヴ・ケース”と呼ばれている。
 やや直裁的で陳腐と云えなくもないが、古典文学的なある種の暗喩をも含むその艦名から、容易にこの出来事が社会全体へもたらしたイメージを誰もが想起し得るため、当時のマスコミや大衆はこぞって”コーデリア・ショック”とも呼び習わしていた。
 勿論、本件に遭遇したのは何も群旗艦たるコーデリア〇一単艦だけではなく、派遣光宙艦群を編成していた光宙艦船全てに何らかの類が及んでいることから、公正さを期すると云う観点を鑑み、当初、公式、非公式を問わず、このグリーゼ五八一方面第五次派遣光宙艦群の制式登録名を明記した”05DLSSS-LCC1050インシデント”と云う第三者による調査委員会の誰かが事務的に名付けたであろう如何にも無味乾燥な数字と文字と記号の羅列で記されていたが、普及はしなかった。
 結局のところ、現在、確認出来る公式な記録、信頼出来る確かな史料においては、もっぱら”ケズレヴ・ケース”と端的に呼称されており、最終的な公式な件名もそれに落ち着いたものと思われる。
 故に本篇でも特に必要がない場合は、その表記は"ケズレヴ・ケース"で統一する。
 以上の通り、これは、地球人類による恒星間飛行時代の黎明期に起こった最も著名なアクシデントとして知られる”ケズレヴ・ケース”の発生当時の記録を基に再構成した物語である。
 一部、固有の人物名、地名などは、社会的影響を考慮し、筆者と、関係者の眷族、今も現存する関連、後継団体などとの合意によって、架空の名称となっているが、この些細な改変自体は、史実そのものには何の影響も与えてはいない。
 その点はあらかじめご了承いただきたい。
 物語を始めるにあたり、既にほぼ広く知られた歴史的な出来事でありながら、筆者のささやかな好奇心を満たしたいがための些細なやりとりと無遠慮で興味本位でしかない疑問、質問攻めに、根気強くお付き合いいただいた関係諸氏に、まずは深く謝辞を述べておきたい。

前哨-異変-


 群司令を務めるイリア・ハッセルブラッドは、半舷休息中の居室に設置されたモニターを通じて、その日、今週最後の定期補給が終了した旨、副司令のジョセフ・アサクラ一等宙佐からの報告を受けた。
 長期光宙艦勤務の実際を知らない人間が見れば、宙将補たるイリアは、いまだ二十代前半の容姿を保っており、対するアサクラ一等宙佐は、五十代後半の老練な士官に見える。
 つまりこのふたりの外見と実際の階級の逆転現象に違和感を覚えるかもしれない。
 そもそも、アサクラは外見の印象と実年齢との間にさほどの大差はない。
 ただ、それは惑星重力圏での定住勤務が長く、その年齢分ひとつひとつを積み重ねて、佐官までの階級を昇って来たからで、光宙艦勤務経験自体それほど多くはなかったのである。
 彼が今回の派遣光宙において群副司令の任についたのは、まさにその後方勤務で培った事務官としての力量を買われてのことでもあったし、何よりも本人が退役後の終の住処として、この派遣光宙艦群の目的地を望んだからだった。
 実際、彼は今回の派遣光宙任務終了を以って、現地退役が決まっており、すでにケズレヴ・セツルメント・初代行政官と云う事実上のケズレヴの施政責任者として内示がおりていた。

 三〇代を過ぎた頃から、頭頂部から徐々に薄くなり始めた頭髪も、今では白いものが混じり始めていたし、光宙士官にしては珍しく、その体格は縦ではなく横へのベクトルを指向し、精強よりは温和、およそ剣呑な空気とは無縁な人物としての印象を醸し出している。

 アサクラは、公私にわたって、自らを”事務屋の親爺”と表向きは自嘲気味に、その実はささやかな矜持を保って公言している。

 その意味でも彼が他者へ与える印象に違和感はない。
 書類仕事を軽んじる者は、その他の実務でも早晩、その無能ぶりを露呈することとなる。
 と手厳しい本音を吐く代わりに、彼は後年、こんな言葉を残している。
 「事務を能くするものは全てを克くす」
 アサクラが決済したと云うことは、彼が自身の職責の及ぶ範囲で、建前ではない全ての責任を持つと云うことなのであった。
 なるほど、これから新たに築かれる居留地の初代施政者として、彼ほどの適任者はいなかったことを伺わせる含意あるアサクラらしい言葉である。
 そして、彼が常勤しているウラヌス級光宙艦コーデリア〇一を群旗艦とする派遣光宙艦群を構成する移住者母艦のひとつには、彼と共にケズレヴに骨を埋めることになるであろうその家族たちも乗り組んでいる。
 それ故に、アサクラは光宙期間中、年に二回、許可されている二週間の休暇を家族と過ごすために、その移住者母艦とを私的に行き来すると云うある種の特権を決して無駄にはしなかった。

 要するに彼は公私において好人物だった。

 公団本部で彼と仕事を共にした人々の一部からは、こんな証言もある。

 現職がグリーゼ五八一方面第五次派遣光宙艦群副司令並びに群司令部首席幕僚たるジョセフ・アサクラ一等宙佐の前職は、公団本部の人事部統括官だった。

 つまり、彼の派遣光宙艦群副司令、さらにはケズレブ・セツルメント初代行政官としての内示を決済したのは、彼自身なのである。
 だが、これがさして問題とならなかったのは、アサクラはどこまでも人事部統括官として客観的な視野に立ち、もっとも適切な人事として自薦も厭わなかっただけで、何よりも、その人事の最終命令権者が、彼ではなく、イリア・ハッセルブラッドであり、彼女もまた自身の行う人事のみならず、全ての職務に対して、その責任を背負うことを厭うタイプではなかったからである。
 そして、こんな話も残っている。
 さすがに自身の群司令部転属の辞令と行政官任官の内示の発令を自らの手で行うことにためらいがあったアサクラは、後任の人事部統括官に引き継いで貰おうと、その旨をその時点での直属の上官である幕僚総監群管総務へ意見具申した。
 実際、本部内には公私混同ではないかとおよそアサクラのこれまでの経歴からは無縁な発言が囁かれ、なにものかの横槍がチクチクと彼の小さくはない尻を小突いていた。
 しかし、そんな瑣末なことでケチがつくような話しなら、あとは自分が責任を負うから、とっとと、群司令部へ着任して、こちらの仕事を始めろと、イリアがアサクラを叱責し、同時に即刻下命したと云うのである。

 イリアにしてみれば、命令とはまさしく”命を賭して令する”ものなので、彼女の構想する群司令部には、今すぐにでもアサクラが必要だったし、それを脇でごちゃごちゃ云う人間がいるのとしたら、それはもう彼ではなく、イリア自身が受けて立つ問題なのだった。
 「実際、例の風変わりなたったひとつの質問で終わった面接と、この時のハッセルブラッド群司令の激昂ぶり、このふたつだけで、彼女の幕下に加わるには充分な動機だと思いましたな」
 イリアの風変わりな質問とは、彼女のエピソードの中では比較的有名なものなので、今は書き添えないが、この時のアサクラへの命令とも無関係ではない。
 「例の面接でイエスと答えた私にですよ? 舌の根も乾かぬうちに”この件での抗命は許さない”と云い放ったのですからね。有能で信頼出来る上司、上官にはこの程度の人間としての矛盾が必要だとは思われませんか? 非の打ちどころがない、全てにおいて完璧で隙がない人が上にいると下は疲れるだけですからね。まぁ、私人としては矛盾だけで生きている節がある群司令のおともだち、あれはあれでまた……ね。」

 事務屋の親爺ジョセフ・アサクラの人物像を検証する際、実はこの発言の一部にも言葉通りに捉えてはいけない箇所があるのだが……。
 とにもかくにも、自身で要らない仕事を増やすところだったことを気付かされた人事部統括官ジョセフ・アサクラ一等宙佐は、月の周回軌道-ムーン・オービタル・ゾーン-にある公団本部光宙艦低重力繫留廠の一角に置かれたグリーゼ方面第五次派遣光宙艦群司令部準備室(仮)へと赴き、改めて幕僚人事の辞令とケズレヴ行政官の内示を、人事部統括官臨時代行兼務となったイリア・ハッセルブラッド宙将補より拝命したのだった。
 決断と実行のイリアとアサクラ、と云う後世の評はここから始まったのである。
 ユニークなのは、"決断のイリアと実行のアサクラ"ではないところであり、この評価を最初に下したのは誰なのか、そして、この分け方は評価として正しいのか否か、歴史と実業を学ぶ者の間では今も議論が絶えない。
 なお、無論、イリアが、アサクラへの下命後、直ちに自ら群司令専務へ戻ったことは云うまでもない。
 そして、行政官としての任地へ赴く途半ばにある彼が着任すべき居留地は、今はまだない。
 この派遣光宙艦群がケズレヴへ到着した後、ようやく本格的に建設される段となっているからだ。
 つまりアサクラの初代行政官としての仕事は、自らの任地の都市基盤整備そのものなのである。
 「何しろ事務屋の親爺ですからね。そりゃあ、退役後は畑を耕すセカンド・ライフこそが王道でしょう?」
 決して規模の小さくない太陽系外恒星宙域開拓計画も、彼の中では自宅の裏庭に拓いた猫の額ほどの畑のスケールに収まるものだったらしい。
 すでに四度に及ぶ有人派遣光宙艦群の往還とそれを補填する数次の無人光宙艦群の派遣によって、運び込まれ設置された無人の自律型資源探査採掘ドローン群や、これから始まる本格的な星系居留地建設と維持、発展に寄与するであろう同じく無人の工業プラント群などは既に稼働を始めている。

 おっとり刀で駆けつける将来のあるじのために、今もせっせと現地で採掘した資源を、有用、実用な資材へと、加工し、量産し、時が来るまで貯蔵している筈である。
 そして今回の、つまり第五次派遣群によって、ようやく人的資源となりうる最初の移住者たちが、ケズレヴへ降り立つことになる。
 云うまでもないが、ここで云う"降り立つ"と云う表現は比喩である。
 最初の居留地は、特異な自転周期を持つケズレヴの昼夜半球境界面(トワイライト・ゾーン)の静止衛星軌道上に建設される多層構造モジュールによって構成される予定だからだ。
 実を云えば、イリアはこのケズレヴへの有人派遣光宙往還任務全てに参加していた。
 最初は光宙士官候補生と位置付けられている新米の光宙准尉として。
 そして、派遣任務の回を重ねる中で経験を積み、実績を挙げ、他の宙域、星系への派遣光宙任務を経て、今回、ついに群司令としての任を務めることになったのである。
 アサクラを筆頭とするケズレヴの将来の住人たちを送り届けるイリアにしてみれば、この光路は、馴染み深い通い慣れた道だった。

 だが、ケズレヴへの水先案内に適していたからと云う理由で、イリアが宙将補を以ってその任にあてる派遣光宙艦群司令となった訳ではないことは、彼女を知る多くの人々が証言し、または記録を残している。

 すなわち、通い慣れた道だからと云って、その任務を軽んじることなく、万難を排し、万全を期し、万人の命を預けるに足る能力を余すところなく発揮できる適任者としての指揮官、それがイリア・ハッセルブラッド宙将補だったからである。
 そんなイリアは、アサクラとは逆に、地上と云う場所で過ごした経験が殆どがない。
 まだ公団の訓練校に入学する前は、火星と木星の間に広がる小惑星帯”メインベルト”の首長国たるセレスで暮らしていたが、公団本部がある地球"メインランド"へ初めて赴いた時など、〇.〇二九Gのセレスに慣れていた彼女はひどく面喰らったくらいだ。
 知識やある程度の重力下訓練などで、頭と多少は身体でも理解していても、長く一.〇Gに近い重力圏に留まっていると奇妙な違和感を覚えるのが常だった。
 だから、絶えず惑星上の重力を意識しながらの施設勤務や、時として”非人道的な加速を強られる”ことさえある惑星軌道艦での航務ではなく、こうして果てしなく長大な距離と時間を、少なくとも主観ではゆるゆると飛行する光宙艦勤務の方が、彼女には性に合っていた。
 もっともその結果、”アインシュタインの呪い”によって、実年齢と乖離した若い容姿のまま、今に至ってしまったが、彼女自身は、常々、逆よりはマシと、長い光宙勤務の習慣によって、ある程度の長さで切り揃え、シュシュでまとめた蜂蜜色の柔らかな髪のまとめ損ねた何本かを揺らしながら、笑って語っている。
 その時の無邪気であどけなささえ感じる彼女の表情は、人によっては十代半ばの少女にさえ錯覚させ、和ませもするのだが、それは無論、彼女の責任の範疇にはない。
 「見た目で判断されての給料では割に合わない程度には、公団に貢献しているつもりだからな」
 これは何も彼女だけの見解ではなく、殆どの光宙艦勤務にある者の述懐であり、諦念に近い境地でもあった。
 そもそも光宙艦に乗ると云うことは、そう云う事実を受け入れることなのだから。
 公団が設立されて数世紀、実際の有人光宙艦群が最初の太陽系外の恒星系に到達してから二世紀以上は過ぎている。
 だから、イリアのような人間は公団内だけでもかなりの人数になる。
 つまり、社会はとっくの昔に、”アインシュタインの呪い”など気にはしていないのだった。
 それでも、職務上の必要を除けば、そのような相手に実年齢を尋ねることは非礼にあたるとされるのは、恐らくは古来のルール、エチケット、マナーの延長線上にある社会的習慣に過ぎないのだろう。
 何にせよ、アサクラをはじめとする彼女よりは見た目は年上に見える部下たちも、職制での上下関係を重視していたし、彼女もその職分に見合う仕事ぶりで、部下たちの敬意と信頼を得ていた。
 結局、そのような瑣末なことは光宙艦勤務においては何の問題にもならなかったのである。
 こうした一般的な光宙艦での生活時間は、ほぼ地球の自転速度を基準としたサイクルに基づいている。
 長期凍眠による待機光宙期間を除いた実働生活時間は、人類が地球発祥である以上は、深く遺伝子レベルで刻まれたリズムで過ごせる生活サイクルに合わせた方が合理的だし、何よりも身体的、心理的な負担も少ない。
 どんな些細なことでもストレスやトラブルの種になりかねない障害は摘んでおくに如くはない。
 つまり、今週最後の補給が定時で完了したと云うことは、タイムスケジュール通りにまもなく日付が変わる。
 すなわち"〇〇〇〇-ゼロ・アワー-"となり、アサクラとの交代時間が近いと云うことだった。
 イリアは、いつも通りにミスト・シャワーを浴び、手早く髪をまとめ、愛用のシュシュで留める。
 またしても例によって、何本かがそこからはみ出していたが、それは身なりを整えると云う彼女自身の規範では許容範囲内だった。
 そして実年齢どころか外見上の年齢から見てもなお童顔に見合ったバランスが取れた体つき、つまりは低重力下生活者に多いスラリと伸びた細身な身体に通常勤務用作業服であるバーミリオンカラーのカバーオールを着用すると、群司令の専用個室から直接ブリッジへあがれる連絡通廊へと宙を泳ぎ出した。
 彼女専用の個室や通廊は、勿論、特権のためにあるのではなく、緊急時の即応体制をとるために設置されたものだ。
 それは、逆を云えば、無駄のない効率重視の設備こそが信条の光宙艦においては、彼女がブリッジへあがる手段のもうひとつは、艦内を巡る通廊のいくつかをバイパスする羽目になることを示唆していた。
 それこそ時間の無駄だし、非直の一般航務員が日常的に使用している通廊も経由するかたちとなり、群司令の抜き打ち巡検と勘違いされるのも甚だ迷惑なので、イリアは専用通廊からブリッジへあがることをもっぱらとしている。
 セパレートの上衣と下衣を静電気防止処理が施されたマジックテープで留めて、一体とした制服の両肩にあしらわれたシンプルなふたつの白銀の輝星が彼女の階級を示し、左の胸ポケットの上に留められた徽章によって、群司令としての職制が示されている。
 彼女がどれ程、見た目は可憐な少女に錯覚されようが、こればかりは最上位士官と云えども、むしろ最上位だからこそ、他の範となるためにも、服務規定上、これらを制服からむやみに外す訳にもいかない。
 だから、直任務中の時は、せめて階級章と徽章を意味もなくそびやかして、部下のストレスにならないようにしているのだ。
 実のところは、それでも一般通廊でハッセルブラッド群司令に遭遇した者は、しばらくは幸福になれると云う何の根拠もない迷信があり、それにまつわる非公式な渾名もついて回っているのだが、それは彼女の知るところではない。
 光宙艦航務員の制服は素材や機能性などは都度、更新されてきたが、そのデザインは人類が地球近傍宙域をうろうろしていた時代、つまり公団の前身組織の時代に採用されて以降、それ程、大きな変化はなかった。
 求められるべき変革は常に推し進められては来たが、必要を感じられないものについては、往々にして保守に徹するのが、世の常なのではないか。
 それは光宙艦乗りの心の持ちようも同じなのだろう。
 古の昔から、船乗りと云う生き物は迷信を好むように出来ているのだから。
 取り敢えずはブリッジへあがり、先ほど報告を済ませたばかりのアサクラからの当直の引き継ぎを受ける。
 一見、先刻のモニター越しの報告は無駄なのではないかとも思えるが、あれは報告と云うかたちを取った、彼女の直任務がまもなく始まることを告げる一種のモーニング・コールを兼ねているのだ。
 わざわざその目的のためだけで、定期補給が"二三三〇"に完了するように稼働させてはいないが、もし何よりも仕事よりも朝寝坊と二度寝を優先したがる上官がいたとしたら、手間は省ける。
 イリアはむしろ先に起きているタイプの上官だった。
 それはそれで胃弱な部下などはストレスになりそうだが、幸い、アサクラは必要以上には頓着しないタイプなので、その意味でもこのふたりは良いコンビだと云える。
 光宙時の通常勤務では、一般の航務員は八時間ごとの三交代制だが、群司令、副司令、艦長などの指揮官クラスの上級士官は十二時間ごとの二交代制となっている。
 上に上がるほど、給料だけならまだしも、責任と仕事と拘束時間も増える、とは一般の航宙士たちが口にする出来の悪い冗談の定番だが、勤務中の食事と休憩も含まれているので、別段、辛いと云うこともない。
 それに仕事と拘束時間も増えるのはさて置いても、責任がついてくるのは致し方ない。
 上官は責任をとるためにあるのだ。
 決して部下に責任を押し付けるためにいるのではない。
 少なくとも公団ではそう教えられるし、教わったものもそれを実践している。
 先達が実践し、後継も倣い、それが常識として紡がれ、伝統として繋がる。
 伝統墨守は、何も悪習弊害のみを引き継ぐものではない。
 そして、イリアがブリッジで副司令からさほど目を引く事柄もない引き継ぎを受けてから、数分後、先行する前方哨戒群から発進した緊急連絡の第一報を載せた無人連絡艇が群旗艦へ接近しながらの情報連結を求めて来た。
 イリアは職業的慣習に従い、左腕のクロノグラフをチラリと覗き見る。
 "〇〇〇一"
 艦内時間で真夜中を一分過ぎていた。
 彼女が乗る群旗艦コーデリア〇一の光路前方からは、グリーゼ五八一へと向かう途上の暗い隘路を照らす光の虹が果てしなく連なり続いている。
 これが異変の始まりであった。
 この時、グリーゼ五八一方面第五次派遣光宙艦群(制式登録名:05DLSSS-LCC1050)は、光程二十光年余に及ぶ道行きの最終段階へと移行しつつあり、そのための編成形態を整えていた。
 大まかに説明すれば、進路の最前に哨戒光宙艦を核とした前方哨戒群、次いで約一光日(二十四光時)後方に群旗艦コーデリア〇一を核とした群司令艦群。
 そして、さらに約一光日の距離を置いて、本光宙艦群の主力とも云える移住者母艦群と物資輸送艦群、補給艦群、さらに約一光日の最後尾にある後方警戒群から成っている。
 実際には、これらの光宙艦群とさらに後方の中継ステーションと拠点整備された宙域や星域の間に築かれた兵站線上を飛び交う後方連絡艦や兵站維持輸送艦などなどが続いており、さながら、古巣から新たな巣を求めて連なる蟻たちの隊列であるかのようだった。
 公団はこうした派遣群をフリートとは呼ばず、キャラバンとすることが常であった。
 確かに、延々と連なって進む艦船のさまを表すには、これ程、しっくりと来る言葉は他にはない。
 純軍事組織ではなく、準軍事組織ですらない公団の組織モデルは、擬似的には軍事組織のそれを採用しているため、構成する人員の階級、運用スタイル、記録などに散見する用語など、随所に如何にもな軍事組織的な色合いが見て取れるが、そのことにのみ注視すると、公団の全貌は見えては来ない。
 宇宙開発事業公団-Space Development Public Corporation-と云うおそろしく端的で何の趣きも面白みも感じられない正式名称の組織は、事実、その字義以外のなにものでもなかった。
 ただ、その宇宙と云う単語が意味する領域が徐々に拡大し、それに合わせて公団の活動域も広がり、それに見合うだけの組織を維持しているだけなのだ。
 そして、そうした組織を運用するにあたり、もっとも効率的なモデルとして採用したのが、それこそ人類が有史以前から、改善に取り組みながら実績を積み上げてきた軍隊のそれだったと云うだけなのである。
 その意味でも、やはり擬似的軍事組織と云う言葉の方が公団の有り様を説明するには、いちばん適切かと思われる。
 そもそも軍隊とは、それが仮想であっても敵があってこその組織である。
 その点、公団には、公的な意味、表向きな意味での敵は存在しない。
 もちろん、征服すべき未知なる宇宙こそが、我らの敵である。
 と、恥ずかしげもなく演説ぶった公団の人間は少なくない。
 それが本気だったか冗談だったかは別としても。
 だが、宇宙は征服するには人類にとって広大極まりなく、仮にそれらを敵として戦い抜くには、徒手空拳にも程がある。
 仮に征服し得たとしても、漠然とした達成感が得られる程度では、人は満足しないし、莫大な投資の末に得られるのが、それではあまりに割に合わなすぎる。
 宇宙には、まだまだ未知の領域が広がっているが、そこが浪漫と冒険の領域だった時代は、はるか昔、それこそ太陽系外縁部を、人類が初めて踏破したあたりで終わっていたのである
 無論、個々人が私的な心のうちにそれを感じていたとしても、それを咎め立てする必要もないのだった。
 故に公団に属する艦船の艦種には、警戒艦と呼ばれる艦はあっても、純粋な意味での戦闘艦は存在しない。
 コーデリア〇一などは、文字通り、群旗艦としてキャラバン全体を統率・指揮する機能に特化した艦種であり、武装と呼べるものもあるにはあるが、それは長駆の旅程で、障害となり得るものを物理的に排除するための必要最小限のものであった。
 だいいち、限りなく光速に近い速度で飛翔する光宙艦が物理的な戦闘行為を行うこと自体が今の技術では不可能に近かった。
 光熱源兵器も質量兵器も全て"アインシュタインの呪い"の前では無力化され、何の役にも立たないし、意味もない。
 ここは跳躍飛行が可能で、既知の物理法則さえも飛び越えた異次元空間ではないのだから。
 もっとも、複雑で迂遠な手順を経た上で莫大な借金を遺族へ残し、自爆して果てたいと云うのならば、話は別だが。
 だから排除すべき対象には、恒星系重力圏内など、ともかく一度、アインシュタインが必要以上に干渉してこない宇宙空間へ減速して降りないことには、対処のしようもないし、必要もない。
 幸いにして、何らかの物理的障害として、人類または異星人などが立ちはだかった事例は、いまだになかったし、それに類する何かが行く手を阻んだこともなかった。
 多くの場合は、排除可能なイレギュラーの微小天体であったり、もしくは過去の光宙艦群が除去し損ねたデブリの類だった。
 これは他の艦種も同様で、自衛のための武装、兵装が必要となる相手は、何らかの意図、意思を持った敵ではないのである。
 ただ、それは人類文明の領域に軍隊や戦闘艦は存在しないと云う意味ではない。
 大は星域全てをカバーする組織として、小は惑星や衛星の地上面にひしめく大小の都市や国家や何らかの独立した政体を持つ自治勢力に至るまで、とにもかくにも、何らかの軍事組織を持たない勢力の方が少数派であるのが実情であった。
 その目的も主として自治権の及ぶ範囲での警察行動のためであったり、文字通り何らかの軍事行動(多くは自衛のためと嘯く)を目的とした組織であったり、それこそ枚挙に遑がない。
 自前の組織を持てない勢力同士が、同一の思惑に沿って同盟、連合勢力として運用している例もある。
 そして、不幸にして、現在に至るも、小競り合いの末の物理的な軍事衝突が実際に起こってもいる。
 皮肉屋揃いな歴史学者などが"ガス抜き"と呼ぶ類のものだ。
 大規模な軍事衝突に発展しないのは、この"ガス抜き"によるところが大きいと主張する向きもある。
 だが、哀しいかな。
 そんな"ガス抜き"で何らかの人的被害が皆無だった事例はどれ程の史料を探しても見当たらない。
 人が歴史と云うフィルターを通して、世界を俯瞰する時、往々にして陥りがちな罠に気づくものは少ない。
 それが、こうした人的・物理的被害を被った犠牲者たちの実相である。
 我々は、ひと桁の犠牲者が出た事象と、膨大な犠牲者が出た事象を、その人数、被害総額などで比べがちであり、ともすれば、最小限の被害で済んだ側を"この程度で済んで良かった"などと片付けてしまいがちである。
 だが、そこでふと視点を変えて、歴史を俯瞰してみると、ある小さな事件に端を発して、連鎖的な事件が続き、その結果、失われた人命の数が実は膨大だったと云うことさえある。
 一瞬で膨大な人命が失われた事例より、事態が一向に収束しなかったために、延々と失われ続けた人命の累計が逆転している事例も少なくはない。
 そして、どれ程、膨大な人命が一瞬で失われようと、結果として多くの人命が失われようとも、その個々人にとっては、たったひとつの命が失われた一件の事例なのだ。
 だからと云って、宇宙の星々が全て尽きようとも、人の世に争いの種は尽きない。
 それもまた事実であった。
 ただ、とにもかくにも人類が宇宙へ乗り出し、曲がりなりにも地球圏の外にまで生活圏を延ばして以降、それこそ人類全てを巻き込む程の大規模な軍事衝突は、実際には起こってはいない。
 これは現在の視点から見れば、ただの結果論であると云われてしまえば、それまでなのだが、その要因のひとつとして、人類がいまだ統一した政体を持ち得ていないからだとは考えられないだろうか。
 地球の方々で発展していったそれぞれの文明勢力にとって、世界を統一すると云う望みは、ある種、抗し難い芳香を放つ美味極まりない果実だったようで、多くの英雄として名を遺す人々や、他の無名のまま歴史に埋もれた人々が、その争奪戦を競ったことは云うまでもない。
 むしろ、英雄とは、簒奪だろうと何であろうとも手段を問わず、その戦いを制した、時の勝者を指す美名、虚名、僭称と云っても良い。
 ある時代までは、その勝者が統一者として振る舞い、栄華を極める。
 それは可能だった。
 実際、世界帝国なる存在は、地球上に何度か現れている。
 ただ、そこで指す"世界"の規模が時代が下がるにつれ変わっていくだけであった。
 要は自分たちの既知領域を世界として捉えるなら、世界統一は何度も試みられたし、実際、それに成功したものたちも多い。
 だが、やっと世界を手に入れたと安堵した征服者たちが見たものは、さらにその先に広がっていた見知らぬ世界であった。
 それに更なる野望を抱いた者もいれば、途方に暮れた者もいる。
 「この途は何処へ続く?」
「この世の涯でございます」
「ここは何処だ?」
「この世の涯でございます」
「この地平の先には何がある?」
「この世の果てでございます」
 人の望みは果てしないが、それを為すには、その命はあまりに短い。
 とはこうした際に引用される使い古された言葉である。
 そして、こうも云える。
 人がその命尽きるまでに掌握し得る版図にも限りはあるのだ。
 だから、古の帝国は一族何代にも渡る大事業としたし、とにかく、過去から今に至るまで、実に多くの勢力が離合集散を繰り返しながら、いまだ成し得ない難事業であることは誰も否定は出来ないだろう。
 公団がそれを別の意味で意識していたのかどうか、明確な史料は何も残されていない。
 そも、規模はともかく一事業体でしかない公団が、そのような未来構想を当初から戦略の基礎として考慮していたかどうかも不明である。
 だが、結果として、公団のおこなって来た開発事業の成果物のひとつとして、今後の考察において俎上にあがることもあるかもしれない。
 公団がその事業規模と領域を拡大しつつある途上で、いくつもの"自称、公団のライバル"たちが、その上前を掠め取ろうともしたし、公団の行く手を阻もうと企てたりもした。
 手を変え、品を変え、時には組織の規範すら変えてでも、彼らは、自分たちに何の既得権益も与えないまま、成長していく公団を目の上のたんこぶ扱いして、あらからさまに妨害に出ることすらあった。
 また、そこまで邪険には扱わない迄も、ほぼほぼ非武装の擬似的軍事組織と云う歴史上稀な存在としての程を成しつつある公団に、皮肉なセリフを投げつけるものも後を絶たなかった。
 前者はおもに政治屋と愉快な仲間たちを騙る政商連合であったり、後者はおもに自分たちこそが本家宗家であると譲らない軍事組織と愉快な仲間たちを気取る軍産複合体であった。
 ”愉快な仲間たち”にとって、自分たちに与しない相手は"不愉快な存在"だと思う性があるらしい。
「"ごっこ"も一世紀、本気で続ければ、これはこれで結構、サマになるものです。皆さんは、まだ半世紀ですか? あぁ……うん。ファイト!ですよ。頑張ってくださいね」
 百年"軍隊ごっこ"をしている素人と嘲笑された公団の幹部が、その揶揄った当該国の国防軍建軍五十周年を祝賀するパーティーの席で述べたスピーチである。
 この相手の感情を逆撫でする行為以外のなにものでもない挨拶をした幹部は、コメントを求めた国営放送の政治記者にこう答えている。
 「継続は力なりと云いたかっただけなんですけどね……。いやあ、慣用句の意訳と云うのは、実に難しい」
 無論、このコメント自体を流暢な現地の言葉で述べている時点で、この公団幹部、E・カートライト第一事業本部長(当時)に、皮肉には皮肉で応じる意図しかなく、さらにはそれを取り繕うつもりもないことは明白であった。
 「思えば、彼の血こそが、公団と私の一族を繋いでいるのです」
 とは、彼のある子孫の言葉だが、そのカートライト家に名を連ねる者のうち、公団に属した者は、今のところ、彼とこの子孫ひとりだけなので特に意味がある言葉とも思えない。
 蛇足ながら、彼の国は、その後、幾度かのクーデターと革命と政変を経験し、都度、暖簾と看板と主人を変えたが、今はもうない。
 先に述べたことを繰り返すが、宇宙開発事業公団は、その名が示す通り以上の団体でもなければ、それ以下でもない。
 そして、その範疇を越える行為に及んだことも、既知の範囲では記録にない。
 これは公団が太陽系内での開発に従事していた時代からいささかも変わっていない揺らぐことのない方針であり、標榜する指標でもある。
 すなわち、未開拓の天体ないし星域の探査から始まり、やがて開発と事業の採算化を図る。
 そして、可能ならば、人的資源としての移住者を募り、基礎的な研究・開発拠点とし、さらに可能ならば、規模を拡大し、生活拠点としての基盤整備を行う。
 都市レベルで留まる拠点もあれば、星域全体を管轄出来る拠点となる場合もある。
 だが、公団は、ある程度の生活拠点の持続性、継続の目算が可能と見ると、その拠点での自治を勧めるようになるのだ。
 もちろん、この自治権委譲についても具体的で明確な指標があり、今のところ、そこから外れて失敗した事例はごく僅かである。
 自治権の確立、または何らかの独立した政体として成立し得るだけの人口と経済力を維持出来るようになるまでが、公団が責任を持って事業として請け負う範囲なのである。
 勿論、以降も何らかの技術的、経済的な関与は継続するが、あくまでも関与であって、干渉ではないところが公団の公団たる所以であった。
 歴史を紐解くまでもなく、多くの場合、争乱の引き金は、何らかの勢力、政治基盤からの自主独立を標榜する勢力と、それを良しとしない勢力との対立である。
 だが、初めから将来的な自治、独立が担保され、しかもその点では実績に折り紙付の公団が保証人だった場合、争いの種は多少は軽減されることだろう。
 単一の巨大な政体による人類の統一計画にどれ程の意味があるのか?
 先に述べた通り、古来の計画はほぼ水泡に帰し、暴論と極論に過ぎることを承知の上で敢えて述べるば、そのような野望はまさしく無謀な教訓以外の何かを我々に残しただろうか?
 異文化と人的交流が促進されたと云う反駁は容易い。
 だが、暴力と支配ではなく、それを平和と共存のうちに成し得た時代も存在するのだ。
 どこに政体の中心地を置くにせよ、現在を以ってしても、その統一された意志によって決定された政策や施策を、あまねく全領域へ今日、明日のうちに知らしめて実行し得る手段は存在しないのである。
 それならば、最初から緩やかな繋がりは保ちつつ、各々めいめいでよろしくやって貰った方が、結果としては全体の益となるのだ。
 確かに情報の伝播が速やかに行われないもどかしさはあろうが、幸いにして、人的交流、物流などの経済交流は、いまのところは瞬時往還である必要はないのだから。
 急ぐ必要はない。
 人ひとりの一生のうちに成し得ようとするから、どこかで綻びが出て、結局は破綻するのである。
 ならば、人類の領域を広げつつ、緩やかな自主独立の拠点を確保しながら、いずれ機が熟した時に、未来の総意としてそれを選択するまで、待てば良いではないか?
 彼らから見て過去の我々に出来るのは、彼らの可能性と云う選択肢の萌芽をなるべく多く育てることなのだから。
 その選択肢を彼らがどうするか?
 その結果にまで責任を持つなどと豪語するとしたら、過去の我々は、未来に対して傲慢に過ぎる。
 星の一生にも限りはある。
 宇宙にもいずれ終焉の刻は訪れる。
 だが、人類が軒先を借り、間借りをする程度の時間的猶予は十分に確保されているではないか?
 急ぐ必要はない。
 宇宙に流れる時間と人類に与えられている時間を同一視してはならない。
 急ぐ必要はないのだ。
 実際、恒星間航宙が現実のものとなり、有人光宙艦往還が実用化された時、多くの人間が、惑星上で我々を縛り続けていた時間の鎖から解き放たれたではないか?
 それを"呪い"と呼ぶか"恩寵"と呼ぶかは、それこそ光の速さで明日を奪取することを選択した彼ら彼女ら自身が決めることなのだ。
 急ぐ必要はない。
 限りなく秒速約三十万キロメートルと云う地上から見れば目の眩むような速度で、宇宙的な視点から見れば、それでも尚、遅々とした速度で、我々は未来を目指せば良いのである。
 光速限界を突破できない限り、我々が進むべき方向は未来以外にはないのだから。
 だから急ぐ必要はないのだ。
 宇宙開発事業公団の訓練校で新入生たちが、教官たちにまず最初に叩き込まれる三訓は、
 "慌てない 〜Don't Panic."
 "急がない 〜Don't Hurry."
 "止まらない 〜Don't Stop."
 である。
 そして、惑星ケズレブ開発もそのような公団の構想に沿って計画が進められていったのである。
 太陽系からの光程約二十光年にある赤色矮星グリーゼ五八一は早くから複数の惑星を持つ恒星系であることが知られていた。
 だが、実際に無人光宙艦による宙域探査が行われたのは、光世紀世界へと人類が足を踏み入れてからしばらく経ってからである。
 そもそも公団は、この光世紀世界、すなわち太陽を中心点とした半径五十光年と云う全球宙域を構想した提唱者のプランに基づいて、事業を拡大していったのである。
 すなわち、それがどれ程の宝島だと判ってはいても、一気に離れ小島へ波濤を乗り越えて行くことはせず、ひとつひとつ、近海の小島から小島へと飛び石のように伝って、拠点を整備し、徐々に光宙艦の航路を伸ばしていったのである。
 その時点で、かつてのフィクションや開発プランで構想されがちな巨大万能単艦主義的な恒星間航行船は、非現実的なものと実際に建造まで至った物は極めて少なかった。
 決してゼロではなかったところに試行錯誤の後が見えなくもない。
 単艦で恒星間を渡るためには万能でなくてはいけないし、何もかもを詰め込んでいかなければならないから当然、巨大になるし、エンジンも……etc,etc。
 目的地の恒星系と地球ないし太陽系へ往還させるために、そんな非効率な手段で採算の採れた事業として成立し得るのか?
 だいいち、何らかのアクシデントが船に起こり、それが回復不能であれば、そこまでの計画は全てご破産。
 いちからやり直す羽目になる。
 実用恒星間往還計画は、ゼロサムゲームではない。
 失敗は成功の母と嘯くには、あまりに投資額が莫大に過ぎるし、ともすれば、文字通り、夜逃げすら出来ずに進退極まった挙句に、人類総無理心中の憂き目に遭ってしまう。
 かくして、単艦で行われていた初期の無人光宙艦探査計画では、ある時期から将来的な有人光宙艦就航を見越して、複数艦編成による試験運用も並行して実施されるようになった。
 目的別、用途別に特化した光宙艦群の組み合わせによる運用の実効性が試されたのである。
 公団の光宙艦は規格化された標準艦と呼ばれる何種かの艦体に、目的、用途に合わせてユニット化されたモジュールを追加装備することで、量産化と小型化、採算性のバランスをとっている。
 殊に主機とされる光速駆動機関はほぼ全艦種で共通化、標準化されており、推力が必要な場合は、より大型の主機をいちから設計するのではなく、それで間に合うようなら、複数の主機を束ねるように組み合わせて高い推力を得ることを前提にしている。
 可能な限りの効率化は、実用恒星間往還では必須命題だった。
 基本的な設計が同じと云うことは整備、運用の点でも多くの利点がある。
 光程途上で修繕を必要とする事態となっても、同航する修繕工廠艦によって、破損したユニットのみ修復または交換すれば良いし、何より、最寄りの造船廠まで曳航する手間も最小限に押さえられる。
 もはや、宇宙船がフルオーダーメイドだった時代は遠い過去の話でしかない。
 現在、根本的な設計思想が違った船の実験艦を除けば、実用化試験運用艦までがセミオーダー化されつつある時代なのだ。
 これが現在のキャラバン方式へと繋がっていき、ようやくグリーゼ五八一への往還計画の順番が巡ってきたのであった。
 このように多くの試行錯誤と石橋を叩いて渡っても尚、アクシデントは起こるし、そもそも予測出来なかったからこそアクシデントになるのだが、その意味では"ケズレヴ・ケース"が遺した多くの教訓もまた、公団の歩もうとする未来への指標となったのだ。
 現在も、グリーゼ五八一のハビタブル・ゾーンの周回軌道上を巡るゴルディロックス記念宇宙生物学研究ステーションが、ケズレブ星域自治政府と宇宙開発事業公団の共同出資によってケズレヴ自治区施政百周年記念事業の一環として設立された施設であることを考えれば、それは自明であろう。
 緊急連絡を告げる第一報を載せた無人連絡艇がコーデリア〇一との情報連結に入った時点で、先ほど当直が明けたばかりのアサクラ一等宙佐、群司令部直轄の管制指揮所(CIC-Control Information Center-)から上がってきた群司令部先任次席幕僚のクライヴ・ハメット二等宙佐が、正面のメインモニターを睨むイリアの視界の隅に現れた。
 もうひとりの次席幕僚であるビヨン・スジュン二等宙佐は当直士官として、そのままCICに残っていた。
 ハメットとスジュン、ふたりの幕僚も二交代制のシフトではあるが、イリアとアサクラのシフトとは六時間ずらして運用されている。
 全員が同じ生活時間でシフト交代していては、平時二十四時間稼働の光宙艦の運用は成り立たない。
 常に誰か指揮官相当の佐官クラス以上の士官がブリッジなりCICなりに詰めているからこその群司令部なのだから。
 とは云え、多少は休めたであろうハメットはともかく、先ほど直が明けたばかりのアサクラは溜まったものではなかろうとブリッジ要員の誰もが同情を禁じ得なかった。
 が、当のアサクラは、直明けわずか五分足らずの間に、蓄積していた疲労を先ほどまで着ていた制服ごと自室のランドリーボックスへ脱ぎ捨てて来たようで、涼しい顔つきで、洗濯したての着替えの制服の袖口に残っていた小さなシワをさり気なく伸ばしながら、イリアが司令席にある際の副司令としての定位置、つまりイリアの席から見て右斜め後方の首席幕僚席へ収まっていた。
 そしてその反対側、つまりは彼女の左斜め後方の次席幕僚席に着座したハメットはすでにCICのスジュンとのやり取りを始めていた。
 イリアは彼らの姿を微かに反射するモニター越しに眺めながら、頼もしくも微笑ましくさえ思っていた。
 おそらくは最初の事態収束までの間、これが彼女が笑顔を見せた最後の場面であった。
 振り返れば、彼女の群司令としての最初の仕事は、群副司令も含む幕僚の選抜人事だった。
 自薦、他薦も含めれば、それなりの候補者数の中から彼女は三人を選ばなければならなかった。
 個別面接の際、彼女が彼ら彼女らにした質問はたったひとつ。
 「貴官は、上官たる私が誤った選択をした時、間違えた命令をした時、直ちにノーと抗命出来るかね?」
 この風変わりな質問に”イエス”と即答した三人が、イリアと共に群司令部スタッフとしてコーデリア〇一に乗り込んだのだ。
 尚、これは余談だが、三人の幕僚たちは、他の航務員たちからは、イリアの公団における非公式な渾名にちなみ、イリア同様に、敬意をこめて三匹のクマ(スリー・ベアーズ)と称されている。
 そして、そのコーデリア〇一のブリッジで首座にあるのは、イリアではなく、艦長のエミリア・カートライト一等宙佐であった。
 彼女もイリア同様に光宙艦生活が長いため、”アインシュタインの呪い”を受けていて、イリア程ではないが、それでも二十代の盛りに見える容貌だった。
 だが、この呪いは、艦長として時には精悍さと冷静さを演じなければならない時、長所として機能していて、エミリア自身も呪いとは受け止めてはいなかった。
 思えば、自身が艦長として光宙艦を預かった時にも、この外見に随分と助けられたものだと、以前、イリアはエミリア相手に語ったことがある。
 だが、明らかにエミリアが他のクルーに与えるイメージと、イリアが他のクルーに与えるそれには、良い印象であったとしても少しばかりイリア自身の思うところとは違っているのだ。
 このことを、果たしてエミリアは指摘したものかどうか、少し悩んだ挙句、彼女らしからぬ曖昧な笑みを浮かべた後、細く編みこんだ黒髪の生え際に浮かぶ冷や汗を意識しながら、すっかり冷めた紅茶のチューブをそっと咥えたものだった。
 だが、今はエミリアは艦長として掛け値なしの毅然とした表情で、次なる事態へ備えての機動配備を全艦へ通達し終えていた。
 緊急事態はマニュアル通りには起こらない。
 その為の群司令であり、その為の艦長であり、だからこその指揮官なのだ。
 イリアが見つめるメインモニターの片隅では、艦内時間を刻む数字の下で、別のふたつのカウントが実行されていた。
 緊急事態が発報されてからの時間経過である。
 前方哨戒群との時差が考慮され、更にコーデリア〇一と情報連結した連絡艇からの微細な誤差修正データを受け取り、現在のカウントが示す数字は、
 Tマイナス01:40:04:02±07
 Tマイナス25:45:04:09±04
 つまり、前方哨戒群で事態を把握してから約一時間四十分、リアルタイムすなわちコーデリア〇一側での主観時間では約一日と一時間四十五分が過ぎようとしていた。
 艦内時間も緊急連絡を受信した〇〇〇一の時点で二四〇一へと表示が切り替わっている。
 状況が終了するまでは、この表示は戻せないし、自動では戻らない。
 こうした時計合わせにも似た作業は光宙艦では欠かせないルーチンでもあった。
 光宙艦が他の対象と彼我の距離を計る時もまた光年光日光分光秒と示されるからである。
 限りなく光速に近い速度で飛翔する光宙艦にとって、時間とは距離であって、距離とは時間なのだ。
 多少の誤差はあれ、前方哨戒群は光程どおり、一光日前方にあった。
 状況如何ではこの光程を詰める必要もあれば、逆に離れる必要もあるのだ。
 こうして前方哨戒群では第一日が終わり、群旗艦コーデリア〇一では最初の一日が始まろうとしていた。

(続く)

この記事が参加している募集

宇宙SF

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?